藤元明緒監督が『白骨街道 ACT1』で継承したい歴史とは
日本兵の遺骨を収集するミャンマーの人々から見たインパール作戦を描く新作短編映画が公開
- 2022/4/22
第二次世界大戦中、最も無謀と言われるインパール作戦に従軍した日本兵の遺骨や遺品の収集作業を描いた映画『白骨街道 ACT 1』が公開されている。監督したのは、デビュー作品『僕の帰る場所』(2017年)で在日ミャンマー人家族の葛藤と決断を描き、東京国際映画祭の「アジアの未来」部門で2つの賞に輝いた藤元明緒監督だ。ベトナム人技能実習生の女性が直面する現実を描いた2作目の『海辺の彼女たち』(2021年)は、「大島渚賞」や「新藤兼人賞」を受賞し、勢いに乗る。そんな藤元監督が「前の2作品とは異なる新たな試み」だ話す新作に込めた思いを聞いた。
2人の老人との出会い
真っ白な雲海が広がるインドとミャンマーの国境地帯の山々。時が止まったような静寂に包まれた深い森の中で、男たちがスコップやつるはしをふるう。第二次世界大戦中、英軍の拠点だったインド東北部のインパールを攻略するために投入された約10万人の日本兵のうち、疫病や飢えで退却中に亡くなった3万人以上の遺骨や遺品の収集作業を続けている少数民族ゾミの人々だ。
ミャンマー人から見た第二次世界大戦の映画を撮ることは、藤元監督が『僕の帰る場所』の制作に先立って、シナリオハンティングのために初めてミャンマーを訪れた2013年から心に決めていた。一緒に渡航したプロデューサーらと街を歩き、人々の話に耳を傾ける中で出会った2人の老人が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
一人は、小柄な老女だった。第二次世界大戦が終わる頃、食料を探しに村に来た日本兵に妹を殺されたという彼女は、藤元監督が日本とミャンマーの映画を作りに来たと聞くと、「日本人も変わったね」とつぶやき、地面に頭をつけるミャンマー式のやり方で旅の安全を祈ってくれた。一方、目が見えない高齢の男性は、問われるがまま1時間半ほど自身の半生を語ってくれたにも関わらず、別れ際に握手しようとした一行の手を取ることを拒否した。
壮絶な体験の記憶とともに生きてきたであろう彼女が、その時以来、初めて会った日本人である監督たちのためになぜ祈ってくれたのか。そして、親しく言葉を交わした後で握手を拒んだ男性の真意は何だったのか。どちらも理解できず、心の距離を感じると同時に、2人の人生に大きな影響を与えた第二次世界大戦について、日本人の自分が何も知らないことをひどく恥じた藤元監督。否応なく戦争に巻き込まれた彼らの記憶を聞き、近づこうとすることは、人として重要であると同時に、これからミャンマーで何かをしていこうとする人は避けられないと考えるようになった。
過去と現在を行き来するまなざし
そんな藤元監督の背中を押したのが、岸建太朗カメラマンとの出会いだった。『僕の帰る場所』のシナリオを書き上げ、カメラマンを探していた藤元監督は、岸さんが撮影監督した作品を見て「この人と撮りたい」と直感。実際に会ってみると、岸さんの祖父がインパール作戦に従軍してチン州で亡くなっていることや、岸さん自身、ちょうど前年から祖父のお墓の場所を探していることが分かり、互いに運命的なものを感じて意気投合した。その後、岸さんの父親とも親交を深め、遺族会を訪ねる機会にも恵まれたという。
戦時中の様子や遺骨収集について調べを進めるにつれ、藤元監督の中で「岸さんをチン州に連れて行きたい」という思いが沸き起こった。舞台俳優としても長く活動する岸さんが、かつて祖父が歩き、目にしただろう景色に身を置いた時、交錯する過去と現在のまなざしにどう対峙し、行動するのか見てみたいという衝動だった。「カメラを向ける岸さんのまなざし自体がドキュメンタリーになると思った」
2019年1月、藤元監督は念願かなって岸さんら制作チーム4人と1週間、チン州を訪問した。あいにく遺骨の収集作業は行われていない時期だったが、第二次世界大戦の経験者や、親世代から当時の話を聞いたことがある人々から話を聞いたり、ゾミ族に同行したりしているうちに、誰ともなく「ここで見聞きしたものを映像に落とし込んで帰ろう」と言い出し、急きょ、ゾミの人々に出演を打診。藤元監督が数時間で考えたざっくりとした約10シーンのシチュエーションを基に、カメラの前で普段の作業を再現してもらった。こうして帰国前1日半で撮影した映像と、それまでに岸さんが心の赴くまま、何かに呼ばれるようにカメラを回していた映像を編集して出来上がったのが、『白骨街道 ACT1』だ。
セリフや動きのディテールはゾミの人々にゆだねたためか、彼らの生態系を淡々と記録したノンフィクションのような印象を受けるが、それと同時に、彼らを遠くから見下ろしているかのような、どこか非現実的な感覚に包まれるような気もするのは、かつてインパールを目指してこの山をさ迷って敗走中に力尽きた祖父に思いを馳せ、過去と現在を行きつ戻りつしながらレンズをのぞく岸さんのまなざしが作品を通底しているからかもしれない。
旅するように映画をつくる
入念に脚本を練り、時間をかけてキャスティングした上で、人物の心理を丁寧に描写した『僕の帰る場所』や『海辺の彼女たち』とは対照的な方法で制作された『白骨街道 ACT1』について、藤元監督は「フィールドワークに近い映画制作」と形容し、「僕らが何に出会うのか分からないままカメラを回し、予期していなかった感情や言葉に反応しながら映画にしていく過程が新鮮だった」と振り返る。今回は短編映画ということもあり、起承転結にはとらわれず、「俳句をつくるように」作ることができた。これからも、「僕の帰る場所」以来、共に歩んできた制作チームと共に、定型にとらわれることなく「旅するように」作り続けていくつもりだ。
新たな試みも柔軟に取り入れる藤元監督は、自身の作品がしばしば「ドキュメンタリーのようだ」と評されることにも、いい意味でこだわりがない。難民申請が却下され、それぞれに葛藤した後である選択をした『僕の帰る場所』の在日ミャンマー人一家も、技能実習生として来日後、大きな決断を下した『海辺の彼女たち』のベトナム人女性も、「事実をベースに描こうとするドキュメンタリーでは描けない」からこそフィクションで描いたものの、「描く方法は本質的にはどちらでもいい」と考えている。
『白骨街道』は今後、長編化を視野に入れたシリーズ制作が構想されている。ACT2ではフィリピンやウズベキスタンなどにも対象を広げ、今回と同じように旅をしながら各国の人々の思いにオムニバスで迫る『世界の白骨街道』を制作。続くACT3では、インパール作戦をモチーフに時代劇を制作する計画だという。藤元監督は「ミャンマーが舞台の戦争を描いた映画といえば、いまだに『ビルマの竪琴』しかないので、更新したい」と意気込んだ上で、「その暁には、ぜひ岸さんに俳優として出てもらいたい」と微笑む。