途上国で製造できる特許フリーのワクチン誕生
生命と知財保護をめぐる議論に決着か
- 2022/3/3
先進国と開発途上国の間で、新型コロナウイルスのワクチン格差が拡大している。欧米諸国では国民の6~8割がワクチンを2回接種したのに対し、アフリカ地域ではいまだ1割未満にとどまっている国が多い。特許で守られた高価なワクチンを途上国が割引価格で提供してもらえる仕組みであるはずのCOVAXは上手く機能していない上、無償で寄付されるワクチンは期限切れ直前の「売れ残り」が多いなど、生命が軽視されている状況だ。そうした中、特許権を完全に放棄し、途上国で自由に生産・配布できるワクチンの開発が最終段階に入っており、期待を集めている。どのような仕組みなのだろうか。
市場原理が供給を支配
先進国では、ワクチン接種を強いられることを拒否する人々が、しばしば話題に上る。途上国でも接種拒否が問題になっているのは事実だが、それよりもはるかに深刻なのが、ワクチンの供給不足の問題である。ワクチン購入に充てられる予算が少なく、より裕福な国に競り負けしてしまう上、寄付やCOVAX を通じて安価で購入できるワクチンの絶対量が不足しているためだ。途上国の人々の生命は軽く見られていると言っても過言ではない。
約2億人の人口を擁するアフリカ西部のナイジェリアは、国民の接種率がわずか2%にとどまっているにも関わらず、最近、100万回分ものワクチンを廃棄せざるを得なかった。寄付された時点で期限切れ直前だったため、接種が間に合わなかったのだ。さらに、中央アフリカに位置するコンゴ民主共和国も、COVAXから供給された130万回分のワクチンを同様の理由で捨てている。東アフリカのブルンジでも、受領した50万回分のうち、接種できたのは1%未満だったと言われる。
他方、どうしても新鮮なワクチンを入手したかったアフリカ南部の内陸国ボツワナは、モデルナ製ワクチンを1回あたり29ドルと、先進国の市価よりも高い値段で、50万回分、買い付けた。結局のところ、ワクチン供給を支配しているのは、人命優先でも国際協調の思想でもなく市場原理であることを示すエピソードだ。だが、ボツワナのように高い代価を支払ってもなお、感染の波に追いつくように迅速に届けられるとは限らないという。
国際慈善団体の連合体である「民衆のワクチン連盟」(People’s Vaccine Alliance)によれば、先進国ですら、政府が優先的に接種を推進しようとする足元を見られ、ワクチンは原価の最大24倍の価格で販売されているという。
こうしたワクチン供給の構造的な問題の主因として一様に指摘されるのが、開発企業の知的財産権を保護しようとする結果として生じる市場の寡占(かせん)状態だ。知財がボトルネックとなって生産量が制限されて価格が高騰し、製薬企業が高い利益を独占する。それだけではない。供給が細り、接種が遅れることによって、不必要に感染者と死亡者を増やしているとの主張もある。
また、知財の保護によりワクチン接種が高価で希少なものになる一方、ブラックロック、バンガード、ステートストリートといった大手運用企業が製造企業ファイザーの公開済み株式の75.1%、ジョンソンエンドジョンソン(J&J)の68.1%を保有し、潤い続けるという歪んだ経済構造が道徳的に間違っているとの声は根強い。
ノウハウの移転を阻む壁
こうした状況を受け、インドや南アフリカは「このままではいつまで経っても知財保護を理由にワクチン接種が普及せず、国民の生命がリスクにさらされ続ける」として、2020年10月に開かれた世界貿易機関(WTO)の会合の席上、新型コロナウイルスワクチンや治療薬を「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS)の適用から一時的に外すように訴えた。この提案に賛同する国々は、その後、100カ国以上に上っている。
これらの国々が求めているのは、知財保護を一時停止してワクチン開発と製造に関するノウハウを途上国に移転可能にすることで、現地で必要なワクチンを安価に製造したいということだ。
しかし、これについては、ドイツをはじめ、特許権を保持している欧州連合(EU)や先進諸国が「コンセンサスが得られない中で決定を急ぐのは時期尚早だ」と反対したため、実現のメドはまったく立っていない。当初、反対を表明していた米国は2021年5月、支持に回ったものの、具体的な行動にはいたっていない。WTOでは、一国でも反対があれば知財の一時停止は実現しないと定めているため、米国の「支持」は単なるジェスチャーに過ぎないと見られている。
先進国に対し、「途上国の人命より欧米多国籍企業の利益を優先している」との批判が寄せられるのは、そのためだ。非営利団体アムレフヘルス・アフリカのエリザベス・ントンジラ氏は、「アフリカのワクチン接種を遅らせることで、従前から存在した抑圧と非平等のサイクルが恒久的に繰り返される新植民地主義が見られる」との見解を表明している。
こうした批判に対しては、先進国側や開発企業にも言い分がある。たとえばファイザー関係者は、「現地で製造するパートナーを見つけることは容易ではない。不純物が混じらない水や、安定した電力の供給が必要だし、従業員がすぐに辞めない場所も多くはない」「現地で製造しても、少量生産で利益が出なければ、コストを価格に転嫁しなければならなくなる上、技術移転自体にも時間がかかる。インフラやサプライチェーンの整備も必要だ」と述べ、先進国で大量生産することが最も効率的だと示唆した。
ちなみに、同社のメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは、19カ国から輸入した280種もの原材料から作られている。
注入や包装の現地化の動き
このように、途上国のワクチン接種の促進をめぐる議論は平行線をたどり、足踏み状態が続く。しかし、わずかながら進展も見られる。
まず、総額3兆5000億ドルを運用する65の機関投資家が、1月に連名で「製薬企業幹部の報酬レベルは世界中でワクチンを入手できるようにした成果と連動させるべきだ」という書簡を製薬大手に送付したと、英『フィナンシャル・タイムズ』紙が伝えた。社会正義を要求する「物言う株主」が、ワクチン問題に関しても発言を始めたのだ。現時点では影響力は小さいと見られるが、こうした動きは拡大してゆくだろうと専門家は予想する。
さらに、国境なき医師団や、人権団体のヒューマンライツウォッチは、バイデン政権に対して「モデルナなどワクチン開発企業に向けて大統領令を発出し、製造技術の移転を強制すべきだ」と要求している。知財の一時停止に賛成を表明した後、実際に動いていないバイデン大統領だが、このような形で世論を喚起する意義は小さくない。
一方、新型コロナウイルスのワクチンを米ファイザーと共同開発した独ビオンテックは、今年2月、ワクチンを比較的簡単に製造できるコンテナ式のワクチン工場をルワンダとセネガルなどに納入する計画を発表した。この計画は、知財の移転を伴わず、パートナー企業が現地で容器に注入・包装するだけの作業だが、それでも年間約5000万回分のワクチンを生産できるようになるという。またファイザーとビオンテックは、南アフリカのバイオバック研究所とも提携し、同じようにワクチンの容器注入の最終工程を現地で行うことを発表した。