ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第9話です。
⑨<かつぐ・運ぶ>
一般的に男性は肩に、女性は頭に荷物を載せて(「頭上運搬」)モノを運ぶことが多い。おそらくその光景はミャンマー(ビルマ)だけでなく、東南アジアでも一般的でもあろう。これらの運搬方法を風俗と呼んでいいのか、あるいは単なる習慣か。よく分からない(もちろん、例外はある)。

(ザガイン地域・カレーワ、2018年)(c) 筆者撮影

(ザガイン地域・カレーミョー、2018年)(c) 筆者撮影

(カレン州・パアン郊外、2003年)(c) 筆者撮影

(エーヤワディー地域・パンタノウ、2023年)(c) 筆者撮影

(バングラデシュ・コックスバザール郊外、ナヤパラ非公式難民キャンプ、2010年)(c) 筆者撮影

(シャン州・インレー河畔、1993年)(c) 筆者撮影

(ヤンゴン・パンソーダン高架橋建設現場、1996年)(c) 筆者撮影

(ヤンゴン・パンソーダン高架橋建設現場、1996年)(c) 筆者撮影

(ラカイン州・ミンビャ、2003年)(c) 筆者撮影

(マンダレー・エーヤワディー河畔、2002年)(c) 筆者撮影

「1996年 ミャンマー観光年」の準備のため、チャイティーヨ・パゴダの参道を整備する。
(モン州、チャイティーヨ・パゴダ、1996年)(c) 筆者撮影

「1996年 ミャンマー観光年」の準備のため、チャイティーヨ・パゴダの参道を整備する。
(モン州、チャイティーヨ・パゴダ、1996年)(c) 筆者撮影

(タイ・クレコー難民キャンプ、1993年)(c) 筆者撮影

(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影

(ヤンゴン中央駅プラットフォーム、1993年)(c) 筆者撮影

(バングラデシュ・コックスバザール郊外、クトゥパロン非公式難民キャンプ、2010年)(c) 筆者撮影

(ラカイン州・ミャウウー、2010年)(c) 筆者撮影

(バゴー地域・ピィ 、2003年)(c) 筆者撮影

(バングラデシュ・コックスバザール郊外、クト
ゥパロン非公式難民キャンプ、2010年)
(c) 筆者撮影

(エーヤワディー地域・ヒンダダ、2006年)(c) 筆者撮影

(モン州・モーラミャイン、2006年)(c) 筆者撮影

モン州からタニンダイー地域にかけては、生ゴムの生産が盛んである。生ゴムを固めてシート状にして倉庫に保管する。(タニンダイー地域・ベイッ〈英語綴り: Myeik〉、2019年)(c) 筆者撮影

(ヤンゴン・ティリミンガラ野菜市場、2012年)(c) 筆者撮影

(カチン州・タフンダム〈ミャンマー最北の村〉、2007年)(c) 筆者撮影

カレンニー民族進歩党(KNPP)のゲリラ兵士が、解体後の牛の肉を前線に運ぶ。(カヤー州、2007年)(c) 筆者撮影

(マンダレー・エーヤワディー河畔、2005年)(c) 筆者撮影

ミャンマーにおける消えゆく民族(現在3名存命)の代名詞ともなった「タロン民族」の一人ダゥイさん(右から2人目)が、ラワン民族の村人と共に山から町に下りてきた。(カチン州・プータオ北部、2007年)(c) 筆者撮影

(カチン州・プータオ北部、2007年)(c) 筆者撮影

(シャン州・チャイントン(ケントゥン)郊外、2005年)(c) 筆者撮影

(タイ・メラモールワン難民キャンプ、1999年)(c) 筆者撮影

(カチン州・プータオ北部、2007年)(c) 筆者撮影

(エーヤワディー地域・パテェイン、2003年)(c) 筆者撮影

(ラカイン州・シットウェー、2007年)(c) 筆者撮影

(カチン州・プータオ北部、2007年)(c) 筆者撮影

「1996 ミャンマー観光年」に向けて、突貫工事で参道整備が進められていた。(モン州、チャイティーヨ・パゴダ、1996年)(c) 筆者撮影

得度式(シンピュー)ために神輿に担がれた男の子が僧院に向かう。(タニンダイー地域・ベイッ〈英語綴り: Myeik〉、2019年)(c) 筆者撮影
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供