ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第17話です。
⑰<像>
ビルマ(ミャンマー)を象徴する像といえば、もちろん上座部仏教徒が手を合わせる対象である仏像、それに、「ナッ(精霊)信仰)」や「ウエザー(超能力)信仰」で擬人化された像を思い浮かべる。だが、ミャンマーには、それ以外にもさまざまな像がある。そのいくつかを紹介したい。

ビルマ(ミャンマー)各地の主要都市で必ず見かける像といえば、やはり「建国の父 アウンサン」であろう。馬にまたがるアウンサンの姿は、植民者英国に対抗し、ファシスト日本に抵抗する軍人として描かれることが多い。(ザガイン地域・モンユワ、2007年)(c) 筆者撮影

2月12日の「連邦記念日(Union Day)」の朝、アウンサン将軍公園で記念式典の準備が始まった。アウンサンのこのたたずまいは、彼が独立交渉のために英国を訪問した際の姿だと言われている。(ザガイン地域・カレーミョ、2018年)(c) 筆者撮影

モン州の州都モーラミャインの公園に2017年2月13日、アウンサン像が建てられた。それまで軍政によって「独立の英雄」とされてきたアウンサンの像がスーチー政権のスタート後にモン州に建てられたことについて、一概には言えないにせよ、モンの人々はどう受け止めていたのか。(モン州・モーラミャイン、2019年)(c) 筆者撮影

モン州の州都モーラミャインの中心部にある公園には、軍人としてのアウンサンをアピールする像が建っている。アウンサン自身は1945年9月、植民者英国との独立交渉の席上、ビルマ軍副総司令官の地位を提示されたものの、それを拒絶。軍服を脱ぎ、「反ファシスト人民自由連盟」の議長として独立交渉にあたる本格的な政治家になった。そのため、アウンサンを軍人「アウンサン将軍」と呼称することは、軍の立場を最優先して国を引き締めたい軍政の方針に倣うことを意味する。(モン州・モーラミャイン、2019年)(c) 筆者撮影

軍の士官学校である防衛大学(DSA:Defence Services Academy) の正面には、歴代のビルマの王朝だけを強調する像が建てられている。左から、パガン朝のアノーヤター王、タウングー朝のバイナウン王、そしてコンバウン朝のアラウンパヤー王。(マンダレー地域・ピンウールィン、2018年)(c) 筆者撮影

マンダレー地域からエーヤワディー河(イラワジ河)を渡り、ザガイン地域に入った地点に立つ像。ビルマのパガン朝が始まる頃にビルマ民族より権勢を奮ったシャンの大名(豪族)の一人だとされる。(ザガイン地域ザガイン、2018年)(c) 筆者撮影

ビルマでは有名な軍人 Bo Hmue Ba Htooの像。日本軍の軍服を着て日本刀を握っており、一見、日本軍兵士と見まごう姿だ。(タニンダイー地域・ダウェ、2003年)(c) 筆者撮影

日本を訪問したことがあり、ビルマ国内で日本に関する書物を出版し民族主義者ウー・オッタマの像。(ラカイン州・シットウェー、2003年)(c) 筆者撮影

最大都市ヤンゴンの中心部の道路の名前にもなっている ウー・ウィザラの像。英国の植民地支配に対して抗議の声をあげては繰り返し投獄された僧侶で、その抵抗の姿勢は、一般のビルマ人にとって反英闘争に身を投じるきっかけとなった。テインセイン政権時に進められた改革によって都市部に高層建築物が増えるにつれて、同氏の像は相対的に小さくなっていった。(ヤンゴン、2015年)(c) 筆者撮影

英国の統治下にあった1930年代、重税に苦しむ農民たちを率いて叛乱を起こしたサヤー・サンの像。(エーヤワディー地域・ターヤワディ、20015年)(c) 筆者撮影

イラワジ地帯の農民叛乱の指導者であるサヤー・サンは、反英闘争のシンボルとして全国規模で名前が知られている。(ザガイン地域・ディペイン、2018年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)の中央部は原油の生産地で、英国による資源収奪が行われていた。英国の支配に抵抗したビルマ(ミャンマー)の労働者たちを率いたのが、タキン・ポラジー(左)だった。右はサヤー・サンの像。(マグウェ地域、2015年)(c) 筆者撮影

初めて女性の像を見かけた。植民地支配に抵抗しているのだろうか、ナイフを手に、勇ましく腕を振り上げている。(タニンダイー地域・ダウェ、2019年)(c) 筆者撮影

1949年以降、半世紀以上も銃火を交えているカレン民族との共和をアピールする軍のプロパガンダ像。(カレン州・パアン、2003年)(c) 筆者撮影

Jaw Bum Memorial Hall に建つ像。(カチン州・ミッチーナ郊外、2003年)(c) 筆者撮影

ビルマ(ミャンマー)軍政によるプロパガンダ像。(エーヤワディー地域・パテェイン、2015年)(c) 筆者撮影

カチン州・ミッチーナ郊外、2007年 (c) 筆者撮影

エーヤワディー地域・パテェイン、2015年 (c) 筆者撮影
-
-
過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
-
-
時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供