【歩く・見る・撮る】― 写真民俗誌/民族誌へのいざない ―
ミャンマー(ビルマ)から ⑯ <葬儀・お墓>

  • 2024/4/29

ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第16話です。

 ⑯<葬儀・お墓> 

 ビルマ(ミャンマー)に関わるようになって驚いたことの一つは、9割を占める上座部仏教を信仰するミャンマー人には、基本的にお墓がないことである。
 大乗仏教の日本と上座部仏教のミャンマーでは、根本的に信仰のあり方が異なり、死者に対する慰霊の感情も相通じない。現代ミャンマーの一般的な葬儀は、人は死ぬと火葬され、遺灰はそのまま火葬場にて処理(水に流)される。遺族が遺骨を持ち帰るということもない。亡くなった人の位牌も仏壇もない。極端な話、死ねば終わりである。もちろん肉親や親しい知人を亡くしたという喪失感の悲しみはある。だがその死は、祈りや信仰とはならない。もっとも、偉人や著名人などを祀ったお墓や廟はあるが、それは例外である。

 「善いお爺さんお婆さんが亡くなると、一族の者は悲しむが、また悦びもする。彼等は昔馴染みの友達を失つたことで悲しみはするが、又かうも云うのである。『お爺さんは御生前澤山善い事をなさつたし、正しい立派な方だつたから、きつと來世ではお仕合わせに違ひない。』・・・・・・これに反し、小さい子供が死んだ時は、もつとずつと悲しむ。・・・・・・。
 夫婦や兄弟姉妹などに死別した時は、本當に悲しむし、友達の亡くなつた時も、その死を悲しむが、死別當初の悲しみを通り越すと、多くは、その死亡を哲学的な心で受け入れていく。」(牧野巽/佐藤利子編『シャン民俗誌』、生活社、1944年、pp.114-115)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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