「巨人の星」を現地化するために
カレーの国で「ちゃぶ台返し」
- 2019/7/10
インドで産まれた「コロンブスの卵」
インド側から修正を要求されたのは、「巨人の星」の名シーンである「ちゃぶ台返し」や、「養成ギプス」についても同様だった。
原作で、父、一徹の厳しさと激しさを象徴するシーンであった「ちゃぶ台返し」がNGとなったのは、「食べ物を粗末にしてはならない」という理由からだった。制作の進行はかなり遅れ気味で、議論している時間的な余裕はなかったが、この場面はどうしても妥協できなかった。親子の愛憎劇を演出するうえで、象徴的なシーンだからだ。
これに対し、インド側は「なぜ、このシーンにそこまでこだわるのか」と疑問を持つばかりで、そのシーンの重要性を何度説明してもなかなか理解してもらえなかった。父親の怒りを表現するために、コップを投げつけてはどうかというアイディアも彼らから出されたが、出来上がった映像を見ると迫力に欠ける。日印双方で長い議論が交わされたが、「ちゃぶ台返し」の代替案は出て来なかった。
放映直前、納品の締め切りが迫るなか、テレビ局との打ち合わせをしている時に、女性のディレクターからこんな提案があった。
「食べ物がダメなら、飲み物だけを載せたらどうだろうか」
まさしく、コロンブスの卵のような発想だった。言われてみれば当たり前のようだが、それまで誰も思いつかなかったのだ。結果的に、完成した最終形の映像は、父親が「ちゃぶ台」に代えて「テーブル」を片手で引っ繰り返し、水が入ったグラスがテーブルごと吹き飛ばされるという、とても印象的なシーンとなった。
一方、原作で一徹が飛雄馬の筋力を鍛えるために与える金属製の「養成ギプス」は、「子どもを虐待しているように見える」というのがNGの理由だった。
「ちゃぶ台」問題と同様、会議のたびに激論を繰り返し、日印の合同チームは、皆、ほとほと疲れ果てていた。そんななか、現地スタッフの一人がホワイトボードに何やら描き始めた。自転車の廃タイヤで作られたギプスだ。「虐待」を連想させる金属製のものではなく、ゴムのチューブでできたギブスだったことで、問題が解決する。重苦しい雰囲気が一転し、スタッフ全員に笑みがこぼれた瞬間だった。このインド版「養成ギプス」が出てくるシーンはテレビ局にも好評で、後に番組宣伝のCMにも採用されることになった。
昨今、インドのアニメ制作の現場は完全にデジタル化され、技術力もかなり向上しているというが、その反面、欧米の下請け的な作業が多いせいか、自分たちで独自のアイディアを産み出すことに慣れておらず、喜怒哀楽の細やかな描写に対してあまり執着しないということが、この日印の共同作業を通して分かった。