ラテンアメリカの「今」を届ける 第2回
4年後の「コロンビア和平」と、コロナ禍で拡大する麻薬組織

  • 2020/8/13

警察に殺害されたコカ農家

 農村の人々が恐れるのは、麻薬組織だけではない。4月22日、コロナによる緊急事態宣言の最中、ある男性が警察に射殺された。彼は、麻薬の原料としてコカを栽培する農家だった。

 当時、男性が暮らす地域で、政府は強制的なコカの除去作業を始めていた。違法組織の資金源を断つためだ。男性はそれに抵抗する中で命を落とした。コカ栽培は違法行為だ。なぜ男性は違法行為に従事し、それをやめさせようとする政府に抵抗したのか。

コカ畑の様子(筆者撮影)

 男性が暮らしていたナリーニョ県は、世界最大のコカ栽培面積をもつコロンビアの中で、コカ栽培地が最も集中する場所だ。コカ畑は、河川が入り組む沿岸部や山岳地帯など、地形が複雑で交通網が未整備の場所にある。

 前述の人権活動家ドラさんが、麻薬産業に従事する農民の背景を説明する。

 「コカ生産者が暮らす農村は、もともと政府の関与が希薄であり、開発から取り残されてきました。教育環境も未整備で、条件の良い仕事に就く機会は極端に限られます。住民は路上で食べ物を売るか、自宅で小さな商店を持つなど、インフォーマルな活動を通じて、わずかな収入を得るしかありません。さらに交通網が未整備のため、合法的な換金作物をつくっても輸送費が高くつく上、価格が安い。他方、コカは、確実な市場が安定的に確保されています」

 周縁化された政府不在の地域は、武装組織が関与しやすく、麻薬産業に依存せざるを得ない環境にあったのだ。この問題に対し、政府は、コカなどの違法作物を自主的に除去した農家に対し、合法作物への代替えを支援する約束をしていた。

2017年、コカの強制除去が始まるという情報が流れた。抗議の道路封鎖をするコカ農家を制圧するため、治安部隊が出動した(筆者撮影)

 殺害された男性は、当初、地域の人々とともに、政府による代替プロジェクトの参加に向けて手続きを進めていた。だが、コカ栽培を手放すことを武装組織が許さなかった。住民の代表が脅迫されたのだ。各地では、すでに代替に舵を切ったことで暗殺された指導者がいた。命の危険を感じた住民は、代替を諦めざるを得なかった。生きていくためにコカを作り続けるしかなくなっていたのだ。

 その後、そもそも政府は資金不足を理由に、代替支援そのものを継続できる状態にないことが報道された。殺害された男性らの元へ、強制的なコカ除去のため政府の治安部隊が現れたのは、こうした時期だった。

 勢力を拡大する武装組織への対策には、政府の威信がかかっている。だが、麻薬を撲滅するには、生産者の生活を支えた上での総合的な農村開発がなくてはならない。これは、FARCと政府の和平合意文書の中でも確認された重要項目である。

 戦争の前線で生きざるを得なかった人々は、政府と麻薬組織の間に立たされ、どちら側につくか態度をはっきりさせることを強いられた。

 国際的な麻薬産業の中で、「戦争」のない社会を実現するために

  今年6月、コロンビアのシンクタンク「Pares」が、コロンビアで活動するメキシコ麻薬カルテルに関する報告書を発表した。

 カルテルは、最大の麻薬消費地である米国と生産地を結ぶ密輸に大きな影響力を持つ。コロンビアでは、複数のカルテルが直接的、あるいは、中米の違法組織を介して間接的に活動しているという。彼らは、和平合意によって、FARC消滅後に「権力の空白地帯」ができること、コロンビア政府が空白地帯を統治する力がないことを予想した。そこで危惧したのが、空白地の麻薬利権を巡り起きる混乱と、それによる麻薬ビジネスの停滞だった。カルテルの目的は、安定的な麻薬供給ルートの維持と確保だった。そのために、各地域の有力な組織へ武器・資金を提供し地域を安定させ、カルテルの影響力を強化させることを目論み、行動したという。

 報告書は、カルテルの活動が、FARC消滅後の社会における、権力構造の再編につながったと見ている。つまり、2016年の「和平」そのものが、世界的な麻薬産業の秩序の中で左右させられていたことを意味する。

紛争地域で生活する人々(筆者撮影)

 コロンビアの社会構造の中で、貧困から抜け出せない地域が麻薬産業に依存していく。「和平」後の世界でも、暴力の隣りで生きざるを得ない人々がそこにいる。そして、彼ら/彼女らは、コロンビアだけでなく、世界規模の麻薬ネットワークの末端で、生産者であることを強いられている。彼ら/彼女らにとって、「和平」後に変わったのは、その土地の支配者だけだった。

 麻薬問題解決には、国際社会の協力が不可欠だ。だが、一方で、コロンビア国内に問題解決の糸口となる先例がある。1990年代、国際的に活動した麻薬組織「メデジン・カルテル」が支配したメデジン市だ。かつて「世界で最も危険な街」と言われた同市は、社会的弱者に焦点を当てた政策を推進した結果、貧困層の3分の2が貧困状態を脱し、殺人は1993年の20分の1にまで下がり、劇的な治安改善に成功した。メデジンと現在問題を抱える地域を比べたとき、貧困を固定化させる社会構造を変えなければならないのだと実感する。

 前述のドラさんが、こう力を込める。

 「戦争を終わらせることは簡単ではありません。私たちは、あまりに多くの暴力、貧困、腐敗を目の当たりにしてきました。でも、コロンビアには、恐怖と悲しみの中でも、人権と平和のために闘い続ける多くの人がいます。なぜなら、私たちは故郷と隣人を愛しているからです。私たちは決して諦めません」

 

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