科学と伝統の間で揺らぐケニアのコロナ対策
「夢で別れを告げるまで」~葬儀の参列者たちの思いに迫る
- 2020/11/8
再生産される悪霊の存在
今回の取材で明らかになったのは、政府の通達より村の伝統を守る人々の姿だ。ケニアの農村コミュニティをご存じない方にとっては奇妙なことに思われるかもしれないが、彼らがコロナ感染を恐れながらも文化を守るという判断を下すまでの葛藤は、科学の正しさを理解しながらも伝統から逃れられないからこそ生じていると言えるかもしれない。村では、皆、コロナウイルスのリスクを口にし、葬儀にもマスク姿で参列する者が少なくなかった。
にもかかわらず、政府の通達に背いてまで多くの人々が葬儀のために集まるのは、それが魂を鎮めるために不可欠な儀式であり、欠席すれば災いが降りかかると信じているからにほかならない。いわば、科学と伝統的な価値観のせめぎ合いの中で、現代を生きている人々の姿を示していると言えよう。
このような伝統的な価値観は、若い世代より年長者の方が強く信じている傾向がある。小さな農村コミュニティの中で、年長者の意見は非常に尊重される。仮に伝統を迷信だと考える住民がいても、コミュニティ内の密な人間関係がゆえに、その迷信は往々にして具現化され、再生産される。たとえば、たまたま外せない用事があって葬儀に参列できなかった家があり、その家族にたまたま不幸が続いたりすれば、それは悪霊のせいだと解釈されてもなんらおかしくない。なぜなら、そうした時には当然、住民の間で悪霊が繰り返し話題に上っているはずだからだ。そのような時に、村の重鎮である年長者が「悪霊を見た」とでも発言しようものなら、その瞬間、そのコミュニティで悪霊の存在は“立証”されたのも同然だ。
年長者も含め、村の人々は、皆、新型コロナウイルス脅威を正しく理解できるだけの科学的知識を有している。しかし、重要なのは、彼らが伝統を遵守するという価値観もまた、持っているという点だ。伝統の前に、政府からの通達は無力化する。これこそが、政府主導で感染対策を進める無力さと難しさを表していると言えよう。
取材を行った8月時点で、ケニアでは冠婚葬祭などの行事に最大15人まで参列が許されていた。現在は制限が緩和され、200人まで参列が認められている。冒頭で述べた通り、同国では現在、新規感染者の人数が増加しており、第二波の到来が深刻化している。しかし、少なくともニャンザ県のシアヤ郡では、今後も伝統が受け継がれ、死者の魂が実在し続けるだろう。たとえそれによって人々が感染のリスクに身をさらすことになろうとも。