【コロンビア和平から10年 混乱する農村から④】先住民族が作る有機コーヒー
ラテンアメリカ の「今」を届ける 第12話
- 2025/9/20
2006年より住民から見た紛争や和平プロセスを取材しているフォトジャーナリストの柴田大輔さんが今年5月から6月、ナリーニョ県とカウカ県の山岳地帯を訪ねました。和平合意から10年を迎えようとする同国の紛争地域で生きる人々の今と、彼らを取り巻く現実に迫る5回連載の4回目です。
自立のための農業
真っ青な空に浮かぶ白い雲が、ゆっくりと山並みを越えていく。爽やかな風が揺らす木々の葉音に混ざり、低く、くぐもった飛行音が響いた。見上げると、谷間の村の上空を小型機が飛んでいく。「コロンビア陸軍の対ゲリラ作戦の一環だ」と、村の人は言う。
ここは南西部カウカ県。アンデス中央山脈の標高1700メートルに位置するバジェス・オンドス村だ。スペイン語で「深い谷」を意味する名前の通り、山間を流れる川から競り上がる谷の斜面に、ナサ民族の家々が点在している。一帯は、コロンビア有数のコーヒー産地として知られている。
「私たちに必要なことは、精神的にも、経済的にも『自立』することです」
そう語るのは、有機コーヒー農家の協同組合「フォンド・パエス」で2015年まで代表を務めたカルロス・パスーさん(56)だ。祖父母の代から続くコーヒー畑を受け継ぎ、急斜面に広がる10ヘクタールの土地を妻、長男とともに耕す。
畑には、コーヒーの木とともに、オレンジやレモン、バナナ、そしてアメリカ原産のマメ科の植物で10メートルほどの木に実をつけるチャチャフルート など、多様な果樹が一緒に栽培されている。木々が作る日陰がコーヒーを強い日差しから守り、適度な湿気を土壌にもたらす、「混合栽培 」と呼ばれる農法だ。畑で使う堆肥は、農薬を使わず繁殖させた土壌の中の多様な菌類に、落ち葉、コーヒーの殻、家畜の糞尿など、山が生み出す有機物を混ぜ込み、時間をかけて作り出される。国内外の有機農家との交流を通じて学んだ、自慢の堆肥だ。単一栽培を避けることで病害虫の被害も抑えられ、果実や野菜は副収入や食料になる。山全体を生かすこの方法は、効率一辺倒のプランテーションとは対極にある。
カルロスさんは、足元の土を鷲掴みにすくいあげると、「環境、土壌、そしてここで生きる人間。どれか一つでも汚染されれば、私たちは生きていけない。この3つを調和させることが、私たちの農業です」と話した。
搾取と暴力の歴史
カルロスさんらが暮らすカウカ県北部では、現在、旧FARC系武装組織をはじめとする複数の麻薬組織が、麻薬密輸や違法鉱山採掘などの利権を巡り激しく対立している。この地には先住民族による自治地域が多数存在し、武装組織から地域の自立を主張しているが、2016年の和平合意以降も住民指導者の暗殺が後を絶たない。
背景にあるのが、植民地期から続く大土地所有制に象徴される土地の支配構造だ。先住民族の人々は大農場で小作農として隷属的な暮らしを強要されてきた。一部の地域では1980年代後半までそうした状況が続き、今日も耕作農地が5ヘクタール以下の小規模農家が所有する土地の合計は、県内の7%程度にとどまっており、平地など条件のよい土地には、大規模なサトウキビやコーヒーの農園、牧畜場が広がっている。
ナサ民族らカウカ県北部の先住民族は、土地を取り戻すために20世紀初頭から立ち上がり、農場を占拠して返還を求めるようになった。そうした抵抗のなかで、多くの指導者が命を落とした。カルロスの叔父も、地主が雇った殺し屋に殺害されたという。「子どものころの出来事だったため、理由はわからなかった。ただ、私たちが自分たちの土地を持つことができず、生きるために地主に地代を払わなければならなかったのは確かでした」。
ある70代の女性は、当時の暮らしをこう振り返る。「農場での暮らしは酷いものでした。週に6日は地主のために無償で働かざるを得ず、自分たちが食べるためのトウモロコシを栽培できたのは、日曜日だけでした」
1970年代以降、土地をめぐる闘争の成果が見られるようになる。一部の農場で地代の不支払いを地主に認めさせ、土地を再取得する地域が現れた。先住民族の活動を後押ししようと支援に駆けつけた国内外の団体の存在も大きかった。1992年に協同組合フォンド・パエスが誕生するのに大きく寄与したのが、コロンビア国内のNGO「コロンビア・ヌエストラ財団」と、フランスの農業支援団体「フランス農民国際開発協会(AFDI)」だ。両者は70年代から先住民族運動を資金的に支援すると同時に、若者への教育を目的とした農業支援を実施。一連の活動が、伝統的な農業のあり方の再評価につながり、フォンド・パエスの誕生につながった。
伝統と未来をつなぐ
現在、フォンド・パエスにはナサ民族を中心に290家族、550人あまりの先住民族が参加している。活動の柱にあるのは、「先祖の知恵の再生」だ。伝統作物の種子の保存、土壌の保護を通じて、文化的、経済的な自立を目指す。2000年代にコーヒーの栽培技術を改良し、2005年にフェアトレード認証を取得してフランスや米国に輸出されるようになると、山間の暮らしに一定の安定収入がもたらされるようになった。
それでも、コーヒーの収穫が年に一度なのに対し、周辺地域で栽培されるコカなどの違法作物は3カ月ごとに収入があるため、若者を誘惑する力は強い。
「だからこそ、教育が大切なのです」と話すカルロスさんは、フォンド・パエスの代表として国内外の有機農家と交流し、技術者を招いて研修を開くなど、学んだ知識を積極的に地域に還元してきた。
「収入につながる農業を教えれば、子どもたちが盗みに走ったり、武装集団に引き込まれたりしなくて済む。外部からくる支援者らとの交流は、若者にとっても大きな経験になるし、そこで得た知識は自信につながる。私たちはこの谷に違法作物を持ち込まないと決めています」
カルロスさんがこう力を込めるのには、理由がある。2000年代初め、村で子どもたちがマリファナや薬物に手を出す問題が深刻化したのだ。住民は話し合いを重ね、栽培や販売を禁じることを決めた。
「教育こそが、子どもを守る方法なのです。土地に根ざした農業を学び、食料を確保できれば、飢えることはありません。食料をより多く自給することで、自立の道を確立できます。幸い、ここではさまざまな果物や野菜を育てることができます。コーヒーだけでなく、野菜やバナナ、キャッサバを育てることが、私たちの生きる術です。だから『混食栽培』なのです」
土と共に生きる
フォンド・パエスはフェアトレードの国際組織にも加盟しており、2004年からは米国の専門業者「カフェ・カンペシーノ」とも取引を続けている。2024年の取引価格は1ポンドあたり3.7米ドルと、国際相場を上回っているが、収量はピーク時の3分の2程度まで減っている。4年前には、ラテンアメリカ全域でまん延する「さび病」にも見舞われた。さらに、気候変動による季節外れの降雨や熱波などの影響も深刻で、立ち枯れする木が増えた。多くの家族は、コーヒー販売の減収を補うために、トウモロコシ、ジャガイモ、豆類、牛乳・チーズ、サトウキビから作るパネラ(黒糖)など、他の作物や製品の販売を模索しながら、コーヒーの生産量を回復するために畑の改良に努めている。
収穫期を間近に控え、緑色の未熟な果実がたわわに実をつけたコーヒーの木々を見つめながら、カルロスさんはこう言った。
「私たちは、常に生き残るための問題に直面しています。戦争から逃れるために土地を離れる若者も少なくありませんが、課題は戦争だけではありません」「私たちにはまだ、やらなければならないことがたくさんあります。幸い、前の世代が私たちに良い土地を残してくれました。父と母、祖父母に感謝しています。私たちはそれを守らなければなりません。この土と共に生きていけば、きっと未来は変えられるはずです」
(第5話に続く)



















