アフガニスタンの女性監督2人が記録する抵抗と日常
消されゆく現実を、記録する
- 2026/10/8
タリバンがアフガニスタンで再び政権を掌握してから、今年8月で丸5年。その節目に、2025年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された2本のドキュメンタリー映画が全国で順次公開されました。厳しい状況のなか、カメラを回し続けた2人のアフガニスタン女性監督による作品です。山形で2作品に出会い、監督本人にも話を聞いたライターの本山光さんが、それぞれ異なる方法で描かれた女性たちの抵抗と日常を手がかりに、「記録すること」の意味を考えます。
2021年、タリバンがアフガニスタンで再び政権を掌握して以降、女性の教育や就労をはじめとする権利は大きく制限されてきた。そんななか、危険を冒してカメラを回し続けた2人の女性監督がいる。母親が文字を学ぶ日常を記録した『ハワの手習い』のナジーバ・ヌーリ監督と、女性の権利を求めて声を上げる活動家を追った『撃たれた自由の声を撮れ』のザイナブ・エンテザール監督だ。描き方の異なる2作品に共通するのは、消されかねない現実を記録し、残そうとする切実な思いだ。2人はなぜ、危険を冒してまでカメラを回したのか。映画と監督自身の言葉から、記録することの意味を考える。
なぜ彼女たちは命懸けで映画を撮るのか
強権的な国で映像製作者として活動することは命懸けだ。タリバンが政権に復帰して以降、その危険性は飛躍的に高まった。だが2人の監督は映画を撮影し完成させた。
今では、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、世界各地のスクリーンで上映される機会を得ている。しかし、こうした広がりが約束されていたから彼女たちが撮影に挑んだわけではない。
彼女たちを突き動かしたのは、放っておくと消されてしまう自分たちの営みを、記録し残したいという思い。そして、記録し残すことが抵抗の手段という切実な思いだ。
「なぜ命を賭して撮るのか」。その問いに関連する2人の言葉から、彼女たちの思いがうかがえる。
ナジーバ・ヌーリ監督 「迫害にもかかわらず、ハザーラの人々は豊かでしなやかな文化を守り続けてきました。ハザーラギー語、教育を重んじる姿勢、そして刺繍や手工芸といった伝統は、アイデンティティの中核を成しています。こうした文化的な営みを守り続けることは、単に生計を維持する手段であるだけでなく、今なお続く不正義に立ち向かうための、強力な抵抗であり、自己保存のかたちでもあるのです」
※筆者注:ハザーラ(ハザラとも)は多民族国家アフガニスタンで迫害されている少数民族の1つ
ザイナブ・エンテザール監督 「私たちは、こうした現実をカメラに記録することには大きな責任が伴うことを理解していました。そして、自分たちにこの現実を記録できる力があるのなら、たとえ命を危険にさらすことになっても、それを記録しなければならないと考えていました。私たちの目的は、人々の声や起きている出来事が歴史から消し去られてしまわないようにすることでした」
ナジーバ・ヌーリ監督『ハワの手習い』
世代を超えて奪われる「学ぶ権利」
本作は多民族国家アフガニスタンに住む少数民族ハザーラ人の女性ハワの物語だ。同時に、ハワと、娘で本作を撮ったナジーバ監督、孫のザハラーという、女性三代の物語でもある。ザハラーは、ナジーバ監督の姉ファティーマの娘で、監督の姪にあたる。
ハワは13歳の時に、30も上の男性と結婚した。父親が決めてきた結婚を拒否する自由は事実上なかった。最初は夫のことを「おじさん」と呼び、夫の腕時計を遊び道具にしていた。やがて息子らと娘らをさずかると子育てに没頭した。ハワは自身が教育を受けることができなかった後悔から、子どもたちを熱心に教育し、自分の力で生きる術を与えようとした。ナジーバは長じてジャーナリストになって期待に応えた。
ナジーバはアフガン各地の生活や文化をテーマにカメラを回すなか、子育てを終えた母が新しく自分の道を歩むために、読み書きを覚えて、手工芸品の仕事を始めようとする姿を撮影するようになる。家の壁にホワイトボードを吊るし、子どもたちの協力を得ながら、文字を書いては消して練習する様子に、その懸命さが現れている。
ナジーバ・ヌーリ監督 「ハワの世代の女性たちは、家父長制のもとで苦しめられてきました。教育を受ける機会、家の外に出て働く自由がありませんでした。それでも彼女たちは、夢見ることをやめなかった。たとえその夢を実現する機会を奪われても、いつか叶える日を願いながら、胸の内に抱き続けてきました。ハワと同じように、多くの女性たちは、行く手に立ちはだかる障害にもかかわらず、自らの志を手放しませんでした」
このままハワの手習いの上達が順調に進んでいくかと思えた矢先、暗雲が立ち込める。復権を目指すタリバンが徐々に勢力を拡大し、ハワらが住む首都カブールに迫ったのだ。
作品を知るうえで、20世紀後半のアフガニスタンがたどった歴史の概略を押さえておきたい。
アフガニスタンでは、1978年のクーデターで成立した共産政権の急進的な改革や弾圧などへの反発から、国内の混乱が拡大した。1979年には共産政権を支えるためソ連が軍事介入。ソ連軍は10年弱にわたって激しい抵抗を受け、撤退した。戦後はその抵抗勢力らによる抗争が続くなかで、イスラム主義のタリバンが台頭。彼らは1990年代に政権を掌握し、厳格なイスラム法の解釈に基づいて女性の教育や就労などを厳しく制限した。2001年のアメリカ同時多発テロ事件後、テロリストをかくまっているとしてアメリカの侵攻を受け、タリバンは政権を追われたものの、その後も抵抗を続けた。2021年、アメリカ軍の撤退が進むなかで、彼らは再び全土を掌握した。
イスラム主義組織のタリバンが再び政治の主導権を握れば、かつてのように女性の権利が制限されかねない。そんな不安が現実味を増していくなか、ハワは10年ほど音信が途絶えていた孫のザハラーと再会する。
ザハラーは母の離婚の際に父親に引き取られ、その一家のもとで暮らしていた。しかし、父親の暴力を理由に逃げてきたのだった。ハワは彼女を引き取って、教育の機会を与えようと奮闘し、首都カブールで手に入るきらびやかなアクセサリーと服を買ってかわいがった。まるで自身の少女時代を省みているかのように。
ナジーバ・ヌーリ監督 「アフガニスタンでタリバンが再び政権を握ったことで、すべての人の生活が変わりました。とりわけ女性たちの。最も深刻な影響を受けているのがザハラーの世代です。彼女たちは、最も基本的な権利を奪われてきました。未来を形づくり、人生を大きく変える力を持つ“教育を受ける権利”が奪われています。この映画では、ハワがかつて経験したのと同じ不正義が、いま再びザハラーの人生のなかで繰り返されていることを描いています。歴史は、再び繰り返されているのです」
映画の形式としては、監督が自身の母親を題材にするプライベートなドキュメンタリーである。身内に許される距離感で、飾り気のない会話が展開され、アフガニスタンの女性の暮らしが映し出される。だからこそ、タリバンの復権によって、劇中で銃声こそ響かないものの、それまでの日常が足元から崩れていく様子が、より恐ろしく迫ってくる。
銃を持ち、暴力を振るう権力に市民が抵抗する手段として、カメラは大きな力を持つ。それを理解しているタリバンは、ジャーナリストやメディアへの弾圧を強めてきた。映画の終盤、身の危険を感じたナジーバ監督は、アフガンを脱出せざるを得なくなる。ハワの撮影の続きは、兄のアリーに託すほかなかった。
2021年にタリバンが復権してから、彼らは女性の権利も尊重するとのメッセージを発し、国際社会の理解を得ようとした。しかし、その後のハワやザハラーたちの姿を映した本作からは、その発表とは異なる現実が浮かび上がる。
ザイナブ・エンテザール監督『撃たれた自由の声を撮れ』
若い女性たちの抵抗と冷ややかなまなざし
2021年、アメリカ軍がアフガニスタンから撤退するなかでタリバンが再び国の実権を握った。欧米型の民主主義国家から、イスラム主義国家へと大きく体制が変わり、女性たちの自由が次々と制限されていくなか、女性の権利を訴えるラシュミンは自ら先頭に立ってデモを指揮した。本作は、そんな彼女を追った記録である。
ラシュミンを中心に集まった女性たちは、街頭や学校の前でシュプレヒコールを上げる。対してタリバンは催涙ガスを発射し、空砲を撃って威嚇した。ラシュミンはタリバンの目をかわすために引っ越しを繰り返し、居所をつかまれないようにする厳しい生活を強いられている。ある時はタリバンに追い立てられ、散り散りになって逃走し、街の商店に逃げ込んでやり過ごしていた。その様子を、カメラを手にするザイナブ・エンテザール監督が追う。
ただ、彼女の活動は、すべての市民から賛同を得られているようには見えない。もちろんタリバンの目が光る街中で、デモに加わることは難しいだろうが、少なくともラシュミンが乗り込んだタクシーの運転手はデモに好意的には見えない。
ザイナブ・エンテザール監督 「人々の反応は本当にさまざまでした。私たちを勇敢だと評価し、励ましてくれる人たちもいました。一方で私たちを嘲笑し、“そんなことをしても無駄だ”、“女性も耐えなければいけない”と言う人もいました。
残念ながら、そのような考え方はアフガニスタン社会に広く存在しています。長年にわたる戦争や、伝統的な家父長制の社会構造、そして十分な教育を受ける機会の不足によって、多くの男性が“女性はどんなことにも耐え、黙って従うべきだ”と考えるようになっています。
一部の女性も、恐怖や文化的な圧力を当たり前のものとして育ってきたために、ある程度はその考え方を受け入れてしまっています。
しかし、アフガニスタンの若い世代の女性たちは、こうした価値観を強く拒んでいます。彼女たちは教育を受け、働き、自らの権利についての意識を深めてきました。そして、この二つの価値観の衝突こそが、現在のアフガニスタン社会における大きな社会的緊張の一つとなっています」
彼女たちは決死のデモに及ぶが、多くの市民は普通の生活を営んでいる。世の中が180度変わっても、ある程度は社会が回っていく。ついこの間まで当たり前にあった「女性が教育を受ける権利」が損なわれているにもかかわらず。そのギャップのリアリティーが映像から迫ってきて、見ていて寒気がする。
ラシュミンの活動に賛同しない普通の男たちは、差別行為に加担していると言ってしまえるのだろうか。そして、もしかしたら映画を見ている自分も、広義にそれに加担してしまっているのだろうか。答えの出ない問いを繰り返してしまう。
ザイナブ・エンテザール監督 「表面的には、多くの男性は以前とあまり変わらない生活を送っているように見えます。仕事をしたり、学んだり、比較的自由に移動したりすることもできます。
しかし、実際には彼らの生活も大きく変わっています。社会全体が恐怖に支配され、経済は崩壊し、人々は常に精神的な重圧のなかで暮らしています。また、多くの男性は、自分の妻や姉妹、娘たちが基本的な権利さえ享受できない現実を前に、無力感や恥ずかしさを感じています。
男性の方が自由に見えるかもしれません。しかし、人口の半分を占める人々が声を奪われた社会が正常に機能することはありません。その影響は、結局のところ社会のすべての人々に及んでいるのです」
活動家のラシュミンは、映画の終盤でついにアフガニスタンを追われる。そして逃れた先のフランスで活動を続ける様子が映し出される。
彼女たちが未来へ残そうとしているもの
タリバン復権の前後について、両監督は、ジャーナリスト、映像制作者として記録する意味と合わせて次のように話す。
ナジーバ・ヌーリ監督 「タリバンによる政権掌握以前、女性ジャーナリストであり映画作家としての私の人生は、まったく異なるものでした。私はカブールで自由に働き、さまざまな州を旅しながら、主に女性の問題に焦点を当てた取材を行うことができていました。それらの物語は力強く、そして必要不可欠なものでした。アフガニスタン国外のメディアでは、ほとんど取り上げられることのない物語です。
あまりにも多くの場合、アフガニスタンは、女性を単なる被害者として描く、いくつかの決まりきったイメージを通してしか語られません。しかし私にとって、祖国の女性たちは、世界で最も強い存在の一つです。深い苦しみを経験しながらも、歴史を通じて抵抗し続け、最も暗い時代にあっても希望を手放さずに生きてきた女性たちなのです」
ザイナブ・エンテザール監督 「アフガニスタンでジャーナリストや映像制作者として活動することは以前から危険を伴う仕事でしたが、タリバンが政権に復帰して以降、その危険性は飛躍的に高まりました。厳しい検閲や撮影の禁止、逮捕や脅迫、暴力の絶え間ない脅威、撮影機材の没収や映像データの削除、公共の場での厳しい監視、人々がカメラの前で話すことを恐れていること、自宅のなかでさえ安全が保証されないこと、といった困難にさらされたのです。
こうした状況では、ほんの短い映像を記録することさえ、大きな危険を伴います。しかし、その瞬間を記録しなければ、そこで起きている現実は誰にも知られることなく、歴史のなかに埋もれてしまうでしょう」
彼女たちが未来へ残そうとしているものは何か。そして私たちは映画から何を受け取ることができるのか。
放っておけば消されかねない人々の現実と暮らしを、誰かが記録しなければならない。そうしなければ、誰もが望むように生きられる明るい未来を目指すことはできない――。2人の作品は、そんな警鐘を鳴らしているようにも思う。
そして、その記録を受け取った私たちもまた、そこに映し出された現実と無関係ではいられない。消されかねない人々の声を受け取り、少しでも広め、残していくこと。その営みのなかにこそ、未来を切り開く可能性があるように思えてならない。
『ハワの手習い』
監督・撮影:ナジーバ・ヌーリ
共同監督・撮影:ラスール(アリー)・ヌーリ
製作:クリスティアン・ポップ
編集:アフサネ・サラリ
制作:TAG Film
日本語字幕:佐藤まな
配給:東風
フランス、オランダ、カタール、アフガニスタン|2024年|85分|ダリ―語|DCP|英題:Writing Hawa
公式サイトURL:https://tofoofilms.co.jp/afghan/hawa
ナジーバ・ヌーリ(Najiba Noori)プロフィール
1995年、アフガニスタン、バーミヤン生まれ。15歳から報道機関でボランティアを行う。カブールで写真・映画制作のワークショップに参加。作品がAFP、ハフィントン・ポスト、国境なき医師団、母子のための仏医療機関 (FMIC)、ノルウェー難民評議会、国連女性機関のアフガン事務所などで紹介される。2020〜2021年の「クロース・アップ」 プログラムや2022年のオランダのIDFA Academyに参加。2019年からAFPでビデオジャーナリストとして活動。2021年、タリバン復権を受けアフガンを離れ、現在はフランス在住。本作が初のドキュメンタリー作品となる。
『撃たれた自由の声を撮れ』
監督・撮影・製作:ザイナブ・エンテザール
編集:モハマド:サミプール
制作:Lumier Film
日本語字幕:吉田ひなこ
字幕監修:後藤絵美、アウィード
配給:東風
アフガニスタン|2024年|70分|ダリ―語|DCP|英題:Shot the Voice of Freedom
公式サイトURL:https://tofoofilms.co.jp/afghan/shot
ザイナブ・エンテザール(Zainab Entezar)プロフィール
アフガニスタンの映画作家、プロデューサー、ライターで、国際映画祭で審査委員も務める。2014年に短編『Maryam』でデビューし、続く『House (Home)』(2016)はロカルノ国際映画祭で公式上映作品に選定された。『Bicycle』(2016)や『Rise and Shine』(2023)など、以後の作品も170以上の国際映画祭で上映され、多くの賞を受賞。最新長編ドキュメンタリーとなる本作は、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭でのプレミア上映以降、多くの映画祭で上映され、複数の賞も受賞している。現在は亡命生活を送りつつ、アフガニスタンの女性たちの声を世界に向けて広め、届ける映画制作や執筆活動を継続している。
(もとやま・ひかる)1982年生まれ、群馬県出身、幼少期をアメリカ・イリノイ州シカゴで過ごす。早稲田大学第一文学部卒業。築地市場内業界誌、遺跡発掘、編集プロダクション勤務を経て独立、現在はJBpress Innovation Reviewなどで活躍。主な執筆・制作書籍に、『地図でスッと頭に入るアメリカ50州』と同シリーズの欧州編、中東イスラム編、ロシア編、『面白いにもほどがある! 昭和世代 熱狂の記憶』(昭文社)がある。趣味は山形国際ドキュメンタリー映画祭通い。好物はゴーヤーチャンプルー。

















