ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く新連載の第5話です。
⑤<アウンサンスーチー>
ミャンマー(ビルマ)出身で一番名の知れた人物といえば、やはりアウンサンスーチー氏であろう。
撮影記録を見直してみると、スーチー氏の姿を初めて撮影した<1996年>以降、<2010年><2011年><2012年><2013年><2014年><2015年><2016年><2019年>と合計9年間、その姿をカメラで捉えていた。

アウンサンスーチー氏は、15年に及んだ一度目の自宅軟禁解除(1995年)後、自宅前で週末の集会を開くようになった。(ヤンゴン、1996年)(c) 筆者撮影

3回目の自宅軟禁を経てようやく自由の身となったスーチー氏(合計21年の囚われの身)は、自らが率いる国民民主連盟(NLD)本部前に姿を現した。(ヤンゴン、2010年)(c) 筆者撮影

3度の自宅軟禁から自由の身となったスーチー氏は、最大都市ヤンゴンを出て初めての行き先としてバゴー地域のNLD支部を選んだ。(バゴー地域バゴー、2011年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)独立記念日の1月4日、国民民主連盟(NLD)本部で記者会見をするアウンサンスーチー氏(ヤンゴン、2012年)(c) 筆者撮影

1985年(~86年)に日本(京都大)に留学していたアウンサンスーチー氏は2013年、27年ぶりに日本を訪れる。その際、滋賀県大津の霊山院(ビルマ釈尊像)を詣でた。(日本・滋賀県、2013年)(c) 筆者撮影

国民民主連盟(NLD)の共同創設者の一人であった、ウー・ウィンティンの葬儀に参列したアウンサンスーチー氏(ヤンゴン、2014年)(c) 筆者撮影

自らの父でもあり「ビルマ建国の父」でもあるアウンサン氏の生誕100周年の日(2月13日)、アウンサンスーチー氏は、父の生まれ故郷で開かれた記念式典に臨んだ。(マグウェ地域・ナッマウ、2015年)(c) 筆者撮影

国民民主連盟(NLD)は、2015年の総選挙に圧勝し、アウンサンスーチー氏はミャンマー(ビルマ)の事実上のトップとなった。
国賓として日本を訪問したスーチー氏は、京都で在日ミャンマー人たちに囲まれた。(日本・京都、2016年)(c) 筆者撮影

2020年秋の総選挙に向けて、ハードスケジュールの全国行脚を続けながら、一般市民に向けて国民民主連盟(NLD)への支持を訴えるアウンサンスーチー氏(タニンダイー地域・ダウェ、2019年)(c) 筆者撮影
<アウンサンスーチー氏を支持する人びと>

1989年~2010年の自宅軟禁の期間、アウンサンスーチー氏を支持する人びとは隠れて、自宅内に或いは店の棚にスーチー氏の写真を飾り、民主主義社会の日々を期待していた。(ヤンゴン、2003年)(c) 筆者撮影

1989年~2010年の自宅軟禁の期間、アウンサンスーチー氏を支持する人びとは隠れて、自宅内に或いは店の棚にスーチー氏の写真を飾り、民主主義社会の日々を期待していた。(ヤンゴン、2005年)(c) 筆者撮影

1989年~2010年の自宅軟禁の期間、アウンサンスーチー氏を支持する人びとは隠れて、自宅内に或いは店の棚にスーチー氏の写真を飾り、民主主義社会の日々を期待していた。(ヤンゴン、2007年)(c) 筆者撮影

ザガイン地域ディペインで2003年5月起こった、いわゆる「ディペイン事件」後の数ヶ月、スーチー氏は行方不明となった。9月になってヤンゴン市内の病院に入院していることを聞き及んだ国民民主連盟(NLD)や民主化活動家たちが、スーチー氏の写真を手にして病院の前に立った。(c) 筆者撮影

軍政下であってもスーチー氏の似顔絵を描き続けていた画家のキンマウンイン氏(U Kin Maung Yin)(ヤンゴン、2005年)(c) )筆者撮影

時の軍政を風刺で批判していたコメディアンの「ヒゲ兄弟一座」代表のパパレイ氏。
自宅を兼ねる演舞場には、スーチー氏との記念撮影写真が飾られていた。(マンダレー、2005年)(c) 筆者撮影

自らが経営する仕立屋の棚に、スーチー氏の写真を堂々と飾っていた筋金入りの民主化支援者のマウンマウン氏(向かって右)(エーヤワディー地域・パテェイン、2006年)(c) 筆者撮影

アウンサンスーチー氏の62歳の誕生日である6月19日、国民民主連盟本部(NLD)には党員や民主化支援者たちが集った。(ヤンゴン、2007年)(c) 筆者撮影

アウンサンスーチー氏の自宅の門扉上に掲げられている「建国の父 アウンサウン」の写真。(ヤンゴン、2011年12月)(C)筆者撮影

アウンサンスーチー氏の自宅の門扉上に掲げられている「建国の父 アウンサウン」の写真は、何度か変更されている。その変更にはスーチー氏の何らかの意図があると推測しているのだが、果たしてそれは何であろうか。(2011年12月)(c) 筆者撮影

アウンサンスーチー氏の自宅を囲む壁と門扉は2011年、クリントン国務長官(当時)の訪問に合わせて改修工事が施された。旧門扉は2015年、競売にかけられ約5000万円の価格で買い取られた。(ヤンゴン、2015年)(c) 筆者撮影
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供