現代の海で行われている奴隷労働をめぐる戦い
映画『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』が問いかける消費者の責任とは

  • 2022/6/14

 現代社会で、しかもアジアで、今も奴隷労働が行われている―。にわかに信じられなかった現実を描いた映画『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』を知ったのは、2019年初冬のことだった。それから2年半かけて今年5月末にようやくこの作品を日本で公開させた筆者の胸には、「これはもう一つの戦争だ」という思いがあった。

映画「海の奴隷」 ©Vulcan Productions, Inc. and Seahorse Productions, LLC.

「これはもう一つの戦争だ」

 「関根さん、ぜひ知ってほしい映画があるんです」

 とある映画の試写会の後にこう声をかけてくれたのは、公益財団法人世界自然保護基金ジャパン(WWFジャパン)海洋水産グループの滝本麻耶さんだった。2019年11月のことだ。正直なところ、売り込みをいただいても、99%以上はお断りせざるを得ないほど厳選して映画を配給しているため、話を聞かせていただくのが半ば申し訳ない心持ちでいた筆者に、彼女は言った。

 「『ゴースト・フリート』というドキュメンタリーで、シーフードの漁獲に奴隷労働がはびこっている実態を明らかにした映画なんです」

 もちろん興味は湧いたが、この時点では事実を詳しく知らなかったため、どんな内容なのか、すぐにはイメージできなかった。シーフード産業で奴隷労働が行われているという事実がすぐにはピンと来なかったのだ。

 しかし、その言葉が強く印象に残って消えなかったため、後日、映画のタイトルや詳細を尋ねて予告編を観てみると、想像していた以上にインパクトのある内容で、一気に引き込まれた。「まさかアジアに今も奴隷が存在しているなんて信じられない」。それが、最初の感想だった。

 すぐにでも全編を観てみたくなり、オフィシャルサイトから問い合わせを送ったものの、まったく返事が来ない。あの手この手で監督やプロデュサーらの連絡先を調べ、やっと映画の本編を取り寄せて観ることができたのは、最初に滝本さんに話を聞いて伺ってから約1年後の2020年10月頃のことだった。

映画「海の奴隷」のワンシーン ©Vulcan Productions, Inc. and Seahorse Productions, LLC.

 映画の完成度は、想像以上だった。作品は、人身売買業者に騙されるなどしてタイ船籍の漁船に乗せられた現代の「海の奴隷」たちの実態を伝えるにとどまらない。彼らを救出するために立ち上がったタイ人女性のパティマ・タンプチャヤクルさんが、船から飛び降りてインドネシアの離島に逃げ込んだ男たちを見つけ出し、連れ戻すまでの命がけの旅が描かれていた。これまでもこのようにして何千人もの奴隷を救ってきた彼女は、2017年にはノーベル平和賞にもノミネートされたという。ドキュメンタリーでありながらドラマ性が強く、観ながら何度も泣いた。また、ドキュメンタリーというより、まるでフィクション映画を観ているかのような展開にも心を奪われた。「これはもう一つの戦争だ」。そう思った筆者は、ほどなくして「この映画を日本に届けよう」と決意したのだった。

心を失った幽霊船の男たち

 本編を観終わり、現代にも奴隷が存在するという衝撃の事実を改めて認識した筆者が、さっそくインターネットで「現代の奴隷」と打ち込んで検索すると、今も4000万人以上の奴隷がいることが分かった。シーフード産業で働く「海の奴隷」は数万人に上ると言われているが、その数も氷山の一角なのかもしれない。

映画「海の奴隷」のワンシーン ©Vulcan Productions, Inc. and Seahorse Productions, LLC.

 映画『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』に登場する「海の奴隷」たちがどのようにして漁船に乗らされてしまったかは、映画の中で本人たちが証言している。「夜の街で飲んでいたはずなのに、次に目覚めたら船の上だった」と話す男性は、恐らく薬を飲まされたのだろう。また、養鶏場や養豚場、エビの工場や魚の缶詰工場で働けると騙されて船に乗せられてしまった男たちも登場する。人身売買業者は、1人あたりわずか800米ドル(約10万8000円)で男たちを売り飛ばすのだという。

映画「海の奴隷」のワンシーン ©Vulcan Productions, Inc. and Seahorse Productions, LLC.

 さらに、映画では、5年、7年、あるいは12年もの長きにわたって奴隷労働を強いられてきた経験者たちが次々に登場し、船長に暴力を振るわれたことや、友人が生きたまま海に投げ捨てられたことなど、船の上での信じがたい過酷な現実を語る。いったん漁船に乗せられると、多くの場合、生きて帰ることはできないことを覚悟して働かざるを得ない。『ゴースト・フリート』(直訳すると、幽霊船)というタイトルは、船上では肉体だけが動き、心がそこには存在していない状態を意味しているのだ。そんな彼らが漁獲したシーフードは、問題ないものとして偽装され、世界中のスーパーなどで流通している。

人命救出に命を懸けるパティマさんの思い

 映画は、パティマ・タンプチャヤクルさんが、バンコクから6400km離れたインドネシア南部の離島に行き、ジャングルなどに逃れた元「海の奴隷たち」を救出しようと命懸けの旅をする様子を追う。彼女はマフィアなどからたびたび殺害予告の脅しを受けているが、「助けを求める人がいる限り、何があっても救いたい」という強い決意で行動し続けている。

映画「海の奴隷」のワンシーン ©Vulcan Productions, Inc. and Seahorse Productions, LLC.

 人命救出のために人生を懸けている理由について、パティマさんは、「がんに侵されて生死をさまよったことで、新たな考え方が生まれた」と語っている。

 「自分がどう生きて、何をすべきかと考えた時、私は他者を助けるために生きようと決めたのです」

 そんなパティマさんに、先日、オンラインでインタビューする機会に恵まれた。20歳前後でガンを患い、生死をさまよった彼女は、「もし生き延びることができたら、人を救いたい」と考えたという。その後、実際に仲間と一緒に行動を起こしたパティマさんらがこれまでに救い出した人々の数は、約5000人に上る。たった一人の決意から生まれた行動が、これほど多くの人々の命を救ったことに感銘を受けたが、それ以上に印象的だったのが、物静かで淡々としているご本人の姿だった。決して消えることのない熱い炎を心の奥底に秘め、自然体で活動を続けている様子がうかがえた。後日、共同監督の一人、シャノン・サービスさんにオンラインで話を伺った時も、「彼女が数千人単位で人の命を救う偉業を成し遂げているにもかかわらず、謙虚で献身的な人柄であることに驚いた」と話していた。

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