医療が崩壊したミャンマーで命を救い続ける医師
軍の弾圧を逃れながら描く夢
- 2021/4/30
“殺人者”と批判されても
もっとも、人の心配ばかりしているわけにはいかない。軍は医療者にも容赦なく暴力を振るうためだ。実際、3月3日には医療ボランティアが救急車から降ろされ、銃身で力任せに殴打される衝撃的な映像が世界に伝えられた。医療者が開設した無料診療所も次々に襲撃されている。4月20日には、ヤンゴン市郊外のシュエピーター工業地区の診療所が襲われ、医師や看護師ら4人が拘束された。
NGOの調査によると、医療施設や医療者、救急車などへの襲撃は4月12日までに109回にのぼり、10人が殺害されたという。薬剤や祈祷など伝統治療を行う人が拘束された事例もある。
T医師自身、自らの逃げ方は常に考えている。車中で治療中に軍が近づいてきたら、処置中でも車を急発進させる。近隣住民の自宅の一室を借りる時は必ず見張りを立て、いざとなれば扉を閉めて患者とともに奥の部屋に隠れる段取りだ。応急処置研修で移動する際も往復で道を変えているうえ、3月以降は友人の家に身を潜め、自宅にはほとんど帰っていない。
医療者が狙われるのは、単にデモ隊を救護しているからだけではない。彼らの多くがT医師同様、クーデター後に軍政下で働くことを拒否して職務を放棄し、市民的不服従運動(CDM)に身を投じたためだ。CDMには反軍政の意思を示すとともに、公的な医療サービスを停止して軍による国家運営を機能不全に陥らせる狙いがあり、ヤンゴンの医療者の9割以上が参加していると言われる。
これを軍が許すはずがない。軍政府は4月9日、「医療従事者のCDM参加は殺人行為だ」と糾弾し、実効的な措置をとると明言した。その言葉通り、国営紙には4月12日以降、ほぼ毎日、新たに起訴された医師のリストが20人ずつ公表されている。また、CDMに参加する医療者に治療の場を与えた私立病院の認可を剥奪するという警告も出され、複数の病院が閉鎖に追い込まれるなど、状況は厳しい。
「それでも、CDMは必要です」とT医師は断言する。「デモが暴力的に弾圧される今、市民にはCDMしか残されていません」「だからこそ私たちは被害を最小限に食い止めるために活動を続けるのです」
公的な医療を受けられず困っているはずの市民も、CDMを支持する。心臓病を患うLさん(50代)の主治医も、CDMで公立病院から姿を消した。それでもLさんは「医者はCDMを続けてほしい。治療が必要な患者の数は限られていますが、CDMは全国民にとって重要です」と力説する。
軍と闘いながら描く夢
とはいえ、医療が必要な人が治療を受けられない現状を良しとするメンバーはいない。「これまでは高血圧や糖尿病などの慢性疾患を診療する余裕がなかったが、今後は体制を整えたい」とT医師は語る。
これが実現すれば、2つのことが期待される。第一に、慢性疾患のある患者の受け皿が増えること。第二に、慢性疾患を扱う診療所になれば、それを隠れ蓑にデモ隊の救護も容易になることだ。もちろん、CDMに参加している以上、安全の保障はない。それでも、「デモ隊の救護しかしていなければ問答無用で攻撃されるだろうが、慢性疾患も診療していれば手を出しづらいはず」とT医師は目論む。
さらなる夢もある。全土の医療計画を策定するとともに、私立病院や診療所、緊急医療チームから成る共同事業体を結成し、国際組織や海外NGOの支援を受けながら、皆が必要な医療を受けられる体制を立ち上げることだ。「現段階では夢に過ぎませんが、こういう計画が必要になる時が必ず来ます」
軍から身を隠しつつ、弾圧に屈することなく未来を見据えるT医師。その視線の先に、新生ミャンマーに続く光が見えた気がした。