ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第18話です。
⑱<水浴び>
ビルマ(ミャンマー)の農村部に行くと、今でも戸外で水浴びをしている光景によく出くわす。また、安宿に泊まると、屋内外で共同の水浴びがあり、私自身もそこで水浴びをすることになる。その際、日本の水浴びと違って、服を完全に脱ぐことはない。つまり、全裸にならないのである。また、ヤンゴンやマンダレーという都会でも、その周辺部では共同の水浴び場が利用されている。
ビルマ人は毎日、時には日に何回も水浴をして身体を清潔に保っている。水浴用の古いロンジーをつけて上手に体の隅々まで洗う。水は生暖かいから、無駄に燃料を使って風呂に入る必要はない。若い娘さんが井戸端で水浴していると、兵隊達が何とか見てやろうと傍にきても平気だ。上手にロンジーを上げ下げして洗い終わり、兵隊達は失望するだけだった。(荒木進『ビルマ敗戦記』岩波書店、1982年、P.125)
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「ところで・・・・・・、ちょっと・・・・・・、あんた日本人を見たかい」
「病院に入院したとき、見た。おまえに何度も話してやったろうが」
「ううん・・・・・・、あんたが見たのは将校さんだろ。日本の兵隊をあんたはまだ見ていないよ」
「ふん、どこがちがうんだ」
「あんたったら、何も知らないのね。日本の兵隊は丸裸、褌ひとつで・・・・・・」
・・・・・・
「あたし、覗き見なんかするもんか、ちぇっ・・・・・・、くっ・・・・・・、胸糞悪い。あたしが見ちまったのは、今日、・・・・・・、素っ裸でさ・・・・・・、あたし、恥ずかしかったよ、あんた。あの人たちの国ではああやってても平気なんだろうかって思ったよ」(マァゥン・ティン著/河東田静雄訳『農民ガバ』〈財法〉大同生命国際文化基金、1992年、P.88)

田んぼの写真を撮ろうとしていたら、水路に突き当たり、水浴びをしている女性たちに遭遇した(割愛したが、以下のような会話を交わした)。
私「ネーカウンラー?(こんにちは)」
女性「はい、こんにちは」
私「ダッポンヤイマラー?(写真を撮ってもいいですか?)」
女性「いいですよ」
私「ピャタナー、マ・シーブラー?(問題ないですか?)
女性「ありませんよ」どうして写真を撮るのですか?」
私「チャノー、ダッポンセェヤー、ダディンザヤー(私は写真家で記者なんです)」
(シャン州・ニャウンシュエ、1998年)(c) 筆者撮影

ため池の傍での水浴び。(ラカイン州・ミャウウー郊外、2010年)(c) 筆者撮影

エーヤワディー河(イラワジ河)での水浴び。(マンダレー地域・ニャウンウー、2003年)(c) 筆者撮影

共同の水浴び場。(ヤンゴン、2003年)(c) 筆者撮影

突然の土砂降り。目の前が見えなくなるほど強く降ってきたので食堂で雨宿りをしていると、給仕係の男性が樋から流れ落ちる雨水で水浴びを始めた。(エーヤワディー地域・パテェイン、2003年)(c) 筆者撮影

夕陽が沈むサルウィン河の畔での水浴び。(カレン州・パアン、2005年)(c) 筆者撮影

ため池から水を汲んできた少年が勢いよく水浴びを始めた。(バングラデシュ・コックスバザール郊外、ナヤパラ非公式難民キャンプ、2010年)(c) 筆者撮影

エーヤワディー河畔(イラワジ河畔)での水浴び。(ザガイン地域・カター、2011年)(c) 筆者撮影

エーヤワディー河畔(イラワジ河畔)での早朝の水浴び。遠くに見えるのはノワディー橋。(バゴー地域・ピィ、2003年)(c) 筆者撮影

エーヤワディー河畔(イラワジ河畔)での水浴び。(マンダレー地域からザガイン地域へ向かって河を遡る、2003年)(c) 筆者撮影

街角での水浴び。(マンダレー市内、2007年)(c) 筆者撮影

ダム(貯水池)での水浴び。(モン州・ムドン〈Azin Dam〉、2006年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)軍に対して武装抵抗抵抗を続ける「カレン民族解放軍(KNLA)」の兵站基地での水浴び。(カレン州、1993年)(c) 筆者撮影

夕陽が沈むエーヤワディー河畔(イラワジ河畔)での水浴び。(カチン州・ミッチーナ、2007年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)軍の迫害からタイに逃れた避難民キャンプでの水浴び風景。(タイ側・メラ避難民キャンプ、2022年)(c) 筆者撮影

2008年にデルタ地帯を襲ったサイクロン・ナルギスによって、デルタ地帯はもとより、ヤンゴン市内やその近郊の町も被害に遭った。(ヤンゴン・タケタ、2008年)(c) 筆者撮影

チンドウィン河畔での水浴び。(ザガイン地域・カレーワ、2018年)(c) 筆者撮影

水や電気が整備されていない、ヤンゴン市郊外の衛星都市に暮らす人びとの生活。(ヤンゴン、2003年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)軍の迫害からタイに逃れた避難民キャンプ内を流れる小川での水浴び風景。(タイ側・メラモー・ルワン/メラモー・クロー避難民キャンプ、2003年)(c) 筆者撮影

タイとビルマ(ミャンマー)の国境線であるモエイ河(タイ語)/タウンジン川(ビルマ語)で水浴びをする。タイ側から撮影。対岸はミャンマーのミャワディの町。川上に見えるのは、「タイ・ミャンマー第1友好橋」。(タイ・ミャンマー国境、2022年)(c) 筆者撮影

夕暮れ時、エーヤワディー河畔(イラワジ河畔)での水浴び。(カチン州・ミッチーナ、2007年)(c) 筆者撮影

一日の終わり。水を汲みに来たり、水浴びをしたり。(エーヤワディー地域・パテェイン、2004年)(c) 筆者撮影
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供