ヨルダンから見るアラブ社会(第4話)
ヨルダンに生きるシリア人の現在地

  • 2025/12/14

 長年にわたり独裁体制を敷いていたシリアのアサド政権が2024年12月に崩壊して丸1年が経った今、中東地域では「帰還」と「行き場のなさ」という、相反する現実が同時に進行しています。多くのシリア人が祖国へ戻り始める一方、国外や避難民で身動きが取れずに取り残されている人々も少なくありません。ヨルダン在住の磯部香里さんが出会った人々の生き様から中東社会のあり方を考える「ヨルダンから見るアラブ社会」第4回では、ヨルダンの首都、アンマンで暮らす二人のシリア人女性の語りを通じて、同国に生きるシリア人の現在地を見つめます。

アサド政権が崩壊した翌日、子どもたちは「Free Syria」という言葉と新政府の国旗を手に書いて喜びを表した(2024年12月、ヨルダンで筆者撮影)

ヨルダンに暮らす140万人のシリア人とヨルダン社会

 シリアのアサド政権崩壊から一年が経過した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、これまで100万人以上のシリア国外避難民が祖国シリアへ帰国した。さらに、シリア国内で避難生活を送っていた約180万人も、紛争前に暮らしていた地域に戻りつつあるという。一方で、依然として約450万人のシリア人が国外で、また700万人が国内で、それぞれ避難生活を続けている。

 ヨルダンにはおよそ140万人のシリア人が暮らしており、そのうち60万人以上がUNHCRに難民登録をしている。ヨルダン政府はシリア危機の初期段階から国際機関と連携し、難民キャンプを設置して国境地域の行政サービスを拡充するなど、迅速に対応してきた。現在、ヨルダンには二つのシリア人向け公式難民キャンプがあり、約20%のシリア人がキャンプ内で、残りの80%がキャンプ外で生活している。

 しかし、難民の多くは農業や建設業などの低賃金労働に従事しており、非公式な雇用も多いため、労働環境や法的保護の面で不安定な状況が続いている。ヨルダンの経済状況が厳しさを増し、失業率も上昇するなか、ヨルダン国民の間では「難民の受け入れが社会の負担になっている」という声も上がっている。

12年にわたる避難生活で募る帰還への思い

 アンマン北部に暮らすラニアさん(仮名)は、ダマスカス郊外のグータ出身だ。この地域は、2013年8月にアサド政権が使用したとされるサリンによる化学兵器攻撃で多くの命が奪われた場所として知られている。現在60歳の彼女は、シリアでは英語教師だった。

 夫と息子とともにヨルダンへ逃れたのは、2013年3月のことだ。陸路でシリアからレバノンへ渡り、そこから飛行機でヨルダンへ入国した。彼女にはヨルダン人の友人がいて、何度かヨルダンを訪れたことがあった。その友人がシリア国内の危険な状況を察して、呼び寄せてくれたという。

 「レバノンやトルコにも多くのシリア人が逃れたけれど、どちらもシリア人に対する感情はあまり良くなく、多くの人が苦労している。それに比べてヨルダン人は親切。シリア人の私たちは労働ビザを取らなければ正規の仕事に就けないという大変さはあるけれど、それでもヨルダンはホスピタリティがあっていい国だと思う」と彼女は語る。

 労働ビザを取得するには高額な費用と雇用主の協力が不可欠であるため、正規の仕事に就くのは難しいのが現実だ。彼女と夫は臨時の仕事をしながら生活をつないできた。

 「シリアに帰りたい気持ちはあるが、家は燃えてしまい、今は壁しか残っていない。ゼロから再建するにはお金がかかる。大学院に通う息子が卒業してシリアで仕事を見つけることができたら、そして私もシリアで働くことができるのであれば、少しずつ生活を立て直していきたい」と、彼女は静かに話す。

 ラニアさんは七人兄妹で、うち4人がドイツ、1人がオランダに避難しているほか、1人がレバノンからシリアに戻り、1人はすでに亡くなっているという。

 「シリアに戻った妹は、とても喜んでいる」と彼女は言う。

 「前の政権下では、近所の人も友人も誰も信じられなかったし、誰もアサドのことを口にできなかった。ヨルダンで話しても、シリアに戻れば逮捕されたり殺されたりする可能性があったため、疑問に思うことがあっても声を上げられなかった。今、シリアにいる多くの人は、家がなくても喜んでいる。バッシャール(筆者注:シリア前大統領のバッシャール・アサド)がいないから」

中央のお皿によそわれているのが、豆ご飯ムジャッダラだ(2025年8月、ヨルダンで筆者撮影)

 そう話しながら、ラニアさんは炒めた玉ねぎをのせた豆ご飯「ムジャッダラ」を振る舞ってくれた。

 「ムジャッダラは、シリアではピクニックの定番のご飯で、春になるとみんなでピクニックに行って、サラダやヨーグルト、ラディッシュと一緒に食べていたの。シリアにいた頃は庭でトマトやパセリを育てていたんだよ」と懐かしそうに語る彼女の表情は、一年前に出会ったときよりもずっと明るかった。

「夫はどこにも戻れない」――サミラさんの現実

 ラニアさんのように帰還に希望を抱く人がいる一方で、帰れない現実に直面しているシリア人もいる。

 アンマンの別の地区に暮らすサミラさん(仮名)は、4人の子どもを育てながら料理で生計を立てている。「日本でレストランを開きたいから、私を連れて行って!」と笑う彼女は、エネルギッシュでパワーにあふれる女性だ。

サミラさんが作ってくれたモロヘイヤ料理とスープ(2025年1月、ヨルダンで筆者撮影)

 出身は、シリア南部のダラー。2013年11月、夫と幼い子ども2人を連れてヨルダンへ逃れた。国境まで車で向かい、徒歩で越えたという。ヨルダン側で待っていた警察に、シリアとの国境近くにあるザアタリ難民キャンプへ連れて行かれた。キャンプには一時的に滞在したが、雨水でぬかるむ環境が健康に良くないと感じた彼女は、キャンプの外に住んでいた姉の家に数日滞在した後、アンマンへ移り住んだ。

 「アンマンの生活は安全で、人も親切。危険な目に遭うことも、他人から干渉されることもない。でも物価が高くて、私一人の収入ではお米すら買えないこともある」

 UNHCRなどからの支援はすでに数年前に終了しており、彼女は一人で家計を支えている。

 サミラさんの夫は一年前、リビア経由で単身、ドイツに渡った。現在はベルリン郊外の収容所で暮らしている。ドイツには約100万人のシリア人が住んでおり、そのうち70万人は難民とされる。彼らと同じように夫も難民登録を行い、仕事を見つけて家族を呼び寄せることを目指していた。

 しかし、アサド政権が崩壊した翌日、ドイツ政府はシリア人の難民申請審査を一時停止した。シリア国内の情勢が不透明であることを理由に、他国からの申請を優先すると発表したのだ。

 「収容所にいるシリア人は、お金さえあればシリアに戻れるが、仕事も収入もない夫は、シリアにもヨルダンにも戻れない。難民申請もできず、八方塞がりでどうしたらいいかわからない」とサミラさんは訴える。

 「もし夫が戻ってきて仕事が見つかったら、親戚や友人に借りている借金を返してからダマスカスに小さな家を買って、幸せに暮らしたい」

サミラさんが住むエリアから見える景色(2025年1月、ヨルダンで筆者撮影)

 ヨルダンに暮らすシリア人のなかには、サミラさんの夫のように、生活の向上を願って家族をヨーロッパへ送り出した家庭も多い。しかし、ドイツをはじめ欧州諸国がシリア人の難民申請を軒並み停止したことを受け、多くの人が途方に暮れている。アサド政権の崩壊は、喜びと同時に新たな混乱と課題を生み出している。

 シリアに帰還した人々がいる一方で、祖国に帰ることも、避難先で安定した生活を送ることもできず、宙ぶらりんな状態に置かれている人々や、その家族がいる。アサド政権が崩壊し、人々が帰還を始めても、シリア危機が今なお終わっていないことを忘れてはならない。

 

著者プロフィール

(いそべ・かおり)ヨルダン在住のNPO職員。静岡県出身。大学卒業後、製薬会社で購買調達および国際事業に従事。仕事の傍ら、ヨルダン・イスラエル・パレスチナを一人で旅したことをきっかけに、中東への関心が深まる。2022年夏に退職し、英国エクセター大学へ進学。2024年に中東政治とアラビア語の修士号を取得した。趣味は旅行、フィルムカメラ、読書。現在、ヨルダンの首都アンマンにて、保護した猫とその子猫たちと共に賑やかに生活中。

 

 

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