ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第15話です。
⑮<働く牛>
ビルマ(ミャンマー)の北西に位置するザガイン地域モンユワからチンドウィン河をバイクで渡り、ガンゴーの街を抜ける。インドの支援で作られたアスファルト道路には、穴ボコなどあいていない。真っ青な空の下、両側に広がる村々を眺めながら、信号のない一本道を気分良く走る。
並行する小径をゆっくりと進む牛車を追い越してから、バイクを停め、周囲の写真を撮影する。ハッと気づくと、いつの間にか牛車が私を追い越していた。遅いように思われた牛車だったが、実は、確実に前に進んでいたのだ。
とはいえ、乗ったことがある人はご存知だろうが、牛車の乗り心地はすこぶる悪い。地面に凸凹があると、その衝撃が直接、身体に響くからだ。まあ、その衝撃も慣れなのだろう、カメラのレンズを向けてみると、牛車を御する若者が私に笑顔を向けてくれた。そう、ビルマ(ミャンマー)をバイクで回りながら、実にいろんな牛車に出会ってきた。その一部をご紹介したい。

ビルマ(ミャンマー)の国土は、北はチベットの東橋から南はアンダンマン海まで、南北に長い。中南部地域の乾期は3月から5月半ばぐらいまで続き、暑さの真っ盛りの時期には気温が摂氏45度に上昇するところもある。地面は乾き、農村部を行き交う牛車は砂ぼこりをあげる。(バゴー地域・ターヤワディー、2003年3月)(c) 筆者撮影

首に飾りを付けた牛車も、よく見る光景だ。(エーヤワディー地域・ヒンダダ、2006年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)の6月は、本来なら雨期のはずだが、中部の乾燥地帯では地面が乾ききっている中、牛を使って地面を耕していた。(マンダレー地域・メッティーラ、1998年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)の人々にとって、お正月とは4月半ばの「水かけ祭り」の頃を意味する。そのため、世界的な新年にあたる1月1日にも農村部では農作業に精を出す人々がいた。(バゴー地域・タウングー、2004年1月1日)(c) 筆者撮影

土を耕す。(ザガイン地域・モンユワ、2018年)(c) 筆者撮影
1948年に英国の植民地支配を脱した後、ビルマはまっ先に土地改革の必要性に迫られていた。
「土地改革の過程で、土地配分の基準として採り上げられたのがダドーンドゥン(tatounhtun)である。ダドーンドゥンというのは、土地の広さを厳密に測量した言葉ではない。『緬=緬辞典』によれば、「一対の牛に耙を引かせて耕作できる土地」を指し、平均12エーカーくらいであるという。(斎藤照子「8.ビルマ―ダドーンドゥン」p.79、小島麗逸・大岩川 嫩編『「はかり」と「くらし」』)(アジア経済研究所、1986年)
※なお、「ビガ(bigha)は、インドで広く使われる面積単位で、一対の牛で一日に犂耕しうる広さに基づくとされるが、地域によってその広さは著しく異なる」(押川文子、同上 p.106)
「フェッダーンの語源をたどると、アラビア語そのもので『二頭の雄牛、あるいは二頭の雄牛をつなぐ軛(くびき)』の意味がある。つまりフェッダーンとは、エーカーと同様に、『二頭立ての雄牛を使って丸一日かかって耕起できる畑の面積』を意味する」(長沢栄治、同上 p.154)

土を起こす。(バゴー地域・タウングー、2004年)(c) 筆者撮影

土を耕す。(エーヤワディー地域・パテェイン郊外、1996年)(c) 筆者撮影

砂糖黍畑での刈り取りを終え、帰路に就く。(シャン州・ニャウンシュエ、2006年)(c) 筆者撮影

竹林から切り出した竹を牛車に積む。(ザガイン地域・シュエボー~カター間、2018年)(c) 筆者撮影

トラクター用のタイヤを運ぶ牛車。(ザガイン地域・ガンゴー~カレーミョー間、2018年)(c) 筆者撮影

カヌーを運ぶ牛車。(カレン州・パアン郊外、2003年)(c) 筆者撮影

得度式(シンピュー式)の行進。(ザガイン地域・モンユワ~ザガイン間、2018年)(c) 筆者撮影

得度式(シンピュー式)用に飾り付けられた牛車。(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影

口籠(くつこ)を掛けられた牛が、歩きながら脱穀する。(ヤンゴン地域・タイチー、2007年)(c) 筆者撮影

水汲みに来た牛車。(マンダレー地域・ニャウンウー、2007年)(c) 筆者撮影

シュエモードー・パゴダで夜通し催されていた徹夜のザップェ(お祭り)が引け、夜が明ける前に家路につく人びとにとって、牛車は乗り合いバスにもなる。(バゴー地域、2005年)(c) 筆者撮影

崩れ落ちた橋の横を行く牛車の有用さは、四輪駆動車にも引けを取らない。(バゴー地域・ピィ、2015年)(c) 筆者撮影

「5日市」からの帰路につく牛車。ぬかるんだ牛車道は、アスファルトの舗装道と平行して走る。(シャン州・ニャウンシュエ、1993年)(c) 筆者撮影

アジア 32カ国を横断する、全長14.1万 キロメートル にわたるアジアハイウェイは、ミャンマー(ビルマ)も走っているが、猛スピードを出して車が走る隣で、牛車がゆっくりと歩を進めているのが独特の風景だ。(ザガイン地域・ザガイン~モンユワ間、2018年)(c) 筆者撮影

アジアハイウェイ1号線は、ベトナムからカンボジア、タイ、そしてミャンマーを横断し、タムからインドに入る。このタムとカレーの間、約140キロの区間は、インド側が建設費用を負担したため「インドミャンマー友好道路」(India Myanmar Friendship Road)と呼ばれており、やはり牛車道が並んでいる。よく見ると、この地域もようやく電気の敷設が進んでいた。(ザガイン地域・カレーミョー~タムー間、2018年)(c) 筆者撮影

電気も水道もなく、道路も舗装されていないヤンゴン郊外の衛星都市。ぬかるんだ道を行くには、牛車道の轍を歩くしかない。(ヤンゴン市郊外、2003年)(c) 筆者撮影

緑のトンネルを進む牛車。(マンダレー地域・マンダレー~マダヤー間、2005年)(c) 筆者撮影

オウギヤシの並木道を進む牛車。(モン州・タンビュザヤ~イェー間、2006年)(c) 筆者撮影

「牛車通行禁止」の交通標識。(カチン州・ミッチーナ、2007年)(c) 筆者撮影

農村地域において、牛車は現在も重要な乗り物の一つ。そんな牛車の車輪を作る工房を村の中で見つけた。いったい、この車輪の大きさの基準はどこからきたのだろうか。そもそも、どのような単位を使って車輪の大きさを計ってきたのだろうか、と思いを巡らせる。(ザガイン地域・モンユワ郊外〈ツイン〉、2018年)(c) 筆者撮影
※参考書籍「今なお五〇〇〇年前と同じ姿で荷を運んでいる牛車の車輪の直径はどんな単位で計るのだろう。」(深町宏樹「錯綜の目立つパキスタン」同上、p.125)

農家が自ら手作りで牛車の車輪を作る。(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影

農家が自ら手作りで牛車の車輪の金属部分を加工する。(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影

一日の終わり、農作業を終えて牛車で家路に就く。(ザガイン地域・モンユワ、2018年)(c) 筆者撮影

一日の終わり、家路につく人びとの姿が夕暮れに浮かぶ。(ザガイン地域・シュエボー~チャウンミャウン道路、2018年)(c) 筆者撮影

水牛の牛車は珍しい。(ザガイン地域・シュエボー~キンウー間、2018年)(c) 筆者撮影

通称「バッファロー・ポイント」の荷揚げ地点でチーク材を運ぶ水牛たち。(マンダレー地・エーヤワディー河畔〈イラワジ河畔〉、1993年)(c) 筆者撮影

一日の終わり、帰途に就く人びと。(ラカイン州・ミャウウー郊外、2010年)
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供