原発の処理水放出計画で対日感情が悪化する太平洋地域
不信感を煽って取り込みを図る中国の狙いとは

  • 2023/3/23

 福島第一原子力発電所でたまり続ける放射性物質トリチウム(三重水素)を含んだ「処理水」の太平洋への放出開始が、早ければ2023年7月頃に開始される見込みだ。

 そうした中、太平洋島嶼国の日本に対する信頼が揺らいでいる。大国による核実験や核廃棄物の海洋投棄によってさんざん被害を受けてきたと感じている島嶼国の人々の対日感情が、処理水放出計画で悪化しているためだ。さらに悪いことに、日本の計画は太平洋への覇権拡大を狙う中国にとって格好の攻撃材料になっており、この地域の民主主義国家の団結にひびが入りかねない状況だ。

 大国の「核」に脅かされ続けてきた島国の人々が今回の計画に反発する歴史的な経緯を振り返り、処理水の海洋放出が太平洋の安全保障におよぼす影響を検証する。

東京電力福島第一発電所に所狭しと建設された放射線汚染水タンク群。東京電力と国は、収容能力が限界に近付き、汚染水を処理した安全な水を海洋放出する必要があると主張する。(出典: グーグルマップ)

日本の発信力と対話力の欠如が顕在化

 2011年3月の東日本大震災で巨大津波により被災し、大気や海水、土壌に事故由来の放射性物質を放出した福島第一原子力発電所は、メルトダウンを起こした原子炉を冷却するために、今なお一日に100トン以上の汚染水を生み出している。汚染水とは、薬液による沈殿処理や吸着材によって放射性物質の大部分を除去し、人や環境へのリスクを低減するために設置された多核種除去設備(ALPS)を通過した「処理水」だ。
 しかし、この原発処理水を海洋へ放出することを決めた日本に対し、太平洋島嶼国の国々から反対の声が上がっている。この地域の協力機関である太平洋諸島フォーラム(PIF)は今年2月、日本の処理水の貯蔵能力が限界に近付き、海水放出の実施時期が迫っていることを受けて首脳特別会合を開催した。各国が事態を重く見ていることが伺える。
一部の報道によれば、会合では、ヘンリー・プナPIF事務局長が「日本をPIF域外対話国から外すべきだ」と発言したという。処理水放出を強行するならば、日本を島嶼国の仲間とは認めないというメッセージだ。また、一部の有識者からは放出を止めさせるために国際海洋法裁判所に日本を提訴すべきだという提案も出された。
 PIF事務局長代行のフィリモン・マノニ博士(事務次長)が述べたように、これらの国々は日本政府の説明について「透明性に欠ける」と見ており、「安全性を裏付ける十分なデータと情報が提供されるまで計画に反対し続ける」と表明している。
 しかし、島嶼国側は強硬な姿勢に固執しているわけではない。日本を2月に訪問したプナ事務局長を含むPIF代表団は、「放出の全面禁止を要求しているわけではなく、われわれ自身が安全性について評価を完了するまで時間とデータの提供を望む」と、現実的な要請をした。
 つまり、日本がいずれ処理水の放出を開始することは覆せない既定路線だと受け止めたうえで、硬軟織り交ぜた外交で日本に圧力をかけ、情報の共有を求めるとともに、処理水の放出開始を少しでも遅らせる戦術を採っているように見える。
 外務省はこうした状況に鑑みて「日本は太平洋島嶼国に対し、科学的根拠に基づく説明を行うとともに、継続的に国際原子力機関(IAEA)の評価を受ける」という声明を出した。
 それでも、日本の心証が悪いことは明白だ。政府は在京外交団担当者向けにブリーフィングを行ったり、在日外国報道機関に対して経済産業省・東京電力合同で福島第一原発の現場視察や説明会を実施したりして情報提供に取り組んでいるにも関わらず、成果は挙がっていない。
 島嶼国が懸念するような環境汚染や健康被害が起こるという科学的な裏付けはないにも関わらず、彼らを安心・納得させることに日本は失敗している。わが国の発信力や対話力が弱いことは従来から指摘されているが、今回はまさにその弱点が顕在化したと言える。
 その一方で、処理水の海洋放出に対する島嶼国の反応は、原発事故による放射能汚染の結末を他国に押し付ける日本の「身勝手さ」や外交の拙さだけに由来しているのではない。科学や理屈で説明できない不信感は、取り除くことが難しい。「核」によって生命や生活を脅かされてきた島嶼国の歴史を知らずして、問題の本質は読み解けないのである。

「核実験場」として利用されてきた歴史

 振り返れば、太平洋島嶼国は、大国間の戦争や軍拡競争の中で、常に核問題に翻弄されてきた。まず、米国が1945年8月に広島と長崎に原子爆弾を投下した時に原爆搭載機が発進したのは、旧南洋諸島(現在のパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島)のテニアン島だった。
 日本の敗戦後に太平洋地域における圧倒的な勝者となり、旧南洋諸島を国際連合の信託統治領として手に入れた米国は、マーシャル諸島のビキニ環礁で1946年6月に大気圏核実験を行う。広島大学の小柏葉子教授のまとめによれば、米国は1948年以降、同じマーシャル諸島のエニウェトク環礁でも大気圏核実験を開始。ビキニ環礁では1946 年から1958 年までに水爆実験も入れて計23 回、エニウェトク環礁では1948 年から1958 年までに計43 回の核実験を実施した。

マーシャル諸島で核実験を多数行った米国は、放射性物質を「コンクリートの棺桶」に閉じ込めた。だが今、その格納容器に多数のひびが入っていることが確認されている。(出典: AJ+

 また、中部太平洋に浮かぶ米領ジョンストン島では、1958 年から1962 年までに高空・超高空核実験が計12 回行われ、現キリバス(旧英領クリスマス島)でも、1962 年までに計24 回にわたる高空核実験が行われた。よく知られている通り、1954年3 月にビキニ環礁で行われた水爆実験では、日本のマグロ漁船の第五福竜丸の乗組員が被爆した。

 一方、この地域に多くの植民地を持っていた英国も、オーストラリアのモンテベロ島やエミュー・ジャンクション、マラリンガで、1952 年から1957 年にかけて計12 回にわたる核実験を行ったうえ、クリスマス島と、近接するモールデン島でも、1957 年から1958 年にかけて計9 回の核実験を実施した。

フランスは、1963年に大気圏核実験を禁止する部分的核実験禁止条約(PTBT)が締結された後も、仏領ポリネシアで核実験を長年続行した。写真は、1970年の実験。(出典: ICAN

 その後、米英は1963 年に大気圏核実験を禁止する部分的核実験禁止条約(PTBT)に調印し、南太平洋地域における核実験を中止したものの、フランスは同条約に調印せず、1965年から30年にわたり、仏領ポリネシアのモルロア・ファンガタウファ両環礁で、計193回の核実験を行った。

 こうして大国の核実験場として大いに利用された島嶼国は放射線によって長く汚染され、白血病やがんをはじめ、さまざまな健康被害が島民にもたらされた。たとえば、マーシャル諸島のロンゲラップ環礁では、食用作物が土壌からセシウム137を取り込んでいることが確認された。心筋障害や不整脈などの心臓疾患を惹起しやすい放射性物質だ。また、マーシャル諸島や仏領ポリネシアでは、核実験によって死んだり傷ついたりしたサンゴの表面で増殖する藻類のシガテラ毒を体中に取り込んだ魚を食べることで起こる「シガテラ魚中毒」が長年にわたり劇的に増加した。吐き気・下痢・腹痛などの消化器症状や、めまい・頭痛・筋肉痛・麻痺・感覚異常などの神経症状、さらに心拍数異常などの循環器症状は、調理や加熱では防ぐことができず、島民は苦しみ続けた。

 こうした中、1960年代から島嶼国で始まった脱植民地化の流れの中で、「核」への反発を地域協力の中心に据えて1971年に発足したのが、PIFだった。

 しかし、日本は1980年代初頭、ドラム缶1万個分に上る放射性廃棄物を小笠原諸島の北東に広がる太平洋へ投棄する計画を打ち出してPIFの猛反発を受け、1985年に計画の撤回に追い込まれた。その時に島嶼国が掲げた反対運動のスローガンは、「本当に安全なら皇居のお堀に投棄しろ」だった。

 反対運動の中でPIFは1985年、南太平洋非核地帯条約を締結した。日本の廃棄物投棄計画が、島嶼国を反核で団結させてしまったのだ。こうした背景を振り返れば、島嶼国が今回、原発処理水の太平洋放出計画に激しく反発するのは当然のことだと言えよう。

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