ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第12話です。
⑫<刺青>
ビルマ(ミャンマー)の刺青は、もともと中国南部から北東部シャン州に入り、そこから全国に広がったといわれている。ミャンマーにおける刺青の役割は、日本で言うところのお守り(護符)であり、魔除けや厄払いなどに相当する。
ミャンマー全土を動き回っていると、どの町や村においても、男性の多くは身体のどこかに刺青を入れている。ちなみに、ミャンマーの古いことわざに、「結婚すること、仏塔を建立すること、そして刺青を入れることは、後から大変な苦労をしてしか変えられない3つの事柄である」という言い伝えがある。その言葉が示す通り、昔はいったん刺青を入れてしまうと、それを消すのはなかなか大変であるという認識もあったが、現在は、伝統的な厄除という効果よりファッション性が重要視されているようである。

膝から太股、さらに腰の辺りまでびっしりと描かれた伝統的な刺青。いったい、身体のどの部分まで刺青が描かれているのか興味が尽きず、下着をとってもらえないか頼んでみると、快諾してもらって撮影した。(2003年)(c) 筆者撮影

英国による植民地支配に対し、1930年末から32年にかけて重税への抵抗と伝統的共同体の復興を目指した農民の大叛乱が起こった。英国の近代的な植民地軍の武器に対し、叛乱農民は竹槍と刀だけで立ち向かった。その際、「ガロンの刺青」(インドの神話の鳥ガロン)をしていれば英軍の銃弾から身を守ることができると信じられていたと聞き、伝説の「ガロンの刺青」を見ようとバゴー地域のターヤワディーを訪れた。しかし、紹介された老人の太股の刺青を確認してみると、どう見ても「ガロン」ではない。改めて紹介者に「サヤーサンのガロンの刺青が見てみたいのですが」と尋ねると、「10年ほど前だったら、確かにガロンの刺青をした人がいたのですが。もう少し早く来てくれていれば確実でしたよ」とのことだった。(バゴー地域・ターヤワディー、2003年)(c) 筆者撮影 ※画像を一部、修正しています。

伝統的な紋様とファッション性を兼ねたような刺青(エイヤーワディー地域・ミャウンミャ、2006年)(c) 筆者撮影

町中の路上の刺青屋さん(ヤンゴンの下町、1996年)(c) 筆者撮影

縁日の刺青屋さん(ヤンゴン・インセイン、2003年)(c) 筆者撮影

縁日で店を開く刺青屋さん。多種多様な紋様を並べる。(マグウェ地域・ナッマウ、2015年)(c) 筆者撮影

女性の刺青の中でも、チン人女性の顔の刺青は特に有名だ。(チン州・カンペレッ、2003年)(c) 筆者撮影

ひと家族、3代にわたるチン人女性たち。向かって一番右の若い女性には刺青はなく、隣のおばと祖母には刺青が彫られている。チン人女性の顔に刺青を入れる伝統は、あえて娘の外見を「奇異」に見せることで、ビルマ民族やインドの豪族からさらわれないようにするという親心から生まれたのだという。それがいつの間にかチン人女性のアイデンティティーの一つとして語られるようになった。苦痛をともなう刺青を入れるかどうか、自分で決定できない状況は、チン人女性にとっては不条理でしかないと言えよう。(チン州・カンペレッ、2003年)(c) 筆者撮影

チン人女性の顔の刺青はよく取りあげられるが、はたして彼女たちの配偶者はどのような人物なのだろうか。配偶者と一緒に写真に収まってもらった。(チン州・カンペレッ、2003年)(c) 筆者撮影

ナガ民族の女性も顔に刺青を入れていた。(ザガイン地域・ナガ民族自治区、2018年)(c) 筆者撮影

ピックアップ・トラックの荷台に同乗したナガ人女性の脛に刺青があった。(ザガイン地域・ナガ民族自治区、2018年)(c)筆者撮影

背中いっぱいに仏教関係の刺青を入れた男性(シャン州・インレー湖、1998年)(c) 筆者撮影

肩から両腕にかけて文言の刺青を入れた、バスのチケット売りの男性。(マグウェ地域・チャウ、2007年)(c) 筆者撮影

1988年の民主化運動の時に、アウンサンスーチー氏も共同創設者の一人だった国民民主連盟(NLD)のシンボルマークである「闘う孔雀」の刺青を入れた男性。(マンダレー地域・パガン、2003年)

「ビルマ建国の父」であるアウンサン(アウンサンスーチー氏の父親)の刺青を入れた男性。(ヤンゴン・インセイン、2003年)(c) 筆者撮影

インと呼ばれるまじない(四角形)と FREEDOM (自由)の刺青を入れた男性。(エーヤワディー地域・パテェイン、2007年)(c) 筆者撮影

カレン民族のシンボルである「太陽・角・太鼓」の刺青(エーヤワディー地域・パテェイン、2003年)(c) 筆者撮影

男性の太股にびっしり入れた刺青の写真を撮っていたら、「女性も刺青を入れてますよ」という声がかかった。その女性に「どうして太股に刺青を入れたのですか」と尋ねると、「好きな人だけに見せるために」という答えが返ってきた。(2003年)(c) 筆者撮影

2021年にミャンマー国軍が起こした憲法違反のクーデターに対して、都市部に住むビルマ民族(ミャンマー民族)の多くの若者が、少数民族の武装抵抗集団に加わり武装抵抗を始めた。(タイ国境付近、2022年)(c) 筆者撮影 ※画像を修正しています。

ビルマ語(ミャンマー語)で「春の革命」を意味する刺青を入れた男性。2021年にミャンマー国軍が起こした憲法違反のクーデターに対して、都市部に住むビルマ民族(ミャンマー民族)の多くの若者が少数民族の武装抵抗集団に加わり、武装抵抗を始めた。(タイ国境付近、2022年)(c) 筆者撮影 ※画像を修正しています。

ミャンマー(ビルマ)の新年にあたる4月に毎年行われる「水かけ祭り」の舞台。ロック音楽に合わせて踊り続ける若者たちは、ファッションの一部として刺青を入れていた。(ヤンゴン、2010年)(c) 筆者撮影
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供