クーデターから3年のミャンマーで見た音楽の在りか
緊迫感と困窮と賑わいが共存する中で「平静さ」を保つ人々のたくましさ

  • 2024/3/22

 ミャンマーで2021年に軍事クーデターが起きて丸3年が経過しました。その影響は、長い歴史の中で人々が育んできた音楽文化にも暗い影を落としているようです。ミャンマーのレコード文化や音楽シーンに詳しく、自身も積極的に日本各地で演奏活動や講演を行いながら、ミャンマー音楽の変遷や奏法、そして最近の情勢について発信している筆者が2023年12月に半年ぶりにミャンマーを訪問した時の印象を踏まえ、クーデター後の音楽の在り方について綴ります。

「折り合い」をつけることが日常化したヤンゴンの暮らし

 2023年12月、私は半年ぶりにミャンマーの地に降り立った。前回、訪ねたのは、雨季真っ只中の2023年6月だったが、今回は乾季で太陽が照りつけ、気温は連日30度を超えた。しかし、変わったのは気候だけでない。この国の情勢もまた、前回に比べて大きく変動していた。
 その最大の理由が、2023年10月27日にシャン州北部で勃発したミャンマー国軍と少数民族武装勢力との戦闘だ。戦闘は後者の少数民族武装勢力が勝ち続け、やがてラカイン州やチン州でも同時多発的に衝突が起きた。その余波は、これまでは比較的平穏だった最大都市ヤンゴンにもおよんでおり、私の滞在中、「ここも紛争地だ」と感じる場面は、前回よりも格段に多かった。
 たとえば、タクシーに乗ると、街を巡回する軍用車と何度もすれ違った。また、クーデター後に主要な交差点に建てられた国軍の監視塔でも、前回は小屋に「軍人がいるらしい」という話を耳にするだけで、実際に目にすることはなかったが、今回は実際に周辺ににらみを利かせる軍人の姿をしばしば見かけた。私自身は、滞在中に特段、嫌がらせを受けることはなかったが、彼らの姿を見るたびに緊張が走った。

 市民生活も、ますます困窮していた。現地通貨の価値は下がり、停電は日常茶飯事。また、ガソリン代の高騰を受け市内のガソリンスタンドには長蛇の列ができていた。タクシー事情も悪化しており、運賃の値上げに加え、夜間にタクシーを捕えることが非常に難しくなっていた。また前回は、ヤンゴンに住む友人から、「安全のために19時までにはホテルに戻っていた方が良い」と忠告されたが、今回はその時刻がさらに早まり、「18時までに」と言われた。夜間は国軍や警察の動きが活発になるというのがその理由だったが、実際、私自身も滞在2日目にそのことを実体験することになった。
 ダウンタウンにあるショッピングモールからホテルへ帰るために、配車アプリのGrabでタクシーを呼ぼうとした。時刻は18時を少し過ぎた頃で、ホテルまでは車で10分ほどの距離だったのだが、数分も経たないうちに「運転手の都合で配車はキャンセルされました」というメッセージが表示された。こんなことは初めてだった。慌てて別のタクシーを検索し、予約したものの、やはり数分後に同じ理由でキャンセルされた。「18時までに帰った方がいい」と いう友人の助言は本当だった。タクシーの運転手も、今から新たに客を乗せるより、一刻も早く家に帰りたいのだろう。三度目の正直でどうにかタクシーを捕えることができたものの、肝を冷やす出来事だった。運賃も、1台目より3台目の方が高かった。
 翌朝、ホテルで朝食を取りながらミャンマーのニュースに目を通していると、前の夜にタムウェという地区で若者2人が国軍に殺害されたというニュースが報じられていた。まさにタクシーで通った地区で、再び肝を冷やしたが、人々は何事もなかったかのように過ごしているのが印象的だった。物騒な事件が頻発し、常態化しているのが今のヤンゴンなのではないか。

煌々とした灯りが美しい暗闇を照らすヤンゴン川沿いの様子。右から順に、ナイトマーケット、シュエダゴンパゴダ、ボータタウンパゴダ、そして船上レストランの照明だ (2023年12月17日、ヤンゴンで筆者撮影)

 その一方で、弾けるような笑顔のヤンゴン市民も多く目にした。ヤンゴン港に停泊している船を改造した船上レストランや、その近くにある若者向けのクラブは夜な夜な派手なネオンをきらめかせて営業しているし、高級ホテル内のレストランでは、バンドによる生演奏も行われ、多くの客が楽しんでいる。

ヤンゴン市内の大型ショッピングセンターでライブを行う若者たちを見かた。オンラインでも音楽活動をしているようで、YouTubeチャンネルも宣伝していた(2023年12月8日、ヤンゴンで筆者撮影)

 夜間が物騒なのは事実なのだが、ナイトスポットが賑わっているのも、また事実だった。ダブルスタンダードと言うべきか、感覚が麻痺していると言うべきか———。ともあれ、今のヤンゴンでは、私の想像をはるかに超えた「折り合いの付け方」が、日常の光景となっているようだった。

あらゆる文化の本場、古都マンダレーの今

 今回の訪問中、私はヤンゴンに加え、国内第二の都市、マンダレーも訪ねることにした。クーデターが起きる前の2019年1月に訪問して以来、実に4年ぶりだった。しかし、話は一筋縄では進まなかった。
 まず、ヤンゴンに住む友人から「マンダレーはヤンゴン以上に危ない。行かない方がいい」と、止められた。冒頭で触れたシャン州北部における武力衝突の余波がマンダレーにも来ているのだと言う。しかし私は、外国人が長距離バスでマンダレーに行くことが許されている今こそ、行くべきだと思った。
 夜行バスで移動するにあたり、最も大変だったのは、給油待ちだった。早朝5時、バスはミャンマーの中央部に位置するタダウーという街のガソリンスタンドに停車した。席に座ったまま、カーテンをそっと開けると、そこには私が乗っているような高速バスのほか、トラックや農作業用の車両などが長蛇の列を作っていた。結局、バスが再び走り始めたのは約1時間が経った頃だった。長距離移動も容易ではない。

 マンダレーでは、音楽という観点から街の様子を観察した。市内にある3軒のCD小売店を訪ねると、1軒は今もしっかり営業し続けていたが、他の2軒は廃業寸前だった。全国チェーンのスーパーマーケットものぞいてみたが、本来あるはずのCDコーナーは一掃されており、ヤンゴン以上に厳しいこの街のCD小売事情が伺えた。

マンダレーにあるCD小売店の店内の様子。コロナ禍とクーデターの前はさまざまなCDがずらりと並び、豊富な品ぞろえを誇っていた商品棚もほぼ空で、いかに客が来ないかを物語っていた(2023年12月11日、マンダレーで筆者撮影)

 ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の都として栄えたマンダレーには、ヤンゴンに比べて祭りや仏教儀式などの伝統行事が根強く受け継がれてきた。そして、そうした伝統行事には、たいてい伝統音楽がつきものだ。しかし、今回、宿泊したホテルのフロントやマンダレー在住の友人に「今日、どこかで生演奏を聞けないだろうか」と尋ねても、答えはいずれも「NO」だった。
 本当に今は生演奏が行われなくなったのか、それとも、尋ねた相手がたまたま知らないだけで、実はどこかで伝統行事が行われているのかは定かではなかったが、いずれにせよ、今回、私は残念ながらマンダレーで伝統音楽を聞くことができなかった。「ミャンマーのあらゆる文化の本場」だと言われる街であるにも関わらず、だ。

音楽の授業の様子。外部から招かれたバイオリン奏者が一人一人の生徒に奏法を指導していた(2023年12月11日、マンダレーで筆者撮影)

 しかし、その代わりというわけではないが、マンダレー市内の小学校で音楽の授業を見学する機会に恵まれた。この学校では、市内に住むミャンマー人のバイオリン奏者の男性を外部講師として招き、楽譜の読み方や奏法を教えている。彼はもともとプロの演奏家として活動していたが、クーデターをきっかけに職を失い、この仕事をして糊口をしのいでいる。不安定な情勢とは相反して、生徒たちは皆、明るくて、教室は和気あいあいとした雰囲気に満ちていた。

厳しい状況下でも変わらない朗らかさと優しさ
 マンダレーで困ったことはいくつかあるが、特に両替のしにくさには閉口した。ヤンゴンであれば、ダウンタウンにも郊外にも、そしてショッピングモールの中にも両替屋がいくつも並んでいるが、マンダレーにはほとんどないのだ。親切な銀行員の案内で個人の両替屋にたどり着いたものの、1万円が21万チャットと、レートは良くなかった(実際、この翌日、ヤンゴンでは1万円が23万8000チャットだった)。
 停電も何度か経験した。宿泊していたホテルの近くのラペイエザイン(喫茶店)に行った時にも、運ばれてきたばかりの熱々のミルクティーを飲もうとした時、バスンという大きな音と共に、全ての照明が消えた。幸い、その店は自前の発電機を持っているようで、早々に電気が復旧したが、これが日常茶飯事だと思うと、生活の苦労が偲ばれた。

ミャンマー最大の仏教聖地の一つであるマンダレーのマハムニ寺院で仏像に水をかける参拝者たち(2023年12月12日、マンダレーで筆者撮影)

 それでも、ヤンゴンと同じように、マンダレーでも人々の朗らかな姿を見ることもできた。ミャンマー三大仏教聖地の一つとして知られるマハムニ寺院を訪ねると、参道は大勢の買い物客であふれ、本堂に鎮座するマハムニ仏の周りでは人々が熱心に祈りを捧げており、コロナ禍やクーデターの前と変わらないにぎわいがそこにはあった。「誰にどこから監視されているか分からない」という警戒心をぬぐい切れないまま、私が恐る恐るスマートフォンで巨大な銅鑼を撮影しようとしていると、近くにいたおじさんが「俺が撮ってやるから貸しな」と言わんばかりにカメラマン役を買って出てくれた。以前と変わらず親切で甲斐甲斐しい人々の姿に触れ、心和むと同時に、彼らが直面している現実の厳しさとの落差を思い、一層心が痛んだ。

ショッピングモールの中のゲームセンターで遊ぶ若者たち(2023年12月12日、マンダレーで筆者撮影)

 もう一つ、明るい側面を紹介したい。マンダレー市内の路上を歩く市民の数は以前に比べてやや少ない印象を受けたものの、最近できたと思われる新しそうなショッピングモールに入ってみると、最新のファッションが並ぶ衣類コーナーやフードコートはたくさんの客であふれ、ゲームセンターでは若者たちが娯楽に興じていた。カップルや家族連れ、友人同士が思い思いに語らい、買い物を楽しんでいる姿が印象的だった。

情勢の悪化で広がる人々と音楽の距離

 この国では、今も紛争が続いている。国境地帯ではミャンマー国軍が引き続き市民への攻撃を繰り返し、避難民も続出している。しかし今回、ヤンゴンやマンダレーで目にした人々の様子は、いわゆる「紛争地」という言葉から思い浮かべる状況とはあまりにかけ離れており、そのギャップに驚き、戸惑った。

 地方と都市部の被害の状況はまったく異なり、生活の困窮ぶりや切迫感は人々の間で開きがある。私が見た限りでは、ヤンゴンやマンダレーの市民生活は「緊迫しているが、平穏な部分もある」というのが、率直な印象だった。そしてそれは、こんな状況であっても平静さを保つ、市井の人々のたくましさゆえだろう。

 伝統音楽も、今も変わらず奏で続けられてはいるようだ。SNSでつながっている現地の演奏家たちの投稿からは、時折、結婚式に呼ばれて演奏している様子がうかがえる。それでも、クーデター以前に比べれば、そうした場面が以前ほど頻繁に見られるわけではないことを、今回、実感した。治安の悪化によって、現地の音楽家たちは演奏する機会が確実に減っているし、彼らを訪ねた私も、自由に移動できない不自由さを感じただけでなく、音楽が奏でられるような祝いや祭りの場に出向き、見ず知らずの人々と集うことにはリスクを感じ、自重せざるを得なかった。言うなれば、音楽との出会いを情勢が阻んでいるのだ。1日も早く市民生活がもとに戻り、人々が暮らしの中にある音楽を心から楽しめるようになることを願っている。

 

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