タイのスラムが生んだ「奇跡のオーケストラ」の物語(前編)
10代の子どもたちは、なぜ感動の日本公演を実現できたのか

  • 2023/12/6

日本の子どもたちを元気にしたい

 2020年、世界中の音楽活動を中断に追い込む大災厄が勃発した。言うまでもなく、新型コロナウイルス感染の世界的拡大である。
 タイでもコンサートなどのイベントが軒並み中止となり、もちろんイマヌエルオーケストラも演奏の機会を奪われる。加古川さんはトンさんと「こんなときだからみんなを音楽で力づけたいのに、できないのがもどかしいよね」と語り合いつつ、スラムの人たちに向けて食料支援を始めた。

イマヌエル音楽教室で子どもたちを指導するトンさん (c) シャイン・フォー・ユー

 パンデミックの重苦しい空気の中で日々を送るうちに、加古川さんの中でふと、ひとつのアイディアが閃く。そして、そのままトンさんに話したという。

 「あなたたちを日本に連れて行きたいんだよね」

 オーケストラの日本公演の構想である。なぜそんなことを思いついたのか、しばらく経って自分の思いを分析してみたという加古川さんは振り返る。

 「当時からすでに、イマヌエルオーケストラの子どもたちが奇跡を起こしている、と私は思っていたんですね。それは彼らが、『ダメだ』と言われてスラムの犯罪や麻薬から遠ざかっているのではなく、音楽を通じて、自分たちで自然に遠ざける環境を作り上げているから。そんな風に前向きに生きて、輝いているのは奇跡ではないか、と。

 一方、日本の子どもたちは希望を失っていると言われていました。夢を持てず、どう生きたいかを語れず、自殺する子も増えていると報じられていた。だったらオーケストラを日本に連れて行き、頑張って演奏しているのを見てもらうことで、日本の子どもを元気にできるんじゃないか、希望の光になるんじゃないか。そう考えたんですね」

 日本公演の提案にトンさんは大喜びした。そのときのことをこう語る。

 「僕も最初は驚きましたが、成子さんを信じて、絶対に子どもたちを日本に連れていけると思いました。なぜなら、成子さんの目が自信に満ちていたからです」

 こうして遠大なプロジェクトが動き出したものの、実現までにはさまざまなハードルがあった。まず、日本国内に活動拠点になる法人を設立しなければ、日本公演に向けた支援活動の取りまとめもスポンサー募集もうまく進まない。加古川さんはそのためにNPO(特定非営利活動法人)の設立を決意。時間が切迫する中、急ピッチで準備を進めて、今年7月にNPO法人シャイン・フォー・ユーをスタートさせた。

資金集めの苦労

 いろいろな人との縁で、コンサートは今年10月に北海道音更町、東京都、熊本県益城町の3カ所で開かれることに決まっていたが、最大の苦労の種は資金集めだった。まずはオーケストラを日本に運ぶ飛行機のチケットを確保しなければならない。

加古川成子さん(左端)はイマヌエルオーケストラを献身的にサポートしてきた (c) シャイン・フォー・ユー

 加古川さんたちはタイで何度も支援コンサートを開いて、少しずつ資金を貯めていった。その中には、日本から音楽家たちがボランティアで来て演奏した会も何度もある。一般からの寄付も次第に増えていき、個人で3万バーツ(約12万円)、5万バーツ(約20万円)とまとまった金額を出す人たちも現れた。ところが──。

 「資金は集まってきたんですが、同時に飛行機のチケット代も上がっていったんですね。こうなったら最悪の場合、日本行きの便を2つに分けようかとか、LCC(格安航空会社)の便を使おうかなんてことも考えました。でも、LCCは運べる荷物が限られているから楽器を運べない、どうしよう、と……。

 そんなとき、ある日本企業のタイ法人の方が、会社と個人でポンと25万バーツ(約100万円)ほど出してくださったんです。それが入金されたのが今年の7月末で、さっそく8月2日には全員一緒に来られる便のチケットを予約しました。それでもチェロやコントラバスを乗せると1席分買わなければならないので、日本で借りることにしました」(加古川さん)

 8月21日から9月30日までは、日本公演のためのクラウドファンディングを実施。目標額の104%に当たる314万5000円を集めることができた。駐日タイ王国特命全権大使も全面的な支援を約束した。大使は、バンコクのスラムにこのような子どもたちのオーケストラがあることは知らなかったと語り、加古川さんたちに深い感謝の言葉を贈ったという。

 こうして多くの人や組織に助けられて、イマヌエルオーケストラの日本行きの準備は整ったのである。  ⇒ 後編に続く

 

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