ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第14話です。
⑭<ナッ(精霊)信仰>
ミャンマー(ビルマ)は、人口(約5600万人)の約9割が上座部仏教を信仰する社会である。この国に数年間暮らし、あちこち歩き回って実感したのが、<表の上座部仏教>に対して<裏のナッ(精霊)信仰>や<ウエザー(超能力)信仰>が存在していることである。
ミャンマー(ビルマ)における上座部仏教の話をする際、少しばかり注意を要する。というのも、名前に「仏教」とついているが、ミャンマーをはじめ、タイ、カンボジア、スリランカなどの国々は上座部仏教である一方、日本は大乗仏教であり、両者はやや別ものだからである。上座部仏教と大乗仏教の違いについては、インターネットなどで調べれば、仏教関係者や僧侶、宗教専門家がそれぞれの立場で解説しているページがたくさんあるので、そちらを参照いただきたい。
もっとも、私がここで「注意を要する」と言ったのは、別の観点からである。それは、一般的に説明されているビルマ(ミャンマー)の上座部仏教とは、あくまでも多数派ビルマ民族(ミャンマー民族)の歴史的な解釈(説明)を前提としていることである。
ビルマ(ミャンマー)における仏教は、歴史的に王権と強く結び付いている。そのため、一般社会にはおのずと支配者の解釈が広まってきた。外国人である私も、資料を読みながら、無意識のうちにビルマ民族にとって当たり前の解釈を受け入れているかもしれない。
例えば、ラカインについて研究しているラカイン人専門家のエーチャン氏は、ビルマ(ミャンマー)おける上座部仏教について「ヤカイン人(ラカイン人)は、涅槃(救済)に至ることよりも、ドウッカ(苦)を減らすことを望む傾向がある。」(「ヤカイン世界」『ミャンマー概説』、メコン、2011年)と指摘している。同じことはシャン人についても言える。必ずしもひとくくりにはできないものの、シャン人による上座部仏教の解釈や実践もまた、厳密に言えばビルマ人のそれとは異なると聞く。
さらに、もう一つ、気に留めておかなければならない点がある。それは、上座部仏教においては、《「言葉を唱える人」の中心である僧侶》(髙谷紀夫『ビルマの民族表象』法藏館、2008年)がその重要な担い手とされることである。確かに、経典を中心とする上座部仏教を理解するには、言葉の役割は必要であろう。だからこそ、言葉による説明や解釈に慣れた思考方法や表現が、はたしてビルマ(ミャンマー)におけるナッという精霊信仰の事象を的確に表しているのかどうか、少し立ち止まって考える必要があるのではないか、と思っている。
<上座部仏教>を考える際、いつも前置きが長くなってしまう。それは、「そもそも上座部仏教とは何か」や「ミャンマー(ビルマ)において上座部仏教徒とはどんな存在か」など、奥深い議論が尽きないからである。また、それと同様に、「裏の信仰であるナッ」についても、誰が(ミャンマー人か、外国人か、多数派のビルマ〈ミャンマー〉人か、少数民族のシャン人か)、どこで(都市部か、農村部か)見るかによって、その説明や解釈が異なってくると思っている。
しかし、今回の連載「歩く・見る・撮る」は、言葉で考えるのではなく、視覚で考えるということを主眼にしているため、ナッやウエザー信仰を文字で解説したり説明したりすることはまず横に置くことにして、これまで現地で撮影してきた「ナッ(精霊信仰)」関連の写真を並べるに留めることにしたい。
![ビルマ(ミャンマー)の農村地域を訪れると、伝統的な高床式の家屋にお邪魔する機会がある。家の中を見せてもらうと、東側に仏壇(黄色)が置かれ、それより低い位置に、超能力者(ウエザー信仰)の像(緑)が置かれていた。さらにその下に飾られているのが、「ナッ(精霊信仰)」を描いた絵で、花やお酒が備えられている。家屋の奥のココヤシは、家の守護霊(ナッ)である「ミン・マハーギリー」を表している。また、この家を訪ねたのは、ちょうどテインセイン政権による改革が始まった頃だったため、壁にはアウンサンスーチー氏の写真と、彼女の父親で「建国の父」でもあるアウンサンが軍服ではなく平服を着ている写真、そして国民民主連盟(NLD)への投票を呼び掛ける紙が貼られていた。(マンダレー地域、2012年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ビルマ(ミャンマー)の農村地域を訪れると、伝統的な高床式の家屋にお邪魔する機会がある。家の中を見せてもらうと、東側に仏壇(黄色)が置かれ、それより低い位置に、超能力者(ウエザー信仰)の像(緑)が置かれていた。さらにその下に飾られているのが、「ナッ(精霊信仰)」を描いた絵で、花やお酒が備えられている。家屋の奥のココヤシは、家の守護霊(ナッ)である「ミン・マハーギリー」を表している。また、この家を訪ねたのは、ちょうどテインセイン政権による改革が始まった頃だったため、壁にはアウンサンスーチー氏の写真と、彼女の父親で「建国の父」でもあるアウンサンが軍服ではなく平服を着ている写真、そして国民民主連盟(NLD)への投票を呼び掛ける紙が貼られていた。(マンダレー地域、2012年)(c) 筆者撮影
![ヤンゴンの町中を歩くと、あちこちに精霊「ナッ」を祀った小祠を見かける。(ヤンゴン、2007年)(c) 筆者撮影。
ビルマ(ミャンマー)の「ナッ」には、海・川・山・木など自然に宿る霊、村・田畑・家屋に宿る霊、さらに擬人化された霊など、さまざまな種類がある。これらの霊は、ビルマ(ミャンマー)民族の語りによると「37柱の神々」があるとされる。上座部仏教が王権と密接な関係があったように、ナッの信仰体系もまた、ビルマ王朝の権力と深い関係にある。ビルマ民族の「37柱神」以外にも、シャン州やラカイン州には、「民族」の範疇を超えた「ナッ」が存在しているのだ。](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ヤンゴンの町中を歩くと、あちこちに精霊「ナッ」を祀った小祠を見かける。(ヤンゴン、2007年)(c) 筆者撮影。
ビルマ(ミャンマー)の「ナッ」には、海・川・山・木など自然に宿る霊、村・田畑・家屋に宿る霊、さらに擬人化された霊など、さまざまな種類がある。これらの霊は、ビルマ(ミャンマー)民族の語りによると「37柱の神々」があるとされる。上座部仏教が王権と密接な関係があったように、ナッの信仰体系もまた、ビルマ王朝の権力と深い関係にある。ビルマ民族の「37柱神」以外にも、シャン州やラカイン州には、「民族」の範疇を超えた「ナッ」が存在しているのだ。
![街角の小祠に手を合わせる。(ヤンゴン、2002年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
街角の小祠に手を合わせる。(ヤンゴン、2002年)(c) 筆者撮影
![下町のアパートを見上げると、軒先に作られた小祠が目に入った。(ヤンゴン、2004年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
下町のアパートを見上げると、軒先に作られた小祠が目に入った。(ヤンゴン、2004年)(c) 筆者撮影
![海上に作られた小祠。(ヤンゴン・セマ〈Sema〉海岸、2008年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
海上に作られた小祠。(ヤンゴン・セマ〈Sema〉海岸、2008年)(c) 筆者撮影
![河沿いに供えられたココナツとバナナ。(エーヤワディー地域・マウービン、2015年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
河沿いに供えられたココナツとバナナ。(エーヤワディー地域・マウービン、2015年)(c) 筆者撮影
![大木の精霊に手向けられた竹(シャン州・カックー遺跡、2007年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22400%22%20height%3D%22600%22%20viewBox%3D%220%200%20400%20600%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
大木の精霊に手向けられた竹(シャン州・カックー遺跡、2007年)(c) 筆者撮影
![大木には木の精霊に竹が手向けられ、横には祠が作られていた。(シャン州・タウンジー~ロイレム間、2015年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
大木には木の精霊に竹が手向けられ、横には祠が作られていた。(シャン州・タウンジー~ロイレム間、2015年)(c) 筆者撮影
![道端の祠の中にところ狭しと並べられたナッ。(シャン州・ケントゥン〈チャイントン〉、2005年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
道端の祠の中にところ狭しと並べられたナッ。(シャン州・ケントゥン〈チャイントン〉、2005年)(c) 筆者撮影
![擬人化されたさまざまなナッ。(モン州・モッタマ、2016年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
擬人化されたさまざまなナッ。(モン州・モッタマ、2016年)(c) 筆者撮影
![街道沿いに「コーミョーシン(KMS)」と呼ばれるナッが祀られていた。(シャン州・カロー近くの山中、2015年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
街道沿いに「コーミョーシン(KMS)」と呼ばれるナッが祀られていた。(シャン州・カロー近くの山中、2015年)(c) 筆者撮影
![カボチャが供えられた小祠。(カヤー州・ロイコー、2015年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
カボチャが供えられた小祠。(カヤー州・ロイコー、2015年)(c) 筆者撮影
![上座部仏教とヒンズー教は親和性がある。この祭壇では、その2つに加え、ナッも祀られていた。(モン州・モッタマ、2016年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
上座部仏教とヒンズー教は親和性がある。この祭壇では、その2つに加え、ナッも祀られていた。(モン州・モッタマ、2016年)(c) 筆者撮影
![ところ狭しと並べられたナッ。(ザガイン地域・カレーミョー、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ところ狭しと並べられたナッ。(ザガイン地域・カレーミョー、2018年)(c) 筆者撮影
![最上段に仏像が、その下の段にはヒンズー教関係の神だろうか、次いでウエザー(超能力)やナッが祀られていた。(ヤンゴン、2010年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
最上段に仏像が、その下の段にはヒンズー教関係の神だろうか、次いでウエザー(超能力)やナッが祀られていた。(ヤンゴン、2010年)(c) 筆者撮影
![小祠の中に祀られているナッ。(ラカイン州・ミャウウー、2010年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
小祠の中に祀られているナッ。(ラカイン州・ミャウウー、2010年)(c) 筆者撮影
![村の守護神であるナッが、村の出入り口に祀られている。(ラカイン州・ミャウウー、2010年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
村の守護神であるナッが、村の出入り口に祀られている。(ラカイン州・ミャウウー、2010年)(c) 筆者撮影
![街道沿いに祀られていたナッ。(モン州・モッタマ、2016年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
街道沿いに祀られていたナッ。(モン州・モッタマ、2016年)(c) 筆者撮影
![掘削中の井戸には、ココナツとバナナが供えられていた。(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
掘削中の井戸には、ココナツとバナナが供えられていた。(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影
![大木の脇に建てられていた小祠。(カレン州・パアン、2003年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
大木の脇に建てられていた小祠。(カレン州・パアン、2003年)(c) 筆者撮影
![ヤンゴンの中華街で見かけたナッの像。(ヤンゴン、2006年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ヤンゴンの中華街で見かけたナッの像。(ヤンゴン、2006年)(c) 筆者撮影
![インド国境が近いタムーとカレーミョウの幹線脇で見かけた小祠。(ザガイン地域北西部タムー~カレーミョー、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
インド国境が近いタムーとカレーミョウの幹線脇で見かけた小祠。(ザガイン地域北西部タムー~カレーミョー、2018年)(c) 筆者撮影
![幹線脇で見かけた小祠の内部。(ザガイン地域・モンユワ、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
幹線脇で見かけた小祠の内部。(ザガイン地域・モンユワ、2018年)(c) 筆者撮影
![エーヤワディー河畔(イラワジ河畔)に立つ大木に捧げられていたお供え物(マンダレー、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
エーヤワディー河畔(イラワジ河畔)に立つ大木に捧げられていたお供え物(マンダレー、2018年)(c) 筆者撮影
![幹線道路沿いに2つの小洞が並んでいた。右の小祠はトタン屋根が壊れていたが、 Thabyey と呼ばれる葉は供えられていた。(モン州・タンビュザヤ、2019年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
幹線道路沿いに2つの小洞が並んでいた。右の小祠はトタン屋根が壊れていたが、 Thabyey と呼ばれる葉は供えられていた。(モン州・タンビュザヤ、2019年)(c) 筆者撮影
![幹線沿いに建つ祠。初めて見る種類だったが、これも「ナッ」だろうか。(タニンダイー地域・ダウェ、2019年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
幹線沿いに建つ祠。初めて見る種類だったが、これも「ナッ」だろうか。(タニンダイー地域・ダウェ、2019年)(c) 筆者撮影
![海に突き出た祠の中に飾られていたのは、やはり「ナッ」だろうか。(タニンダイー地域・ベイッ〈Myeik撮影〉、2019年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
海に突き出た祠の中に飾られていたのは、やはり「ナッ」だろうか。(タニンダイー地域・ベイッ〈Myeik撮影〉、2019年)(c) 筆者撮影
![精霊のナッにはいくつもの伝説が伝わっており、それぞれに合わせてお祭りや儀式が催される。マンダレーの北、タウンビョンの祭礼は有名だが、それ以外にも、それぞれの地方や町、そして村では、ナッに関わるさまざまな集まりが催されている。精霊ナッと人間を仲介するのは「ナッカドー(ナッの妻)」で、時には酩酊状態で踊り回る。(エーヤワディー地域・ニャウドン、2003年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
精霊のナッにはいくつもの伝説が伝わっており、それぞれに合わせてお祭りや儀式が催される。マンダレーの北、タウンビョンの祭礼は有名だが、それ以外にも、それぞれの地方や町、そして村では、ナッに関わるさまざまな集まりが催されている。精霊ナッと人間を仲介するのは「ナッカドー(ナッの妻)」で、時には酩酊状態で踊り回る。(エーヤワディー地域・ニャウドン、2003年)(c) 筆者撮影
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供