危機に直面するネパールの報道の自由
ソーシャルメディアを規制しようとする政府を地元英字紙が厳しく批判
- 2019/10/11
インターネットの広がりで社会や政治の在り方は大きく変わってきた。ネパールでは、元首相のプシュパ・カマル・ダハル氏が、自分自身へのソーシャルネットワーク上での批判について強く反発し、話題になっている。9月30日付けのネパールの英字紙カトマンズ・ポストは、社説でこの問題を真正面から取り上げた。
悪名高い反メディア政府
「インターネットが約束したことは、だれもが声を上げることができる社会だ」という書き出しで、社説は始まる。だれもがソーシャルメディアで声を上げられることが、内包された不満を和らげることもあるのは事実だ。「しかし、その一方で、政治家たちがこれまでよりもたやすくネット上で批判の対象になりやすい」、と社説は指摘する。「だから、プシュパ・カマル・ダハル氏は自分への批判を不当として、ネットの利用者たちをこき下ろしたのだ」
社説は、現在のネパール政府について「報道の自由を封じようとする悪名高い政府」だとして、ばっさり斬り捨てる。「昨年初頭、ゴクール・バスコダ通信情報技術大臣は、国有テレビの番組から、テレビキャスターのラジュ・タパに厳しい質問をぶつけて排除した。以降、ネパール共産党政権による報道の自由の制限は悪化し始めた。メディア評議会法を提案し、閉鎖的で政府によるコントロールが可能な社会を作ろうとしている」。
メディア評議会法は、フェイクニュースを排除し、メディアによる人権侵害を防ぐために導入されたもの。取材対象となった人が内容に不満を持った場合、記者や編集者を訴えることができ、評議会が訴えを認めた場合は、記者や編集者、またはメディアは強制的に謝罪や訂正を発表しなくてはならない。評議会のメンバーは政府が選出するため、報道の自由を抑制するための装置だとして、ジャーナリストたちが強く反発し、抗議行動も起きた。
また、社説は、政府がジャーナリストやコメディアンたちを、電子取引法をもとにしたでっち上げの容疑で逮捕し、「誤った使い方」をした、と指摘する。あいまいな法律を拡大解釈で利用した、というのだ。
不満や批判が民主主義を育てる
社説は「報道の自由は、活気ある民主社会に欠かせないものだ。支配者の権力をチェックし続けるメカニズムとして反対意見を持つ人々が存在することが、民主主義を成長させる。考える生き物として、市民は政治や政府、民間組織の行動に反対したり、不満を持ったりするのが当たり前なのだ」と、いう。そして「ソーシャルメディアは確かに、諸刃の剣だ」と、その危険性を指摘しつつも、「民主社会の政府は、人々が考えていることや、それをどんな風に表現するかを指示することはできない」と、断じている。
ネパールが直面する「報道の不自由」への危機感が強く伝わる社説だが、一方で、こうした政府批判をできる新聞があることを頼もしく感じるのも確かだ。
(原文:https://kathmandupost.com/editorial/2019/09/30/governments-have-no-right-to-dictate-what-the-citizenry-can-think)