ロヒンギャを見つめた9年 「伝えて」と託された声を小説に
『「0825」に私たちは殺され続ける あるロヒンギャ夫婦の物語』の著者・今泉千尋さんに聞く
- 2026/8/15
ミャンマー西部ラカイン州に多く暮らす少数派イスラム教徒ロヒンギャ。長年にわたり市民権を認められず、差別と迫害に苦しめられてきた。2017年8月、ラカイン州北部で武力衝突が起きると、多くの村が焼かれ、人々は険しい山中を歩き、あるいは粗末な船で川を渡って隣国バングラデシュへ逃れた。その過程で命を落とした人も少なくない。難民キャンプにたどり着いた人々も、虐殺や性暴力などによって負った心身の傷を今なお抱えている。
そんなロヒンギャの人々を描いた小説『「0825」に私たちは殺され続ける あるロヒンギャ夫婦の物語』がこの夏、出版される。一組のロヒンギャの夫婦を軸に、難民キャンプで生きる人々の人生が交錯する群像劇だ。
著者は、2017年から9年にわたりロヒンギャを取材し、バングラデシュの難民キャンプにも通い続けてきた今泉千尋さん。数え切れないほどの人々の声に耳を傾け、多くのルポルタージュを発信してきた今泉さんは、なぜ今回、ノンフィクションではなく、小説という形を選んだのか。そこには、現地で何度も託された「伝えてほしい」という言葉への、一つの答えがあった。
「伝える」ことの原点
2017年8月25日、長年続いていたロヒンギャへの迫害が急激に悪化する出来事が起きる。ロヒンギャの武装勢力、アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)がラカイン州北部の警察施設など約30カ所を襲撃。これを受け、ミャンマー国軍はARSAの掃討を掲げ、大規模な軍事作戦に踏み切った。
多くの村が焼き払われ、殺害や性暴力の被害が相次いだ。この時、隣国バングラデシュに逃れたロヒンギャは、75万人以上に上る。
後に「ロヒンギャ危機」と呼ばれるようになるこの出来事を知った今泉さんは、日本で暮らすロヒンギャの多くが住む群馬県館林市で取材を始めた。翌2018年1月には、初めてバングラデシュの難民キャンプを訪問。以来、コロナ禍の時期を除いて毎年1~2回、キャンプへ足を運び、人々の暮らしや人生に耳を傾けてきた。
現在は、後期博士課程にも籍を置いてロヒンギャの研究を続けている今泉さん。人々が歴史をどのように記憶し、語り継いでいるのかを探ろうと、高齢者などへの聞き取りを行っている。

バングラデシュ南東部にあるバルカリ難民キャンプ。周辺には複数のキャンプがあり、合わせて約116万人のロヒンギャ難民が生活する(2025年7月、今泉さん撮影)
今泉さんがこれほど一貫してロヒンギャと向き合い続ける原点には、大学院時代の苦い経験がある。
日本企業での勤務などを経て、大学院で平和学とメディアを学んでいた2012年、ミャンマーのラカイン州で起きたある事件をきっかけに、ロヒンギャとラカイン人の間で衝突が広がった。そんななか、今泉さんはSNSでたまたま目にしたロヒンギャに関する投稿を、内容を十分に確かめないままリポストした。ところが、友人からの指摘で、それがロヒンギャの人たちを不当に非難するフェイクニュースだったことを知ったという。
「善意で拡散したつもりが、結果的に誤った情報の流布に加担してしまった。その経験がずっと心に残っていました」
自分は何を信じ、どう伝えるべきなのか――。その問いこそが、ロヒンギャの人々と向き合う原点になった。
気が付けば9年。この間、現地で出会った人々からは、繰り返し「世界に伝えてほしい」と託されてきた。性暴力の被害を語った女性も、その一人だった。
そうした声は、取材を重ねるほどに積み重なっていった。
300枚のノンフィクションから小説へ
「伝えてほしい」と託された人々の声を、どうすれば届けられるのか。
今回、今泉さんが最初に書いたのは、小説ではなかった。これまでの取材をもとに、オムニバス形式のノンフィクションとして、原稿用紙200~300枚ほどを書き上げていたという。
しかし、編集者とのやり取りを重ねるなかで、最終的に小説という形を選んだ。
理由の一つは、取材対象者の安全を守るために実名を使えないことだった。さらに、小説であれば、取材では直接知ることのできない登場人物の内面や夢を描くことができる。実際に聞いたさまざまな人の体験をもとに、複数の人物の人生を物語の中で交差させることも可能になる。ロヒンギャ夫婦のモハマドとヌールを軸に、ヌールの姉妹や友人のライラ、ロヒンギャ青年のユヌス、その親友でラカイン人のアウンミンらの人生が交錯する群像劇は、こうして生まれた。

バルカリ難民キャンプ。バングラデシュで避難生活を送るロヒンギャ難民の78%が女性と子どもだ(2024年6月、今泉さん撮影)
とはいえ、長く取材記事を書いてきた今泉さんにとって、小説を書く作業は戸惑いの連続だった。
取材記事では、自分が取材して知り得た膨大な事実を整理し、その範囲内で分析して書く。一方、小説では、その制約がなくなる。
「適切な言い方ではないかもしれませんが、いわば自分がその世界の創造主みたいなものなので、取材していないことも書けます」と、今泉さんは話す。
取材記事と同様、得られた情報からどこを切り取り、どう見せるのかという取捨選択に加え、小説では「得られた事実や経験をどう理解し、何を伝えたいのか」に向き合い、取材していないことも含めて一つの世界を自らつくり上げる。その自由さゆえに、難しさも増した。取材記事を書く癖で背景を詳しく書き込んでしまい、編集者から「登場人物が知り得ない情報は書かないように」と、指摘されたこともあったという。
「使っている脳みその部分が全然違う感じでした」
事実を集め、それを分析して伝えることを続けてきた今泉さんが、その事実をもとに自ら一つの世界をつくる。そうして試行錯誤を重ねるなかで、今泉さんが描きたいものも、少しずつ輪郭を現していった。
描きたかった、一人一人の「人」
本書の表紙は、内容やタイトルからすると、意外なほど穏やかで優しい。やわらかな色合いで、どこかぬくもりさえ感じさせる。
そう伝えると、今泉さんは少し笑ってこう言った。
「ロヒンギャの夫婦の愛の物語を書こうと思ったんです」
その発想の原点には、キャンプで何度も目にした忘れられない光景がある。
初めて会う人に話を聞く時は、虐殺や迫害、性暴力などの過酷な体験を聞くことも多く、どうしても場は張りつめる。しかし、キャンプを訪れるたびに顔を合わせ、少しずつ打ち解けていくと、ふと夫婦の親密さや愛情深いやり取りを垣間見ることがあったという。
「写真を撮るよ」と声をかけると、夫婦が自然に手をつなぐ。夫が妻のヒジャブや服をそっと整えてあげる――。そんな何気ない仕草に、何度も心をゆり動かされた今泉さん。「人道危機や紛争地って、どうしても危機だけがニュースになります。でも、その周りには絶対に日常がある。危機と日々の暮らしとの対比があるからこそ、そうした『日常の中の小さな喜び』が際立つんです」と、噛みしめるように話す。
過酷な状況に置かれているからといっても、そこにあるのは苦しみだけではない。愛情もあれば、笑顔もある。そうした姿を描くことで、日本の読者にも彼らを身近に感じてもらえるのではないかと今泉さんは考えた。

ロヒンギャの女性の化粧道具。緑のケースに入っているのは、「タナカ」と呼ばれるミャンマーの女性たちが使う白粉のようなもの。バングラデシュの難民キャンプでも、タナカを愛用している女性や子どもたちの姿をよく見かけたという(2018年12月、今泉さん撮影)
ニュースでは、難民はともすれば「弱い存在」や「助けられる側」として描かれる。しかし、今泉さんが取材で出会った人々は、もちろんそれだけではなかった。難民になる前は、それぞれに居心地のよい家があり、仕事があり、家族との暮らしがあり、将来への夢があった。時に怒ることもあれば、悩むことも、人と揉めることもある。だからこそ、ロヒンギャの人々を「かわいそうな難民」や「美談の主人公」ではなく、一人の生身の人間として描きたかったという。

ラカイン州北部マウンドーの夕暮れ。取材当時、ミャンマー軍とラカイン人の武装組織アラカン軍(AA)との戦闘が激化しており、政府はラカイン州などでインターネット回線を遮断していた。マウンドーでは夜間に外出禁止令も敷かれていた(2019年8月、今泉さん撮影)
さらに、現実の人間関係は、民族や宗教によって単純に線を引けるものでもなかった。取材では、かつてラカイン人の友人がいたというロヒンギャや、危機の中で異なる民族の友人に助けられたという人の話も聞いた。ラカイン人からも、ロヒンギャの友人を助けた経験を聞いたという。
「イスラム教徒と仏教徒、ロヒンギャとラカイン人という二項対立で語られがちですが、実際にはもっと複雑で、いろいろな人間関係がある。それを書きたかったんです」
そうした綿密な取材の積み重ねから生まれた物語だからだろうか。登場人物一人一人の葛藤や迷い、ささやかな喜びが、読み手にもありありと伝わってくる。
舞台は、ロヒンギャ難民キャンプだ。それでも、読み進めるうちに、ヌールやモハマド、ユヌスは、遠い国の、自分とは無縁の誰かではないように思えてくる。もし自分が同じ状況に置かれたら――。そんなことまで考えずにはいられない。
今泉さんが描こうとしたのは、「ロヒンギャ」という一つの属性ではなく、その中で生きる一人一人の人生だった。
「これはロヒンギャを代表する物語ではありません。私が理解した物語なんです」
その言葉には、目の前の一人一人と向き合い続けてきた取材者としての誠実さが、静かににじむ。
「伝えて」と託してくれた人たちのために
だからこそ、今泉さんは、この物語をロヒンギャだけのものとして受け止めてほしいとは考えていない。
「ロヒンギャは、迫害を受け、排斥されてきた人たちです。でも、他者を不寛容に扱うことがどんな負の結果をもたらすのかということは、どこの社会にも通じることだと思います」
遠い国で起きている特殊な人道危機ではなく、私たちの社会にもつながる物語。その言葉は、読み終えた後も残る。ページを閉じてからも考え続けてしまうのは、そのためだろう。
では、今泉さん自身は、この小説を書いている間、何を思っていたのだろう。インタビューの最後にそう尋ねると、今泉さんは少し間を置いて答えた。
「話を聞かせてくれた人たちのことを、ずっと考えていました」
これまで難民キャンプで出会った人々は、壮絶な体験や、時には家族にも言えない苦しみを打ち明けた後、「世界の人々に伝えてほしい」と繰り返し口にしたという。性暴力の被害を語った女性からも、「だから私は取材を受けました」と、その思いを託された。
「だったら、やっぱり書かなきゃ、という気持ちがありました」
9年間、取材を重ねるなかで託されてきた人々の声。それが今回、一冊の小説という形になった。
ただ、今泉さんが思い描くのは、自分が伝えることだけにとどまらない。いつかこの本を英訳し、キャンプで暮らす人たちに届けたい。そして、その先には、ロヒンギャの人々自身が自分たちの物語を語り、世界へ届けていく未来を思い描いている。
実際、キャンプには、写真を撮ったり、ジャーナリストとして活動したりしながら、自ら発信するロヒンギャの人々も出てきているという。
「きっと新しい世代が、自分たちでもどんどん発信していくんでしょうね」
「伝えてほしい」と託された声を受け取り、伝え続けてきた今泉さんが、その先に見ているのは、当事者自身が語る未来だ。
一方で、ロヒンギャの人々を取り巻く現実は今も厳しい。国際社会の関心が薄れ、資金不足によって支援が縮小するなか、最大の支援国だったアメリカでトランプ政権が対外援助を大幅に削減し、米国際開発庁(USAID)を閉鎖したことも追い打ちをかけている。難民キャンプでは、医療や食料など生活を支える支援への影響が広がっている。
『「0825」に私たちは殺され続ける』。そのタイトルが示すように、2017年8月25日に起きた大規模な弾圧と、その後に続く危機は、今なお過去のものになっていない。9年間、さまざまな人々から託されてきた「伝えてほしい」という言葉もまた、いまだ過去形にはなっていない。
(たまがけ・みつえ)国際開発センター(IDCJ)研究員/「ドットワールド」編集長。大学教授だった父の研究室の留学生たちとの交流を通じて世界に関心を抱く。東京大学教育学部卒、同大学院修了。カンボジアに渡って日本大使館や国際協力機構(JICA)で勤務後、国際開発ジャーナル社に入社し、2014年から編集長を務めた。2018年より現職。国内外の事業で意識啓発や広報関連業務に携わる傍ら、「現地から見た世界の姿」をテーマに発信を続けている。趣味はチェロ。


















