内戦に揺れるミャンマーの少数民族ムロ
ラカイン州逃れ生活再建目指す
- 2020/8/7
「避難先で家族が食べるのに困り、雑草で飢えをしのいだ。生きていけないからヤンゴンまで来たんだ」――。内戦が激化するミャンマー、ラカイン州の戦火から逃れた国内避難民(IDP)が、最大都市ヤンゴンまで逃げ込むケースが目立ってきた。ミャンマー国軍と仏教徒ラカイン族系武装勢力「アラカン軍」との戦闘が2018年末ごろから本格化。そのあおりを受けて避難した人々の一部が国内を転々としたのち、ヤンゴンにたどり着いたのだ。その一部である少数民族ムロ族の一団は、この地を新天地として生活再建に乗り出している。
6月以降100人以上が逃げ込む
ムロ族の人たちが住むキャンプは、ヤンゴン郊外モービーの農村部の奥の奥にあった。幹線道路から舗装されていない農道を自動車で10分ほど入り、さらにそこから徒歩で10分ほど歩くと、竹の葉で編んだ壁に草ぶきの屋根をかけた質素な小屋が見えてくる。現在およそ30家族、100人以上が住むが、ここに避難してくる人が増え続けているという。
仏教徒が多数を占めるミャンマーだが、ムロ族にはキリスト教徒もいる。このキャンプの避難民はほとんどがキリスト教徒で、教会関係者が援助する形で避難民らを取りまとめている。土地は、ヤンゴンの篤志家の農園主が無償で貸しているという。ムロ族のキャンプはヤンゴンのほかの場所にもあり、そちらにも数百人が暮らしている。
避難民の多くは、2019年以降に故郷の村から逃げ出し、国内を転々としたあげくヤンゴンに流れついている。家族7人で避難した48歳の男性は、故郷のラカイン州ポンナジュン近郊の村を脱出したのち、およそ1年間、ミャンマー国軍支配地で、治安が良い村に避難していた。そこでは戦闘こそなかったものの、農民だった男性は仕事を失い、収入がなくなってしまった。男性は「子どもに米を食べさせることもできずに、そこら辺の雑草を食べてしのいだ。みんながりがりにやせ細ってしまった」と、振り返る。1年ほどその村にいたが一家は食べていくことができず、教会関係者の支援でヤンゴンのキャンプまでたどり着いた。
個々の避難民らが故郷を脱出した理由としては、「近くで戦闘が起きて危険になった」という声が多い。しかし、アラカン軍が強制的な徴兵を行なっていることから、兵士にさせられてしまうことを恐れて逃げる男性も少なくない。ブーディタウン近郊の村を夫婦で脱出した農民の男性(24)は、村の代表者にアラカン軍が指示して作成させた「徴兵候補者リスト」に自分の名があることを知り、脱出を決意したという。このほか、若い女性は性的虐待の対象になりかねないことから、優先的に避難させているという。このためか、このキャンプには若い男女の姿が目立つ。
民族対立のはざまで揺れるムロ族
ムロ族はミョーとも呼ばれ、ラカイン州やチン州などに住む民族だ。ラカイン州では、ミャンマーの多数派のビルマ族、仏教系のラカイン族、イスラム系ロヒンギャ、インド系のヒンズー教徒など、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が戦火にさらされている。民族の人口に関する正確な統計は乏しいものの、8万人程度とされるムロ族は、少数民族の中でも、300万人程度いるラカイン族、多数の難民を出す前には100万人弱がいたとされるロヒンギャと比べ、さらに少数派だ。
現在、ラカイン州とチン州で激しい戦闘を繰り広げているのは、ラカイン族系のアラカン軍と、ビルマ族を中心とするミャンマー国軍だ。2018年12月から戦闘が本格化。ラカイン州の古都ミャッウーをはじめ、同州北部ブーディタウン、チン州パレワなどで激しい戦闘があり、砲撃で市民が巻き添えになるなど被害が拡大している。国連の特別報告者は、15万人が国内避難民になっていると警告している。
この内戦では、ミャンマー国軍とアラカン軍の双方の非人道的行為が報告されている。ただ、話を聞く限りではこのキャンプのムロ族には、アラカン軍を恐れて避難してきた人が多いようなのだ。このキャンプでは「村の近くにアラカン軍が陣地を構えたため、戦闘に巻き込まれた」という証言が多い。
クリス・テイン牧師は「我々は中立で、(国軍とアラカン軍の)どっちの味方で敵でもない」と、話す。ただ、双方の紛争当事者は非常に猜疑心が強くなっている。ある避難民の男性は「政府の人間と話をするのを、アラカン軍の関係者に見られるだけでも、彼らの敵と疑われて連行される危険がある」と、考えている。実際にそのことが理由で村を離れた人も少なくない。二つの勢力の間で揺れ、逃げるしか方法がなかったムロ族の無力感が垣間見える。