ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第22話です。
㉒<里程標>
ビルマ( ミャンマー)でバイクを⾛らせていると、路傍にある⾥程標をよく⾒かける。ふと、そこに記されている地域名や数字にはいくつかのパターンがあることに気がついた。
ちなみに、外国に⾏って、ある程度⾃由に動こうと思えば、まず、「こんにちは、ありがとう、どうぞ」といった現地の挨拶を覚えることが、第⼀歩であろう。その次に覚えるのは、数を数える時の読み方や発⾳の仕方、書き方であろうか。市場でモノを買う時、値段の確認や交渉に欠かせないからだ。また、時間を訊ねるためにも、数字を理解しておくことは必要だろう。
実際、他の国と同じように、ビルマ( ミャンマー) にも独⾃の数字の表記と読み⽅( 発⾳) がある。アラビア数字も普及しているため、単なる旅⾏だけであればそれほど困ることはないのだが、少しでも奥深いビルマを知ろうとするなら、ビルマ数字の読み⽅と発⾳はひと通り学んでおいて損はない。
今回は、ヤンゴン市やマンダレー市という⼤都市からも、バガンやインレー湖といった観光地からも離れ、地方都市に目を向けて、各地の⾥程標や案内板の表記を通じてビルマ( ミャンマー) 社会の変化を考えてみたい。
なお、ミャンマー(ビルマ)は現在、公式にはまだメートル法を採⽤していない国の⼀つである。2011 年にテインセイン政権が発⾜した当時、従来の英国式マイル法から脱却しようという法改正の動きがあったものの、今なお実現していない。ちなみに、世界で今、公式に(法律的に) メートル法を採⽤してない国は、⽶国、リベリア、そしてミャンマー(ビルマ) の3カ国だとされている。このうち、1847年に独⽴したリベリアは、旧宗主国である⽶国の法体系を踏襲しているため、実質的には、⽶国とミャンマー(ビルマ) の2カ国がメートル法を採用していない特異な存在だと言えよう。
※ なお、里程標の表記パターンは、以下のように整理できる。
地名:(1)英語表記か、(2)ビルマ語表記か
距離:(3)アラビア数字か、(4)ビルマ数字か
単位:(5)マイル表⽰か、(6)キロメートル表⽰か
また、実際には、これら(1)(2)(3)(4)(5)(6)が混在して表記されているため、⾮常に分かりにくくなっている。
![路傍で⾒かけた⾥程標。ビルマ数字で495(マイル) と書かれているが、いったいどこから計測した距離を表しているのか分からなかった。Google Mapで探してみたが、起点らしき0(ゼロ)マイル地点を⾒つけることができなかった。(マンダレー地域・ミ ョータ〈 ミョータ〈Myotha:မြို့သာ〉、2018 年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
路傍で⾒かけた⾥程標。ビルマ数字で495(マイル) と書かれているが、いったいどこから計測した距離を表しているのか分からなかった。Google Mapで探してみたが、起点らしき0(ゼロ)マイル地点を⾒つけることができなかった。(マンダレー地域・ミ ョータ〈 ミョータ〈Myotha:မြို့သာ〉、2018 年)(c) 筆者撮影
![路傍で⾒かけた2つの⾥程標。古い⾥程標(⻩⾊)はビルマ数字で(50 / 5マイル)、新しい⾥程標(⻘⾊)はアラビア数字で(81.5KM:キロメートル)と書かれている。(モン州タンビュザヤ〜ダウェ間、2019年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
路傍で⾒かけた2つの⾥程標。古い⾥程標(⻩⾊)はビルマ数字で(50 / 5マイル)、新しい⾥程標(⻘⾊)はアラビア数字で(81.5KM:キロメートル)と書かれている。(モン州タンビュザヤ〜ダウェ間、2019年)(c) 筆者撮影
![路傍で見かけた2つの里程標。古い里程標(黄色)はアラビア数字で2種類の単位(8km:キロメートルと5 / 0 マイル〈≒8キロメートル〉)が書かれている。一方、新しい里程標(青色)は、アラビア数字で1種類の単位(8KM:キロメートル)が書かれている。(ラカイン州・タンゴッ~アン間、2015年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
路傍で見かけた2つの里程標。古い里程標(黄色)はアラビア数字で2種類の単位(8km:キロメートルと5 / 0 マイル〈≒8キロメートル〉)が書かれている。一方、新しい里程標(青色)は、アラビア数字で1種類の単位(8KM:キロメートル)が書かれている。(ラカイン州・タンゴッ~アン間、2015年)(c) 筆者撮影
![農村部の道路脇で⾒かけたビルマ語の案内板と、ビルマ数字の⾥程標。( カレン州パアン郊外ズェカビン⼭近郊の三叉路、2003 年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
農村部の道路脇で⾒かけたビルマ語の案内板と、ビルマ数字の⾥程標。( カレン州パアン郊外ズェカビン⼭近郊の三叉路、2003 年)(c) 筆者撮影
![路傍で⾒かけたビルマ語の案内と⾥程板。赤丸(右)の上段には、行先がビルマ語(タムー:တမူး)で、距離がアラビア数字(121.5KM)とビルマ数字(75マイル:၇၅ မိုင်)で書かれている。
赤丸の下段には、行き先がビルマ語(カレー ကလေး)で、距離がアラビア数字(9.86KM)とビルマ数字(9マイル ၉ မိုင်)で書かれている。
また、青丸(左)は、行き先がローマ字(TAMU တမူး 、KALEMYO ကလေးမြို့ )で書かれている。(ザガイン地域・カレーミョー~カレーワ間、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
路傍で⾒かけたビルマ語の案内と⾥程板。赤丸(右)の上段には、行先がビルマ語(タムー:တမူး)で、距離がアラビア数字(121.5KM)とビルマ数字(75マイル:၇၅ မိုင်)で書かれている。
赤丸の下段には、行き先がビルマ語(カレー ကလေး)で、距離がアラビア数字(9.86KM)とビルマ数字(9マイル ၉ မိုင်)で書かれている。
また、青丸(左)は、行き先がローマ字(TAMU တမူး 、KALEMYO ကလေးမြို့ )で書かれている。(ザガイン地域・カレーミョー~カレーワ間、2018年)(c) 筆者撮影
![ビルマ(ミャンマー)第二の都市であるマンダレー市と、その周辺の地図。マンダレー/シュエボー/モンユワ/②カレーワ/③カレーミョ/①タムー の位置関係に注目してほしい。
上の写真は、カレーミョとカレーワの間(地図上赤丸の地点)で撮影した。インド国境の近くに位置するアラビア数字①は、上の写真の案内板のタムー(前ページの赤丸上段、青丸右矢印)。 アラビア数字③は、前ページ赤丸下段・カレー(ကလေး)〈ミョー〉。 ピンクの丸印がついたAH-1は、東京・日本橋を起点とするアジアハイウェー1号線のビルマ(ミャンマー)部分。タイ国境ミャワディ(Myawddy) から、現在の首都ネピドーを経由し、最大都市ヤンゴンは通らずに、マンダレー、ザガイン地域南部(Chang-U)、マグウェ地域、ガンゴーを北上し、ザガイン地域カレー(ミョー)を通ってインド国境のタムーに至る。(ザガイン地域・カレーミョー~カレーワ間、2018年)(c) 筆者撮影・作成](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ビルマ(ミャンマー)第二の都市であるマンダレー市と、その周辺の地図。マンダレー/シュエボー/モンユワ/②カレーワ/③カレーミョ/①タムー の位置関係に注目してほしい。
上の写真は、カレーミョとカレーワの間(地図上赤丸の地点)で撮影した。インド国境の近くに位置するアラビア数字①は、上の写真の案内板のタムー(前ページの赤丸上段、青丸右矢印)。 アラビア数字③は、前ページ赤丸下段・カレー(ကလေး)〈ミョー〉。 ピンクの丸印がついたAH-1は、東京・日本橋を起点とするアジアハイウェー1号線のビルマ(ミャンマー)部分。タイ国境ミャワディ(Myawddy) から、現在の首都ネピドーを経由し、最大都市ヤンゴンは通らずに、マンダレー、ザガイン地域南部(Chang-U)、マグウェ地域、ガンゴーを北上し、ザガイン地域カレー(ミョー)を通ってインド国境のタムーに至る。(ザガイン地域・カレーミョー~カレーワ間、2018年)(c) 筆者撮影・作成
![インド国境付近の道路脇では、英語とビルマ語で書かれた案内板と、アラビア数字でマイル表記された里程標を見かけた。(ザガイン地域・カレーミョー~タムー間、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
インド国境付近の道路脇では、英語とビルマ語で書かれた案内板と、アラビア数字でマイル表記された里程標を見かけた。(ザガイン地域・カレーミョー~タムー間、2018年)(c) 筆者撮影
![マンダレーから飛行機でカムティに飛び、そこから車やオートバイなどでナガ民族自治区ナンヨン(Nanyun/ နန်းယွန်း )に至る経路。(c) 筆者作成](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
マンダレーから飛行機でカムティに飛び、そこから車やオートバイなどでナガ民族自治区ナンヨン(Nanyun/ နန်းယွန်း )に至る経路。(c) 筆者作成
![ナンヨンからインド国境に至る道路脇で、ビルマ語で書かれた案内板と、アラビア数字およびビルマ数字でマイル表記された新しい里程標を見かけた。マンダレーから遠く離れたところに新しい案内板が設置されていたことに驚いた。赤丸の上段には行先(シンブイヤン ရှင်ဗွေယန်)と距離(49,88KM:キロメートル)、中段には行先( パウンサウ峠 ပန်ဆောင်မြို့ ) と距離(56.32KM キロメートル)が書かれていた(下段は省略)。(ザガイン地域・ナガ民族自治区・ナンヨン、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ナンヨンからインド国境に至る道路脇で、ビルマ語で書かれた案内板と、アラビア数字およびビルマ数字でマイル表記された新しい里程標を見かけた。マンダレーから遠く離れたところに新しい案内板が設置されていたことに驚いた。赤丸の上段には行先(シンブイヤン ရှင်ဗွေယန်)と距離(49,88KM:キロメートル)、中段には行先( パウンサウ峠 ပန်ဆောင်မြို့ ) と距離(56.32KM キロメートル)が書かれていた(下段は省略)。(ザガイン地域・ナガ民族自治区・ナンヨン、2018年)(c) 筆者撮影
![モンユワからチンドウィン河を越えて ツイン・レイク(Twin Lake)に向かう道路脇で、ビルマ語表記の案内板と、アラビア数字で書かれた表示板を見かけた。
上段には、行先(モンユワ မုံရွာ) と距離(33.6KM)が書かれていた(中段と下段は省略)。案内板の背後には、王の乗馬像が見える(アウンサン像ではない)。(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
モンユワからチンドウィン河を越えて ツイン・レイク(Twin Lake)に向かう道路脇で、ビルマ語表記の案内板と、アラビア数字で書かれた表示板を見かけた。
上段には、行先(モンユワ မုံရွာ) と距離(33.6KM)が書かれていた(中段と下段は省略)。案内板の背後には、王の乗馬像が見える(アウンサン像ではない)。(c) 筆者撮影
![モンユワからチンドウィン河を越えてツイン・レイク(Twin Lake)に向かう途中の道路脇で、ビルマ数字で書かれた里程標(100 / 0 マイル)と、アラビア数字で書かれた里程標(160KM:キロメートル)を見かけた。(ザガイン地域・モンユワ~ツイン・レイク〈Twin Lake〉間、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
モンユワからチンドウィン河を越えてツイン・レイク(Twin Lake)に向かう途中の道路脇で、ビルマ数字で書かれた里程標(100 / 0 マイル)と、アラビア数字で書かれた里程標(160KM:キロメートル)を見かけた。(ザガイン地域・モンユワ~ツイン・レイク〈Twin Lake〉間、2018年)(c) 筆者撮影
![モンユワからチンドウィン河を越えてツイン・レイク(Twin Lake)へ向かう途中の道路脇で、ビルマ数字で書かれた里程標(100 / 0 マイル)と、アラビア数字で書かれた里程標(160KM:キロメートル)を見かけた。おりしもこの写真を撮影した3月初旬は各地で得度式(シンピュー式)が行われる季節で、見るからに急いで得度式に向かっているらしい男性を乗せた馬が、カメラの前を走り抜けて行った。(ザガイン地域・モンユワ郊外、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
モンユワからチンドウィン河を越えてツイン・レイク(Twin Lake)へ向かう途中の道路脇で、ビルマ数字で書かれた里程標(100 / 0 マイル)と、アラビア数字で書かれた里程標(160KM:キロメートル)を見かけた。おりしもこの写真を撮影した3月初旬は各地で得度式(シンピュー式)が行われる季節で、見るからに急いで得度式に向かっているらしい男性を乗せた馬が、カメラの前を走り抜けて行った。(ザガイン地域・モンユワ郊外、2018年)(c) 筆者撮影
![ザガイン地域・モンユワ郊外で撮影した里程標(100マイル/160KM))の起点はどこか、Google Map を参考に算定してみると、マンダレー市街地のどこか(例えば30番街など)だと考えられることが分かった。(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ザガイン地域・モンユワ郊外で撮影した里程標(100マイル/160KM))の起点はどこか、Google Map を参考に算定してみると、マンダレー市街地のどこか(例えば30番街など)だと考えられることが分かった。(c) 筆者撮影
![ビルマ(ミャンマー)国軍の兵士を乗せたトラックの車列の間に見える里程標には、アラビア数字で0KM(キロメートル)と書かれている。(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ビルマ(ミャンマー)国軍の兵士を乗せたトラックの車列の間に見える里程標には、アラビア数字で0KM(キロメートル)と書かれている。(ザガイン地域・シュエボー、2018年)(c) 筆者撮影
![軍用トラックが通り過ぎ、一般車両の流れも途切れた頃合いで、里程標を再確認してみた。街中の十字路に、ビルマ数字(0 / 0マイル)と、アラビア数字(0 KM:キロメートル)で書かれた里程標が建っていた。(ザガイン地域・シュエボー市中心部、2018年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
軍用トラックが通り過ぎ、一般車両の流れも途切れた頃合いで、里程標を再確認してみた。街中の十字路に、ビルマ数字(0 / 0マイル)と、アラビア数字(0 KM:キロメートル)で書かれた里程標が建っていた。(ザガイン地域・シュエボー市中心部、2018年)(c) 筆者撮影
![ビルマ(ミャンマー)中央部に位置するマンダレーは現在、ヤンゴンに次ぐ第二の都市であると同時に、ビルマ最後の王朝、コンバウン朝が置かれた土地でもある。コンバウン朝は、もともとマンダレーから100Kmほど北、現ザガイン地域に位置するシュエボーの首長アウンゼーヤ(後にアラウンパヤー王と名乗る)が建てた王朝でもあった。アラウンパヤー王は、インドのマニプール方面や、タイのアユタヤ方面にも支配の手を伸ばそうとした。(c) 筆者作成](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ビルマ(ミャンマー)中央部に位置するマンダレーは現在、ヤンゴンに次ぐ第二の都市であると同時に、ビルマ最後の王朝、コンバウン朝が置かれた土地でもある。コンバウン朝は、もともとマンダレーから100Kmほど北、現ザガイン地域に位置するシュエボーの首長アウンゼーヤ(後にアラウンパヤー王と名乗る)が建てた王朝でもあった。アラウンパヤー王は、インドのマニプール方面や、タイのアユタヤ方面にも支配の手を伸ばそうとした。(c) 筆者作成
![シュエボーの街の交差点にある前出の里程標には、ビルマ数字(0 / 0マイル)と、アラビア数字( 0 KM:キロメートル)が書かれている。地図上で確認してみると、ちょうど王宮のお堀の内側、赤い丸をつけた位置に建てられていることが分かる。(ザガイン地域)(c) 筆者作成](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
シュエボーの街の交差点にある前出の里程標には、ビルマ数字(0 / 0マイル)と、アラビア数字( 0 KM:キロメートル)が書かれている。地図上で確認してみると、ちょうど王宮のお堀の内側、赤い丸をつけた位置に建てられていることが分かる。(ザガイン地域)(c) 筆者作成
![ビルマ(ミャンマー)南部の、タイと国境を接する細長い地域も走り抜けた。
ここでは、タニンダイー地域のダウェ( ထားဝယ် ) と、ベイッ( မြိတ် : 英語表記 Myeik )に注目してみたい。](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22600%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20600%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
ビルマ(ミャンマー)南部の、タイと国境を接する細長い地域も走り抜けた。
ここでは、タニンダイー地域のダウェ( ထားဝယ် ) と、ベイッ( မြိတ် : 英語表記 Myeik )に注目してみたい。
![タニンダイー地域のダウェとベイッの中間付近をバイクで走っていた際、ビルマ語とアラビア数字で表記された里程標を道路脇で見かけた。
最上段には、ダウェ(ထားဝယ် ) までの距離(127.0 KM:キロメートル)が、最下段には、ベイッ ( မြိတ် ) までの距離(121.0 KM:キロメートル)が書かれている。(タニンダイー地域・ダウェ~ベイッ間、2019年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
タニンダイー地域のダウェとベイッの中間付近をバイクで走っていた際、ビルマ語とアラビア数字で表記された里程標を道路脇で見かけた。
最上段には、ダウェ(ထားဝယ် ) までの距離(127.0 KM:キロメートル)が、最下段には、ベイッ ( မြိတ် ) までの距離(121.0 KM:キロメートル)が書かれている。(タニンダイー地域・ダウェ~ベイッ間、2019年)(c) 筆者撮影
![タニンダイー地域のダウェとベイッの間(アジアハイウェー112号線)をバイクで走っている際、三叉路で見かけた里程標。アラビア数字 ( 0 KM:キロメートル)と、ビルマ数字 (0 / 0 マイル )で書かれている。ここが0マイル(0キロメートル)の起点となっているのは、三叉路だからなのか、あるいは別に理由があるのだろうか。ふと疑問に思った。(タニンダイー地域ダウェ~ベイッ間、2019年)(c) 筆者撮影](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
タニンダイー地域のダウェとベイッの間(アジアハイウェー112号線)をバイクで走っている際、三叉路で見かけた里程標。アラビア数字 ( 0 KM:キロメートル)と、ビルマ数字 (0 / 0 マイル )で書かれている。ここが0マイル(0キロメートル)の起点となっているのは、三叉路だからなのか、あるいは別に理由があるのだろうか。ふと疑問に思った。(タニンダイー地域ダウェ~ベイッ間、2019年)(c) 筆者撮影
![タニンダイー地域のダウェとベイッの間(アジアハイウェー112号線)をバイクで走っている際、三叉路で見かけた、アラビア数字 ( 0 KM:キロメートル)とビルマ数字 (0 / 0マイル )で書かれた里程標の位置を、Google Mapで確認してみた。(c) 筆者作成](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
タニンダイー地域のダウェとベイッの間(アジアハイウェー112号線)をバイクで走っている際、三叉路で見かけた、アラビア数字 ( 0 KM:キロメートル)とビルマ数字 (0 / 0マイル )で書かれた里程標の位置を、Google Mapで確認してみた。(c) 筆者作成
![タニンダイー地域のダウェとベイッの間(アジアハイウェー112号線)をバイクで走っている際、三叉路で見かけた、アラビア数字 (0 KM:キロメートル)とビルマ数字 (0 / 0マイル )で書かれた里程標と、隣国タイの首都バンコクの位置関係をGoogle Mapで確認してみた。この 0 マイル / 0 キロメートルの起点は、タイと何らかの関係があるのだろうか。疑問は尽きない。(c) 筆者作成](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20width%3D%22600%22%20height%3D%22400%22%20viewBox%3D%220%200%20600%20400%22%3E%3C%2Fsvg%3E)
タニンダイー地域のダウェとベイッの間(アジアハイウェー112号線)をバイクで走っている際、三叉路で見かけた、アラビア数字 (0 KM:キロメートル)とビルマ数字 (0 / 0マイル )で書かれた里程標と、隣国タイの首都バンコクの位置関係をGoogle Mapで確認してみた。この 0 マイル / 0 キロメートルの起点は、タイと何らかの関係があるのだろうか。疑問は尽きない。(c) 筆者作成
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供