「まず知ってほしい」在日ミャンマー人たちの願い
命を懸ける祖国の仲間と心を一つに日本で闘う若者たち

  • 2021/4/17

2021年2月1日に起きたクーデターに抗議する市民への弾圧が強硬化しているミャンマー。恐怖を植え付け従わせようとする軍の無差別な発砲や暴力によって、これまでに700人以上が犠牲になり、不当な拘束も累計3000人を超えるなど情勢が泥沼化していることを受け、日本に暮らす約3万人のミャンマー人たちも祖国のためにさまざまな形で立ち上がっている。日本社会の関心を高めるために歌とチラシの配布という地道な手法をあえて選択した若者たちの思いに迫った。

原宿駅前で歌を歌いながら祖国の現状を訴える在日ミャンマー人ら(4月中旬、筆者撮影)

チラシに込められたデジタル世代の思い
 「ミャンマーを助けてください」「人々が不当に拘束されています」「なんの罪もない子どもたちも銃で撃たれて亡くなっています」――。
 4月半ばの週末、初夏を思わせる日差しが降り注ぐ中で、若者の街として知られる東京・原宿の駅前に朝10時から懸命な声が響いた。その声に吸い寄せられるように、ベビーカーを押す女性やカップル、親子連れ、小学生ぐらいの男の子たちなどが次々に足を止め、チラシを受け取り署名する。そのたびに、手に消毒用のアルコールを吹きかけては深々と頭を下げる若者たち。駅のエレベーター脇にも10人ぐらいが前後2列に並び、ミャンマー語で数曲、繰り返し歌っている。割り箸で空き缶を叩きながら歌う軽快な曲もあるが、彼らの表情は、終始、真剣だ。この日は、夕方までに約3000枚のチラシを配り、集めた署名の数は340を超えた。

呼びかけに応えて署名する女性。署名はMyanmar Youth( Japan)という団体がKnow Us More Myanmarのチラシ配布と連携しながら集めている(筆者撮影)

 彼らは、Know Us More Myanmar(日本語名は「ミャンマーの真実」)というグループで活動する在日ミャンマー人だ。2月下旬に音声SNSのクラブハウスで知り合い、「行動や言動が制限される本国の仲間たちの分も自分たちが動こう」と意気投合して、ミャンマーの現状を伝えるチラシを配布することを決めた。一見、アナログで非効率なやり方にも思えるが、「SNSはもともとミャンマーに関心を持ち、情報を集めようとフォローしている人にしか届かない。ミャンマーについてまだ何も知らない多くの日本人に知ってもらうには、街に出て直接、日本語で話しかけたり、パネルや歌で目や耳にも訴えたりしながらチラシを手渡すしかない」と考えたという。コアメンバーは16人。日本滞在歴は1年から19年までさまざまだが、皆、流暢に日本語を話すため、週末のたびに新宿や池袋、原宿など乗降客数の多い都内の駅前に立ち、語学力を生かして活動している。

見たい人にしか届かないSNSの壁を超えるため、あえてチラシの配布という手法を選んだ。ミャンマーの現状や市民の声、望みが写真とともに分かりやすく紹介されている©Know Us More Myanmar

ゆるやかな連携で役割分担

 発起人の一人、2011年に来日して2019年に日本に帰化した新井明音さんは、警察との交渉を担当している。3月初旬、活動を始めるにあたり地元の警察署に手続きを相談すると、「点字ブロックは視覚障害者のために設置されているので、上に立ったり物を置いたりしない」「写真やメッセージを貼るボードは、歩行者に怪我をさせないように段ボール素材で作ると良い」など、細やかな助言をもらった。さらに、通行人とのトラブルになった場合に備え、私服警官が毎週2人、警護に来てくれているという。「市民に銃を向けるミャンマーの警察とのあまりの違いに泣きそうになりました」
 こうしたアドバイスを基に活動ルールを作成したのは、来日13年目のウィンさんだ。「特定の人物や政党のために活動するのではなく、相手に快くミャンマーの現状を知ってもらうために配布する」という<心構え>と、「相手に無理やり押し付けない」「ヘイトスピーチはしない」などから成る<マナー11箇条>は、活動に賛同する他の在日ミャンマー人グループや、手伝いに来てくれる日本人ボランティアにも共有している。

行き交う人々に日本語でチラシを配るメンバーら(筆者撮影)

 毎回の活動予定や記録をツイッターやフェイスブックに投稿して広報しているSNS担当は、来日6年目のティンさんだ。このほかにも、1カ所に大勢集まり混乱しないように、参加を事前登録制にしてチーム分けし、40人以下に抑えているメンバーもいる。こうしてゆるやかに連携しながらも、あえてリーダーを決めず、必要なことは随時、SNS上で相談しては、役割分担しながら活動を続けている。

世代を超えて受け継がれる怒りの記憶

 祖国の状況は厳しい。首都ネピドーで集会に参加して頭部を撃たれ重体だった女性が2月19日に亡くなって以来、実弾を使用した軍の弾圧は強まる一方だ。民主化の実現を掲げてタイや香港、台湾らの若者が始めた「ミルクティー同盟」と連帯を示すデモが行われた2月28日には20人以上が死亡。その後も、3月27日の「国軍記念日」に114人、4月9日には最大都市ヤンゴン近郊のバゴーで80人以上が亡くなった。自宅に侵入してきた軍に幼子が撃たれる痛ましい被害も連日のように起きており、4月15日までに全土で700人以上が亡くなり、不当に拘束された人々も累計3000人を超えている。それでも人々が抗議をやめないのは、今、弾圧に屈すれば、民主化を求める運動が50年以上にわたり繰り返し弾圧されてきたこの国の歴史が再び繰り返され、2011年に民政移管されてからの10年間すら無に帰すことが分かっているからだ。

ミャンマーに関心を持ってもらうために制作したパネルを掲げるボランティアメンバー(筆者撮影)

 もっとも、メンバーらは本国で闘う多くの若者たちと同様、軍政下の暗黒時代を直接知っているわけではない。そんな彼らを突き動かしているのは、親世代の記憶だ。
 1988年8月8日、学生たちが一党独裁の打破を求めて全土で大規模な民主化デモを行い、多くの犠牲者が出た。この「8888」運動の頃はウィンさん自身はまだ子どもだったが、街に響いていた「抗議活動は勝つ」というシュプレヒコールを意味も分からず真似していたことを覚えている上、隣人が自宅で軍に銃殺されたと親から聞かされた時の衝撃も忘れられないという。一方、ティンさんはまだ生まれていなかったが、当時、デモに参加していた母親のすぐ隣を歩いていた友人が撃たれて亡くなった話を繰り返し聞いて育った。ミャンマーに残っている兄は今、自警団として毎晩、地域の見張りを行っている。
 「国軍側は総選挙の再実施と権限委譲を約束しているのになぜ待てないのか、と言われることもありますが、軍が信用できないことは歴史を見れば明らか」「真の民主化が実現するまで決してゆずれません」。毅然とした言葉に、世代を超えた軍への怒りと不退転の覚悟がにじむ。

不屈の決意を歌にのせて

 そんな若者たちの不屈の抗議行動の象徴になっているのが、冒頭の歌だ。来日して1年半、この日が3回目の参加だというサンディさんによると、彼らが歌うのは全部で5曲だという。

 「アロマシ」は、軽快でキャッチーな曲調とは裏腹に「独裁者は不要だ」と訴える革命歌だ。歌いながら空き缶を叩くのは、大きな音を立てれば悪霊を追い払えるというミャンマーの風習に由来する。実際、市民らは2月以降、軍を悪霊に見立てて毎晩8時に軒先で鍋や缶を打ち鳴らしているという。また、「エンドゲーム」の歌詞にも「われわれは最後に必ずこの革命に勝つ」という決意が込められている。どちらの歌も、今回のクーデター後に作られた。
 一方、数十年来続いてきた闘いが今なお終わっていないことを胸に刻むために、古い歌も歌われている。1988年の民主化運動の際に作られた「カバマチェブー」は、ゆったりした曲調ながら「この世の終わりまで私たちは諦めない」という強い覚悟が歌われている。また、同じ頃に作られた「トェチッサー」も、「勝利を血で誓う」という決意が込められた歌だ。
 これに対し、「ヨンジーヤー」は世代を超えて愛され、歌い継がれてきた心の歌だ。直接的に軍やクーデターを批判する歌ではないものの、「信じるもののために最後まで歩き続けよう いつか必ずたどり着くから」「絶対に勝つと信じて後戻りするな」という歌詞が今の人々の心情に響き、抗議行動で歌われるようになった。

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