ジョン・ゴコンウェイと彼のバイク
苦節の時代を忘れず謙虚に生きた億万長者
- 2019/11/18
フィリピンの億万長者、ジョン・ゴコンウェイ・ジュニア氏が11月9日、93歳の人生に幕を下ろした。フィリピンの英字紙デイリーインクワイアラーは13日付の社説で、ゴコンウェイ氏の生きざまについてつづった。裸一貫から億万長者へとのし上がった足跡は、「今どき古い」と思われがちな話である。が、億万長者になってからも、一番苦しいころに使ったバイクを思い出していたというエピソードには、いつの世も、あるいはどんな社会でも変わらぬ価値観を伝えていて興味深い。
マイナスからの再起
社説によると、ジョン・ゴコンウェイ氏はフィリピンで3番目の資産家である。彼が興した事業は、小売り、テレコミュニケーション、銀行、交通、エネルギーなど非常に幅広い。日本人にもなじみのあるところで言えば、セブパシフィック航空。LCCの走りのようなこの会社は、1996年にゴコンウェイ氏が「低価格、高価値」をうたって立ち上げた。また、チッピースナック、C2、Great Tasteの飲料など食料品を扱うユニバーサル・ロビナ社、ロビンソンズ・ガレリア、ミニストップなどの小売業もゴコンウェイ氏の事業だ。
彼は、これらの事業を父親から譲り受けたわけではない。むしろ、マイナスから創り上げたと言っていい。社説によれば、ゴコンウェイ氏は、セブの裕福な中華系フィリピン人家庭に、6人きょうだいの長男として生まれた。父親は映画館をいくつも経営する実業家で、その一つは、マニラ以外では初めて空調を設置した映画館として知られている。「セブの大きな家で暮らし、運転手付きの車で学校に通い、友達を父親の映画館に無料で招待するような子ども時代を過ごした」。
ところが、父親が腸チフスで突然亡くなり、ゴコンウェイ氏はすべてを失った。父親の事業の負債が残り、家も車も手放した。金持ちでなくなった彼からは「友達も離れていった」という。
それからが物語の始まりだ。ゴコンウェイ氏は32歳で夫を亡くした母とともに、家の裏手でピーナッツを売ることから始めた。そして間もなく、市場の中に小さな店を持つようになった。彼は毎朝5時に起き、石鹸やろうそくや糸などの商品を自転車に積んで、長い道のりを市場の売り場まで通った。「市場で稼いだ1ペソ1ペソが、今の自分の事業につながっている」。ゴコンウェイ氏は生前、そう言っていたという。
子どもたちへ遺した教訓
社説はゴコンウェイ氏の人生をたどりながら、彼が子どもたちに遺した「人生の教訓」を紹介している。
「ゴコンウェイ氏の娘、リサさん(サミット・メディア代表)は、父親の言葉を思い出す。『人生において、3つのCに決して頼るな。Cutting corner(手抜きをすること)、 chamba(まぐれ当たり)、 connections(人を頼る)』」。
また、長男のランスさん(JGサミット代表)は、「父は子どもたちを甘やかすことはなく、贅沢をさせなかった」と、振り返る。「お小遣いが多額だったこともないし、クリスマスや誕生日に多額のお金をくれることもなかった」。
その言葉通り、子どたちの最初の仕事は、父親のデパートの値札付けや、デパート内で唯一、空調のないワイナリーで働くことだったという。「働かざるもの、食うべからず」。父親から何度も言われたこの言葉を、子どもたちは今も覚えている。
社説は、自らの経験を踏まえた、堅実で慎重なゴコンウェイ氏の生きざまを伝えた上で、氏が残した言葉について、次のように紹介している。
「私は、私の最初のバイクがどうなっただろうか、とよく考える。毎朝、雑貨を積んで、市場に売りにいっていたあのバイクだ。あのバイクは私に、人生の成功のカギについて教えてくれた。懸命に働くこと、質素に暮らすこと、誠実に生きること、変化に順応すること、そして何よりも、夢見続ける強さを持つことだ」。
億万長者となった彼の生きざまが、それでも多くのフィリピン人の心に響く理由が、この言葉に集約されているように思われる。
(原文:https://opinion.inquirer.net/125203/mr-john-and-his-bike)