9年間の証言――ロヒンギャの生存者たちが世界に訴え続けてきたこと
コックスバザールの追悼集会が映す、終わらないロヒンギャ危機
- 2026/10/30
2017年、ミャンマー軍による大規模な弾圧を逃れ、70万人を超えるロヒンギャが隣国バングラデシュへ避難してから9年が経ちました。今も、多くの人々が難民キャンプでの暮らしを余儀なくされています。
世界最大の難民キャンプがあるバングラデシュ南東部コックスバザールで8月25日、犠牲者を追悼し、故郷への帰還や権利の回復、正義の実現を訴える大規模な集会が開かれました。その現場を取材したのは、自身もロヒンギャで、バングラデシュを拠点に活動するジャーナリスト、モハメド・ゾネイドさんです。
ドットワールドはこのたび、世界各地で活動する独立系ジャーナリストの声をつなぐ「BEACON」と連携し、彼らが現場から届ける声を記事でも伝えていくことになりました。連携第一弾として、避難から9年を経てもなお「故郷に帰りたい」と訴え続ける人々の声を、同じロヒンギャのジャーナリストであるゾネイドさんの目を通してお届けします。
バングラデシュ・コックスバザール発――ミャンマー軍による苛烈な弾圧によって、数十万人のロヒンギャがミャンマーを逃れることとなった「ロヒンギャ・ジェノサイド」から9年。バングラデシュの難民キャンプから発せられるメッセージは、当時も今も驚くほど変わっていない。彼らは難民のままでいたいわけではない。故郷に帰りたいのだ。ただし、市民権、安全、尊厳、そして正義が保障されたかたちで。
2026年8月25日火曜日。9回目を迎える「ロヒンギャ・ジェノサイド追悼の日」に合わせ、コックスバザールにある、33の難民キャンプでは、十数万人を超えるロヒンギャが集まった。参加者たちは横断幕やプラカードを掲げ、正義の実現、自らのアイデンティティの承認、そしてミャンマー・ラカイン州への安全で尊厳ある帰還を求め、「もう難民として暮らしたくない」と訴えた。ウキヤにある難民キャンプ4で開かれた最大規模の集会では、主催者発表で10万人以上が参加し、複数のキャンプでも同様に集会が行われていた。
この追悼行事は、2017年にミャンマー軍による軍事作戦によって70万人を超えるロヒンギャが国境を越え、バングラデシュへ逃れることになった「ロヒンギャ・ジェノサイド」の日に合わせて行われた。国連は当時、この軍事作戦を「民族浄化の典型例」と表現した。
国連の調査官によると、少なくとも1万人のロヒンギャが殺害された。それだけではない。数百人の女性や少女が集団レイプをはじめとする性暴力の被害を受け、400近い村が破壊された。
しかし、この節目の日は、2017年のあの事件を振り返るためだけのものではなかった。
被害を受けた人々、女性たち、当時子どもだった若いロヒンギャ、そして長年にわたってこの危機について訴え、記録してきたコミュニティのリーダーたち。問われているのは、彼らが繰り返し伝えてきた証言に対し、世界がこれまで何をしてきたのかということだ。
「もう難民としてここで暮らしたくない」
19歳のモハメド・カイザーさん。ミャンマーから逃れてきた当時はまだ10歳だった。現在は、キャンプ4で暮らし、コミュニティが運営する学校で学んでいる。
当時、ぬかるむ道や森を抜け、4日間かけてミャンマーからバングラデシュに逃げてきた。兄弟の一人と祖父母を失ったという。
「私の村では、多くの女性や少女がミャンマー軍にレイプされました」
故郷のブティダウン郡区では、移動の自由は制限されていた。ロヒンギャは日常的に「ベンガル人」と呼ばれ、「お前たちはミャンマーの人間ではない」と言われてきたという。
カイザーさんは、自身の村が破壊され、モスクも焼かれたこと、そして、子どもたちが火の中に投げ込まれ、ガソリンによって焼き殺されたことを証言した。
ラカイン州で近年起きた暴力についても、カイザーさんは語った。アラカン軍(AA)(訳者注:ミャンマー西部ラカイン州を中心に活動する、ラカイン族の武装組織)の最高司令官トゥワン・ムラッ・ナイン氏の指揮下にある部隊が、2024年にロヒンギャの村を焼き払い、女性たちが性暴力の被害を受けたと主張している。さらに、ロヒンギャの民間人が家賃や税金の支払いを強制され、移動を制限されているとも訴えた。
こうした訴えの背景には、ますます複雑化しているラカイン州での紛争がある。アラカン軍がミャンマー軍と戦う一方、ロヒンギャの民間人は人権侵害や避難を余儀なくされている。人権団体も、アラカン軍によるロヒンギャへの人権侵害の疑いを記録し、国際刑事裁判所(ICC)による捜査を求めている。
カイザーさんにとって、こうした紛争をめぐる動きは、自らの将来と切り離すことのできない問題だ。
「私たちはもう、バングラデシュで難民として暮らしたくありません。私たちは権利と正義を求めています。そして、自分たちの国を取り戻したいのです」
19歳のカイザーさんが現在学んでいるのは、小学5年生が学ぶ内容だという。
「勉強したいです。コミュニティのリーダーになりたいです」
彼の人生は、迫害と避難、そして難民キャンプでの長い年月によって教育を中断された若者の姿を映し出していた。
「女性として、キャンプの中でもまったく安全ではありません」
20歳のアスマット・アラさんにとっても、2017年の記憶は今なお鮮明だ。
マウンドー郡区のチェインチャウン村出身で、現在はキャンプ2で暮らしている。自身も学生として学ぶ一方、家族の生活を支えるため、周りの生徒に勉強を教えている。
2017年当時、彼女は5日かけ家族と共にバングラデシュにたどり着いた。軍事作戦が始まった日の夜から、一家は銃声や爆発音を耳にしたという。
「朝になると、亡くなった人たちが運ばれていく様子を目にしました」
避難中は、国境近くで、十分な住居も食料もない状態で過ごした。途中で父親も亡くしたと話す。地元の人々や人道支援団体から提供された食料や防水シートによって、避難直後の日々を生き延びることができたという。
9年が経った現在も、アラさんは「ここは安全だ」と感じていないと話した。
「女性として、キャンプの中でもまったく安全だとは感じません。キャンプでは突然、火災が起きることもあります」
キャンプの部屋のドアに鍵をかけていても、眠ることは怖いと感じることがあるという。
キャンプで暮らすロヒンギャ女性を取り巻くリスクは、治安の悪さや過密状態、火災、地滑り、教育や生計手段への限られたアクセスによって、さらに深刻になっている。アラさんにとって、バングラデシュにいつまでもとどまり続けることは”解決策”ではない。
「私たちはここで暮らし続けたいわけではありません。地滑りも起きますし、安全であるとは言えないのです」
アラさんは、2017年のロヒンギャ弾圧の際に集団レイプの被害を受けた女性や、そうした性暴力を目撃した女性が抱えるトラウマについても語った。
「女性たちが虐待されレイプされる姿を、私は自分の目で見ました」
彼女が求めているのは、単なる人道支援ではない。
「私たち女性に対するあらゆる性的虐待、集団レイプ、暴力について、正義が実現されることを求めています。私たちは故郷を取り戻したい。自分たちの土地と家を取り戻したいのです」
ロヒンギャの子どもたちには、自分がかつてそうだったように、避難によって教育を中断されることなく学校へ通える機会を得てほしいと願っている。
「私たちにこうしたことが起きていた当時、アウンサンスーチー政権が権力を握っていました。そしてミン・アウン・フライン率いる軍もです。彼らは裁かれなければなりません」
追悼から政治的な運動へ
追悼行事に参加したロヒンギャのコミュニティリーダーである、キン・マウンさん。彼にとって8月25日が持つ意味は、犠牲者を追悼することだけにとどまらない。
キン・マウンさんはマウンドー郡区のシル・ハリ村の出身で、現在はキャンプ13に暮らし、United Council of Rohingya(UCR)の代表を務めている。
彼は、2017年の「ロヒンギャ・ジェノサイド」以前からたびたび起きていた紛争でも、「暴力」を目撃してきた。その経験が、ロヒンギャ危機に対する自身の認識を変えたという。
「2012年6月の出来事、そして2016年10月9日に起きた襲撃事件後の軍事作戦が起きたとき、予想もしていなかったことだったので、衝撃を受けました」
治安当局による検問などによって自由に移動することができず、家族が逮捕や暴力を恐れていた時期もあったという。
キン・マウンさんによれば、2017年の「ロヒンギャ・ジェノサイド」に伴う大規模な避難は、単発的な暴力によって偶然起きたものではなく、ロヒンギャを故郷から追い出すことを意図した、より大きな計画の一部だったという。
「重要なのは、これほど大規模な人々の流出が起きたのは、ロヒンギャをアラカンから追い出すために計画され、意図されたものだったということです」
自身の村はバングラデシュ国境に比較的近く、ほかのロヒンギャの村ほど大規模な破壊には遭わなかった。しかし、恐怖はすでに日常生活の一部となっていた。
「2016年以降、私たちは自宅で眠ることさえできませんでした。それ以来、人々はずっと恐怖の中で暮らしてきたのです」
バングラデシュへ逃れた後、キン・マウンさんはロヒンギャの若者による活動に参加するようになった。Rohingya Youth Associationの設立を支援し、8月25日の追悼行事を始める立ち上げにも関わったという。
その目的は、犠牲者を追悼するだけでなく、若い世代に何が起きたのかを伝える意味もあった。
「私たちは、すべてのロヒンギャにこの日を思い出してもらい、ロヒンギャの若者たちが政治的に成熟できるようにしたかったのです」
「支援だけでは解決できない」と訴える難民たち
キン・マウンさんは、ロヒンギャ危機を人道問題としてだけ捉えることを否定する。
「これは人道危機ではありません。むしろ政治的な危機なのです」
人道支援によって難民たちが生き延びることはできる。しかし、それだけでは、そもそも彼らがミャンマーを追われる原因となった政治的な状況を解決することはできない。それが彼の主張だ。
「国際社会が私たちの危機を、人道問題ではなく政治問題として捉えていたなら、私たちは9年間もここにいなければならない事態には、ならなかったと思います」
国連の専門家らは、9年が経過した現在も、ロヒンギャは残虐行為や大規模な避難、深刻化する人道危機に直面していると警告している。一方で、この危機は、紛争、人道支援へのアクセス制限、資金不足の影響も受け続けている。
これまで大規模な自主帰還は実現していない。ロヒンギャのリーダーたちは、いかなる帰還も安全かつ自発的で、尊厳のあるものでなければならず、市民権、安全、移動の自由、基本的人権が保障されなければならないと訴え続けている。
国際司法裁判所(ICJ)では、ミャンマー軍によるロヒンギャへの迫害が、集団殺害などを禁じる「ジェノサイド条約」に違反するとして、西アフリカにあるガンビア共和国がミャンマーを訴えた裁判も続いている。
しかし、コックスバザールの難民たちにとって、国際的な司法手続きは、キャンプでの日々の暮らしという目の前の現実からは遠く離れたものでもある。
9年という歳月が過ぎた。キャンプで生まれた子どもたちの中には、一度もミャンマーで暮らしたことのない子どももいる。カイザーさんのように子どものころに避難し、人生の大部分を難民として過ごしてきた若者もいる。
新しい世代が、これまでの証言を受け継ぐ
「ロヒンギャ・ジェノサイド追悼の日」の集会に集まった人々の多くは、若者だった。
彼らは「故郷に帰らせてほしい」「私たちの市民権を回復してほしい」「私たちは権利を求めている」と書かれた横断幕を掲げた。女性や子どもたちも群衆の中に立ち、若者たちは旗を掲げ、正義の実現と故郷への帰還を求めるスローガンを叫んだ。
これほど大規模な集会が開かれたことは、9年が経っても帰還を求める声が消えていないことを示している。
キン・マウンさんにとって、若者たちの参加は、この追悼集会で最も重要な点の一つだった。
「今日、若い世代がスローガンを叫び、非常に熱心に参加しているのを見ました。彼ら全員が団結することができれば、私たちはもう長くここにとどまる必要はないと思います」
一方で、現在起きている新たな人権侵害を見過ごしてはならないとも警告する。
キ ン・マウンさんは、ラカイン州のロヒンギャの市民がアラカン軍による迫害や人権侵害に直面していると主張。誰が加害者であるかにかかわらず、国際社会は人権侵害を記録するべきだと訴えている。同様の訴えは人権団体からも出ているが、それぞれの勢力による人権侵害について、記録の蓄積にはばらつきがある。
ロヒンギャ難民にとって、2017年に記憶された「敵」だけが、現在の危険の源とは限らない。それでも、彼らの要求の大部分は変わっていない。それは、権利と安全が保障された故郷で暮らせる未来を取り戻すことだ。
「私たちは故郷に帰りたい」
3人の証言は、それぞれ異なる。
カイザーさんは、子どものころに故郷を逃れ、家族を失ったことを記憶している。アラさんは、銃声や避難の途中で父親を失ったこと、そして難民キャンプで女性として暮らす恐怖を語る。キン・マウンさんは、長年にわたる行動の制限や活動、そして8月25日に起きたことを忘れさせないために続けてきた取り組みを振り返る。120万人を超えるほかのロヒンギャと同様に。
しかし、彼らが求めるものは共通している。
正義、承認、権利、教育、安全。そして何よりも、故郷へ帰ることだ。
UNHCRは、2026年7月31日時点で、バングラデシュには120万人を超えるロヒンギャ難民がいると発表している。これには、1991年から92年に逃れてきた人々や、2017年の大規模な避難による人々、そして2024年から25年に新たに避難してきた人々が含まれている。その大半がコックスバザールの33のキャンプで暮らし、およそ3万5000人がバシャンチャール島(注:バングラデシュ南部にあるベンガル湾の離島。ロヒンギャ難民の移住先として利用されている島)へ移されている。
だからこそ、この節目の日は、過去を追悼する以上の意味を持つものとなった。それは、この危機がいまだ解決されていないことを改めて突きつけるものだった。
2026年8月25日。コックスバザールに集まったロヒンギャにとって、記憶すること自体は最終的な目的ではない。それは、自分たちの訴えを消させないための手段であり、生き延びた人々が世界に伝えてきた証言は今も変わっていないのだと訴え続けるためのものだ。
「私たちは、永遠に難民でいたいわけではない」
今年の集会で、キャンプの各地から集まった人々が繰り返したメッセージは、こう続く。
「私たちは故郷に帰りたい」
避難から9年が経過し、コックスバザールのロヒンギャ難民キャンプで生きていくことは、ますます困難になっている。セーブ・ザ・チルドレンは8月25日、今年、ロヒンギャ難民の3人に1人以上が「危機的」あるいはそれ以上の深刻な飢餓状態に直面すると予測され、特に子どもたちは栄養不良のリスクにさらされていると報告した。支援資金の削減、食料配給の縮小、過密状態、安全な水や栄養価の高い食料への限られたアクセス、そして生計を立てる機会の不足によって、危機はさらに深刻になっている。
取材・記事:バングラデシュ在住ロヒンギャジャーナリスト モハメド・ゾネイド
翻訳:独立系ジャーナリストグローバルネットワーク「BEACON」共同設立者 構二葵


















