「巨人の星」を現地化するために
カレーの国で「ちゃぶ台返し」
- 2019/7/10
ヒンドゥ教の聖典をモチーフに再構成
「ジャイサー・デース、ワイサー・ベース」
インドでは、このヒンディ語の諺をいつも肝に銘じて仕事をしている。ヒンディ語の「デース」は日本語で「国」、そして「ベース」は「服」。直訳すると、「その国では、そこの服を」。すなわち、日本語の「郷に入れば郷に従え」という意味だ。
文化や宗教、そして習慣も異なる国で受け入れられる商品を開発・販売するために、さまざまな企業が「現地化」を目指し奮闘している。コンテンツ産業の世界も同様だ。チーフ・プロデューサーを務めた日印共同制作のテレビアニメシリーズ「スーラジ ザ・ライジングスター」の制作現場においても、「ローカライズ」はきわめて重要なテーマだった。
日本の人気漫画「巨人の星」を原作とし、野球をインドの国民的スポーツのクリケットにリメイクしたこのアニメは、現地の人々の嗜好にあわせて、さまざまな工夫を凝らした。
ストーリーは、「巨人の星」をベースにしながらも、ヒンドゥ教の聖典で神話的叙事詩である「マハーバーラタ」をモチーフにして再構成。インド版「星飛雄馬」こと、主人公の「スーラジ」は太陽神を暗示させ、ライバルのインド版「花形満」こと、ヴィクラムには雷神のイメージを付与した。この神話の中では、太陽神は「灼熱=負」、そして雷神は「恵み=正」とイメージされ、出自の異なるこの二つの神は相対する関係だ。
さらに、脚本には人気のボリウッド映画の有名なセリフをいくつも散りばめ、大人でも楽しめる作品に仕上げている。
共同制作を進める過程で、インド側の意見を取り入れ、修正を加えた場面は多々ある。例えば、母親のシーン。原作の「巨人の星」では、母親は死別していて登場しない。主人公の飛雄馬は、頑固な父「一徹」と、母親代わりの姉「明子」の3人家族。インド版でも同様の家族構成を想定していたのだが、現地のスタッフは、「なぜ、母親を登場させないのか」と疑問をぶつけてくる。
日本と同様に、インドも父権主義であるが、その一方で、母親の存在は非常に大きい。ファミリー向けの作品なのに母親が登場しないのは不自然だ、というのが彼らの主張だった。結局、遺影に加え、母親を時折、「亡霊」として登場させることにする。
なかには、放映上の倫理規定でNGになったシーンもある。インド版「明子姉さん」は、宗教上の理由から脚を見せることはタブーとされ、原作のようなスカート姿ではなく、パンツルックで描かれた。インドでは、肌の露出は非常に厳格で、胸元が大きく開いている服を着た女性が登場するアニメを放映するのは難しい。
貧富の差やカーストを意識させるような表現にも、テレビ局は神経をとがらせる。当初、脚本のなかに「おまえの家は貧しいから食べ物も満足に食べさせてもらえないだろう」という台詞があったが、テレビ局側の要請で削除せざるを得なかった。