クーデターから1年 在日ミャンマー人たちの闘い
「祖国の民主化と革命をあきらめない」

  • 2022/2/17

 2021年2月1日、ミャンマーでミンアウンフライン司令官が支配する軍がクーデターによって国の主権を掌握してから丸1年が経ったが、市民たちは今なお軍への抵抗の意思を示し続けている。歴史を振り返ると、ミャンマーではこれまで1962年と1988年にクーデターが起きており、今回が3回目だが、抵抗運動は過去2回を上回る規模で続いている。この背景には、以前はなかった海外在住のミャンマー人たちとの連帯がある。日本に住むミャンマー人たちもこの1年、祖国の民主化と革命の実現をあきらめず、力強く軍への抵抗を続けてきた。

クーデターから1年が経った2022年2月1日に軍への抗議デモを行った在日ミャンマー人ら(兵庫県神戸市で筆者撮影)

2021年2月1日

 日本出入国管理局が2020年に実施した調査によれば、日本には現在、3万5000人以上のミャンマー人が住んでいるという。

 東京に住むタンゾーテッさん(35)は1年前のあの日、いつものように朝6時に起床して出勤準備をしていた。アメリカ在住の友人からクーデターを知らせるメッセージが届いたのは、ミャンマー時間の早朝4時前。現地ではまだ夜が明けていなかったが、すでに軍が大統領や国家顧問をはじめ、閣僚や活動から数百人を次々と拘束していた。すぐにはメッセージを信じられなかったタンゾーテッさんも、次々に書き込まれるSNSを見て事実だと認めざるを得なかった。
 タンゾーテッさんはいつも通り8時には出社したが、知り合いも何人か拘束されたのを知って仕事はまったく手につかずにいた。東京に住むミャンマー人らが「国連大学の前に集まろう」と次々に投稿するのを見たタンゾーテッさんは、9時に会社を早退し、その足で国連大学に向かう。すでに数百人のミャンマー人たちが集まっていた。その時の気持ちを尋ねると、「怒ったり泣いたりせず、向き合うべきだと思った。歴史のツケはいつも僕たちに降りかかってくるのだから」と振り返ったタンゾーテッさん。普段は活発でよく笑う彼だが、こう答えた時の表情は暗かった。

祖国でクーデターが起きて1年の節目に改めて日本で抗議の声を上げる(兵庫県神戸市で筆者撮影)

 東京には約9000人のミャンマー人が住んでおり、全国で最も多い。タンゾーテッさんたちは、クーデターに抗議し、革命によって新しい祖国を実現するために、(1)軍事政権下で働くことを拒否して職場を放棄する市民的不服従運動(CDM)と呼ばれるストライキを続ける祖国の人々を応援する、(2)抗議デモを行う、(3)日本政府に働きかける、(4)日本人にミャンマー情勢を知らせる、(5)募金活動、などの活動を行うことを決め、グループに分かれて役割分担することにした。

チョーモートゥン国連大使の承認を求めて声をからす在日ミャンマー人ら(兵庫県神戸市で筆者撮影)

 こうした動きはすぐに日本各地に広がった。これらの活動には、日本に住むミャンマー人の若者も数多く参加している。日本に留学中の学生や、企業で働く若手社員、そして技能実習生として来日している人々だ。タンゾーテッさんは、「彼らは皆、将来、祖国に帰ってそれぞれの夢を実現しようとしていたが、クーデターによってその夢を閉ざされた」とした上で、「皆、この最悪な状況を乗り越えない限り自分の夢を実現できないことを知っているからこそ、軍に抵抗し、革命を成功させようと努力しているのだ」と続けた。

故郷から届く悲報

 北西部にあるサガイン管区カレー出身のヌェニさん (26)は、クーデター直前の2021年1月に技能実習生として来日し、現在は福岡県で暮らしている。ヌェニさん自身はビルマ族だが、カレーの街はチン州に近く、友達もチン族が多かったせいか、彼女が話すビルマ語にはチンの訛りがある。
 「クーデターが起こるまで、カレーは平和で楽しかった」と懐かしそうに微笑んだ後、ヌェニさんは「今はすっかり変わってしまったようだ」と悲痛な表情を浮かべた。ザガインはミャンマーの中でも最も激しく軍に抵抗し、戦闘が行われている地域の一つで、ヌェニさんの友人たちも人民防衛隊(PDF)と呼ばれる市民側の武装組織に何人も参加しており、中には闘いの最中に爆弾で手を失った友人もいるという。同地域では、昨年末から戦闘がさらに激化しており、ヌェニさんの故郷であるカレーだけでも、1万人以上が避難民になっていると地元メディアは報じている。

2021年8月8日、「88年民主運動」の記念日に愛知県名古屋市で行われた軍に対する抗議デモ(筆者撮影)

 ヌェニさんのように、故郷の村が軍によって焼き討ちにあったり、家族が自宅を離れ山中に逃れたり、殺害されたりしている在日ミャンマー人は少なくない。サガイン管区のカレーだけでなく、チン州でも多くの村が攻撃され、例えばタンタランでは2021年9月から12月の間に約700もの家が全焼したという(出典:Thantlang Placement Affairs Committee -IDPs help )。

2021年12月にはカレン州に対する空爆の即時停止を求めて東京に住むミャンマー人たちが新宿区に集まった(筆者撮影)

 祖国の惨状を受け、東京に住むチン族の人々は10月、SNS上で悲しみと追悼を表す声明を発表した。また、12月には、カレン州レーケーコに対して軍が空爆を行ったことに対し、東京のミャンマー人たちはさらなる流血の惨事を避けるために、国軍の「飛行禁止区域」を設定するよう国際社会求めて抗議行動を行った。

広がる共感
 ミンアウンフライン司令官率いる軍によるクーデターの後、ミャンマーでは各地で殺人事件や拷問、女性やLGBTへの性的虐待などの人道上の罪が起きているほか、数えきれないほどの家屋が全焼した。こうしたニュースは、SNSを通じて海外に暮らすミャンマー人にも届いている。サガイン管区や中西部のマグウェ管区は、もともと多数派のビルマ族が多く、これまで内戦はほとんどない平和な地域だった。しかし、今はこの地域に住むビルマ族も、積極的に抵抗運動参加している。

サッカーの元ミャンマー代表で、来日中に国軍のクーデターに抗議したピエリヤンアウン選手は、2021年8月20日に難民承認を受けた(筆者撮影)

 沖縄県には、300人ほどのミャンマー人が住んでいる。ヤンゴン出身で、現在は妻と一緒に那覇市に住むビルマ族のトゥーラーソーさん(39)は、もともと政治活動にはほとんど興味がなかった。少数民族の武装勢力がなぜミャンマー軍と長年にわたり闘いを続けているのかも知ろうしていなかったが、実際に自分たちが同じ状況に置かれて初めて彼らが闘う理由を理解したという。「以前は、少数民族は軍と同じように、自分たちの利益のために自分勝手に武力を乱用しているのだと誤解していた。今は後悔している」と、トゥーラーソーさんは繰り返す。現在は、ミャンマーのことを日本の人々に伝えようと、沖縄で写真展や募金活動を精力的に行っており、クーデターから1年にあたる今年2月1日にも、集会を開いた。「沖縄は、東京や神戸などの大都市に比べればミャンマー人が少なく、活動の規模も小さいが、可能な限り続けたい」と話している。

日本人にも広がる支援
 こうした在日ミャンマー人たちの活動を支援している日本人も多い。

 中尾恵子さん(63)は1997年、ミャンマー国内の軍圧を逃れてタイとの国境や日本に避難した人々の支援を行う関西のNGO「日本ビルマ救援センター」(BRCJ)に参加。以来、大阪市内の中学校で英語を教える傍ら、南部カレン州の戦争避難者の保護に人生をかけてきた。また、日本で難民申請する人々の裁判の支援や、ヤンゴン市内のインセイン刑務所に収監されていた政治活動家に差し入れをした経験もある。

BRCJの中尾恵子さんは長年にわたりミャンマー支援に携わってきた(筆者撮影)

 そんな中尾さんは、今回のクーデターについて「歴史が逆戻りしてしまった。また一からスタートなのかと落胆した」と話す。中尾さんは、ほぼ毎月、大阪の京橋駅前で日本の学生と一緒にミャンマーのために募金活動を行っており、集まった寄付を国民統一政府(NUG)の官僚らに届け、衣料品や衣類の配布にあてている。

ミャンマーの民主化運動を支援するために募金活動に参加した日本の学生ら(筆者撮影)

 2020年11月に行われた総選挙で選んだ自分たちの政権を奪われた市民たちは、失った民主主義を手に入れようと渇望している。これまでなかった在日ミャンマー人らによる経済的な支援も、祖国で軍に抵抗し続けている市民らの力になった。

2021年7月には、関西に住むミャンマー人が大阪市に集まり軍への抗議デモを行った(筆者撮影)

 こうした海外在住のミャンマー人たちの支援こそが、クーデターから丸1年が経った今もなお、軍がいまだミャンマー全土をうまく支配し、国権を掌握できているわけではない理由の1つだと言っても過言ではない。

 

関連記事

ランキング

  1.  米連邦最高裁判所は6月24日、「人工妊娠中絶は憲法で保障された権利である」と認定した1973年の「…
  2.  中国は4月19日、南太平洋のソロモン諸島と安全保障協定を締結し、中国共産党の習近平・中央軍事委員会…
  3.  国際社会における安全保障の枠組みが大きく変わってきた。この夏は、特に南太平洋が熱い。米国は、軍事プ…

ピックアップ記事

  1.  米連邦最高裁判所は6月24日、「人工妊娠中絶は憲法で保障された権利である」と認定した1973年の「…
  2.  中国は4月19日、南太平洋のソロモン諸島と安全保障協定を締結し、中国共産党の習近平・中央軍事委員会…
  3.  国際社会における安全保障の枠組みが大きく変わってきた。この夏は、特に南太平洋が熱い。米国は、軍事プ…
ページ上部へ戻る