ヨルダン川西岸マサーフェル・ヤッタで見た対立と融和
入植被害を受けるパレスチナ人とイスラエル人活動家の取り組み
- 2025/11/25
2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエルへ大規模奇襲攻撃を行い、1200人以上が死傷、250人以上が人質となりました。対するイスラエル軍も同日のうちにガザへの報復に踏み切り、6万人以上の犠牲者が出たと言われています。
今年10月にアメリカのトランプ政権の仲介によって停戦が成立し、人質の解放やイスラエル軍の撤退も一部進んだものの、10月28日夜にはハマスが停戦合意に違反したとしてイスラエル軍がガザで空爆を行うなど、状況は予断を許しません。トランプ政権は2026年初頭をめどに国際安定化部隊をガザに派遣することを目指していると伝えられています。
「10.7」後の2023年12月後半から1カ月半、そして2025年1月後半から約3週間にわたってパレスチナとイスラエルを訪ねたドキュメンタリー写真家の森佑一さんが、ヨルダン川西岸地区で目の当たりにしたイスラエル人による入植活動の実態と、そうした動きに反対し、パレスチナ人の支援に尽力するイスラエル人活動家たちの取り組みを伝えます。
10.7と1948 長く複雑な歴史
イスラエルとパレスチナの対立の歴史は長く、複雑だ。
イスラエルは1948年5月、ユダヤ人国家としてパレスチナ地域に建国された。迫害を受けてきたユダヤ人に安全な故郷を提供することを目指して19世紀末に始まったシオニズム運動の成果だったが、もともとこの地域に住んでいたパレスチナ人たちは土地を奪われることになった。
一方、エジプトやヨルダン、シリアなど、周囲のアラブ諸国は建国を認めず、第1次中東戦争が勃発。イスラエルはこれに勝利し、領土を拡大したため、多数のパレスチナ人が難民となり、「ナクバの悲劇」と呼ばれるようになった。その後も周囲のアラブ諸国との間では戦争が繰り返され、イスラエルによるパレスチナの弾圧や、抵抗するパレスチナ人によるインティファーダ(民衆蜂起)が続いた。特に1967年の第3次中東戦争では、イスラエルがヨルダン川西岸に入植し、ガザ地区を占領するなど、彼の地では何十年にもわたって暴力が再生産されてきたのである。

テルアビブ博物館前の壁面に貼られた無数の人質解放を訴えるポスター。 写っているのは、2023年10月7日に発生したハマスによる大規模奇襲攻撃の際に人質となった人々だ =2024年1月、イスラエルのテルアビブで筆者撮影
筆者は2015年から2年間、青年海外協力隊としてヨルダンに滞在し、2018年にヨルダン川西岸を2週間かけて巡ったことがある。しかし、「10.7」を起点に現地の状況がいっそう深刻化し、それに呼応する形で国際社会も親パレスチナと親イスラエルに分かれて互いへの憎悪を深めつつある様子を見て、日本人という「第三者」の立場にある者としてイスラエルとパレスチナ西岸の双方に足を運び、そこで暮らす人々に会って実情を直接見聞きしたいという思いが筆者の中に日増しに募った。2023年12月、約6年ぶりに世界最古の都市でユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地でもあるエルサレムをはじめ、パレスチナの事実上の首都とされるラマッラー、北部のナブルス、西岸地区のジェニン、イスラエルの首都テルアビブ、イスラエルの港町ハイファ、第二の都市ベエルシェバなどを巡った。そうしたなか、縁あって筆者が強く惹かれるようになったのが、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタだ。

ナブルスのバラータ難民キャンプにある商店の壁には、度重なるイスラエル軍の急襲を受けて亡くなった者たちの在りし日の姿を写した古びたポスターが無数に貼られていた=2018年2月、ヨルダン川西岸ナブルスで筆者撮影
悪化する占領下の暮らし
マサーフェル・ヤッタとは、ヨルダン川西岸の南部の町、ヤッタの周囲に広がる丘陵地帯を指す。 第97回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞し、2024年ベルリン国際映画祭でも2冠に輝くなど、世界的に注目を集めた映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(監督:バーセル・アドラー、ユヴァル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール)の舞台でもあることから、その名を耳にしたことがある人も多いのではないだろうか。
マサーフェル・ヤッタには、乾燥した土漠の丘陵地帯が広がっている。高台に立って辺りを見渡すと、荒涼とした丘の連なりにパレスチナ人集落が点在しているのが見える。
現地で暮らすパレスチナ人の多くは牧畜を生業とし、何十頭もの羊を放牧して育て、羊の乳や肉などにより日々の糧を得ている。一見、パレスチナ人たちがのどかな暮らしを営んでいるような景色とは対照的に、丘の頂上には住宅が密集している。イスラエル人入植地である。
1967年の第三次中東戦争でアラブ諸国に大勝したイスラエルは、ヨルダン川西岸を占領下に置き、もともとパレスチナ人が暮らしていた土地にイスラエル人の街(入植地)を建設してきた。国際連合人道問題調整事務所(OCHA)によれば、現在、こうした入植地はヨルダン川西岸全体で300以上存在し、そこに70万人以上が暮らしていると言われている。

羊の放牧をするパレスチナ人とそこに同行するイスラエル人活動家たち。 丘陵地を巡りながら羊に草を食べさせなければならないが、その際に入植被害に遭うケースも多い =2024年1月、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで筆者撮影
また、入植地から枝分かれし、パレスチナ人集落を取り囲むように次々と建設されているのが、「前哨地」と呼ばれるイスラエル政府非公認の建物だ。過激なイスラエル人入植者が、ここから日夜、パレスチナ人の生活圏までやって来ては、ありとあらゆる嫌がらせや暴力行為におよぶ。こうした行動は「ユダヤ人が神から与えられた土地を取り戻す」ことを名目に、パレスチナ人をその土地から追い出すために行われているという。
取材中、家屋や車を破壊されたり、オリーブの木を伐採されたり、井戸水を汚されたり、暴力や恫喝を受けたりするといった被害を複数の集落で見聞きした。このような被害は以前から発生していたものの、「10.7」以降は一層、深刻化しているという。筆者は2024年1月と、2025年1月の二度にわたり 現地を訪れたが、この1年の間にも状況が悪化している様子がひしひしと感じられた。

過激なイスラエル人入植者により破壊されたパレスチナ人集落の学校。 この集落に暮らしていた約250人のパレスチナ人たちは、入植者の襲撃を受け土地を追われた =2024年1月、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで筆者撮影
マサーフェル・ヤッタでこうした被害が多発している背景には、この地域の行政と治安がイスラエル軍の管轄下に置かれる「エリアC」に位置しており、実質的にイスラエル軍の占領下にあることが挙げられる。つまり、現地で暮らすパレスチナ人たちが過激なイスラエル人入植者から嫌がらせや暴力を受けても、イスラエル軍や警察が加害者である入植者を取り締まることはなく、逆に被害者であるパレスチナ人を何かしらの理由をつけて逮捕、勾留することが常態化しているのだ。
祖国の占領政策に問題意識を抱く若者たち
しかし、苦境下に置かれているパレスチナ人を支援するために、ここマサーフェル・ヤッタを頻繁に訪れるイスラエル人がいるのをご存じだろうか。彼らのほとんどは20代か30代で、各々、それぞれの理由で祖国イスラエルの占領政策に問題意識を抱くようになった若者たちだ。仕事を辞めて何週間も滞在し、活動している者もいれば、平日は仕事に励みつつ、週末のたびにこの地を訪れては活動する者もいる。
彼らの活動は、「プロテクティブ・プレゼンス」 と呼ばれる。読んで字のごとく、「存在することで守る」という取り組みで、イスラエル人の彼らが数人ずつグループに分かれて入植被害が頻繁に発生しているパレスチナ人集落に入り込み、ホームステイすることで、同じイスラエル人である入植者たちの嫌がらせを抑止しようというものだ。食事を共にしたり、雑談を交わしたりしながら共に過ごすが、いざ問題が発生すると現場に急行し、超望遠ズームのカメラやスマートフォンで記録した写真や録画のデータを基に弁護士に相談したり、SNSに投稿したりすることによって国際社会に発信を行っている。

イスラエル人活動家が携帯している超望遠ズームカメラ。 マサーフェル・ヤッタの各所で日夜発生する入植被害の状況を記録するためには欠かせない道具だ =2024年1月、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで筆者撮影
驚いたことに、彼らは皆、パレスチナ人たちとアラビア語でコミュニケーションを取り、信頼関係を築いていた。彼らに同行してパレスチナ人の家にホームステイをした時も、彼らが子どもたちに慕われ、両親から頼りにされている様子が伝わってきた。

ホームステイしていたパレスチナ人宅で出された朝食。 サラダやフライドポテトを付け合わせにアラブのピタパンにオリーブオイルやザータル(ハーブの一種)を付けて食す定番の食事だ=2024年1月、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで筆者撮影
戦闘が続き、憎悪が広がっているこの地のイスラエル人とパレスチナ人の間でこれほど良好な関係性を築くことは、言うまでもなく一朝一夕では成し得ない。そんな彼らの人間としての関係性に強く胸打たれたことこそが、筆者が2年続けてこの地を訪ねた理由だった。
イヤールとサレムの絆
このような関係が築かれ始めたのは、諸外国のNGOやイスラエル人の活動家たちが支援活動の拠点を探すためにマサーフェル・ヤッタを訪れるようになった2000年代初頭にさかのぼる。現地では当時から入植者による嫌がらせや暴力の問題は深刻で、彼らと同じイスラエル人である活動家に不安や恐怖を抱くパレスチナ人も多かったが、彼らが現地に拠点を構え「プロテクティブ・プレゼンス」の活動を開始すると、入植者たちの迷惑行為は減り、多少なりとも状況が改善したという。
活動を重ね、目に見える形で成果が表れるにつれ、現地のパレスチナ人たちはイスラエル人の活動家やボランティアに心を開くようになり、良好な関係性が醸成されていった。

パレスチナ人のサレムさん(左)とイスラエル人のイヤールさん(右)。 二人は数年来の付き合いで、イヤールさんがマサーフェル・ヤッタで活動する際にサレムさんがガイド役を担っている=2025年1月、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで筆者撮影
イヤール・シャニさんも、草の根レベルでパレスチナ人の支援に力を注いできたイスラエル人の一人だ。ヨルダン川西岸にほど近いイスラエル南部の村に暮らす彼は、2008年より足しげくマサーフェル・ヤッタに通い、入植被害を受けたパレスチナ人に支援物資を届け、子どもたちにアクティビティを提供するなど、個人で支援を続けてきた。現在は、志を共にする友人数人と共に活動している。
マインドフルネス瞑想の講師でもあるイヤールさんの願いは、人々の安寧だ。イスラエル人とパレスチナ人の関係性を、より人間的で社会的なものにしたいと取り組んでいるが、現実には、イスラエルとパレスチナを隔てる2つの壁――物理的な壁と、心理的な壁――によって阻まれているという。
そんなイヤールさんに同行して マサーフェル・ヤッタを訪ねた時に知り合ったのが、彼と共に活動しているパレスチナ人のサレム・アル=アドラさんだ。サレムさんは以前、イスラエルに働きに出ていたが、「10.7」によって境界が閉ざされたことから、他の多くのパレスチナ人と同様に職を失ったという。映画「ノーアザーランド」で描かれていたバーセルさんの実の兄でもある彼は今、マサーフェル・ヤッタで毎日のように発生しているイスラエル人入植者による嫌がらせや暴力、イスラエル軍や警察による不当な逮捕や拘束の様子を実の弟と共に記録し、SNSで世界に向けて発信している。さらに、イスラエルや他の国々から支援に来る活動家やボランティア、ジャーナリストのために通訳とガイドも行っている。
イヤールさんやサレムさんと共に過ごしているうちに、現地の人々を「イスラエル人」か「パレスチナ人」か、属性を通して見ようとする意識が筆者の中で薄まっていった。それは、属性を超えて目の前の問題に対処しようと地に足をつけて共に活動する「人間」がいたからにほかならない。

イスラエル人活動家たちが拠点にしている建物。 壁には、パレスチナの絵と共に「この土地には生きる価値のある何かがある」という英文のメッセージが書かれていた =2025年1月、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで筆者撮影
この原稿を執筆している11月現在も、マサーフェル・ヤッタで暮らすサレムさんをはじめ、パレスチナ人の友人やイスラエル人活動家たち のSNSには、過激なイスラエル人入植者による暴力行為を記録した写真や動画が、毎日のようにアップされている。
そして、一人のドキュメンタリー写真家として、こらからも世界各地の紛争地の実情や、戦争という問題の側面はもちろん、その地に暮らす人々の文化や伝統も併せてリアリティを伝えていくつもりだ。
(もり・ゆういち)1985年香川県生まれ。2012年よりドキュメンタリー写真家として活動を開始し、同年5月にデイズジャパン主催のフォトジャーナリズムワークショップに参加。2015年から2年間、青年海外協力隊として中東ヨルダンに滞在し、アラビア語やイスラム教、中東の文化について理解を深めた。
現在は戦時下の国や地域の実情を取材発信している。これまで取材に訪れた国は、ギリシャ、フィリピン、バングラデシュ、ヨルダン、ジブチ、イエメン、ウクライナ、シリアなど。イエメン取材はライフワーク。















