【ミャンマー】義足のカメラマン、けが押して前線へ
「自分は無力ではない」

  • 2023/1/26

 片足ずつ足元を確かめながら階段をあがる。カメラマンのジーカンさんの右足には、肌色の樹脂でできた義足が装着されている。ミャンマーで国軍への抵抗軍に身を投じ、作戦中に負傷したのだ。それでも昨年12月、彼は前線に赴き、そして帰ってきた。隣国のミャンマー国境沿いに潜伏するジーカンさんに、気持ちを聞いた。

カメラを前に笑顔を浮かべるジーカンさん(筆者撮影)

連続して響いた轟音

 「もう大して痛くないんだよ」と笑顔を浮かべたかと思うと、隣の友人が「そんなわけないだろう。この間、寒いと傷が痛むと言っていたじゃないか」と否定する。「彼はまだ定期的な治療が必要なんだ」と友人は解説する。彼は膝の下から右足を切断している。義足をつければゆっくりとなら歩けるし、ひとりでスクーターにも乗れる。

 商業カメラマンだったジーカンさんは、2021年2月の軍事クーデター後に、カメラを手に抵抗運動に参加。当初は平和的なデモなどを撮影していた。しかし国軍の弾圧がひどくなり、国境地帯に逃亡。「平和的なデモに加わった若者たちが殺された。もっと大きな違うことをしなくてはならない」と考え、少数民族武装勢力の軍事トレーニングを受けた。そして「国民防衛隊」の武装闘争に参加。弟も同じ部隊に加わったという。

 彼は一時期、国軍士官学校に籍をおいていたため、軍隊について若干の心得があった。また、カメラなどの電子機器の扱いに長けていたため、手製爆弾を作る担当となった。

負傷した時の状況を説明するジーカンさん(筆者撮影)

 そして昨年4月、その事故は起きた。爆弾が誤って破裂したのだ。爆弾が置いてあった小屋から連続して轟音が響き、あたりは炎に包まれた。一緒にいた弟を助けよう、そう思ったら、右足が動かなかった。ジーカンさんはこの日、弟を含めて6人の仲間を失った。

「革命は待ってくれない」

 ジーカンさんのけがの手当は、仲間の兵士が助けに来るのを待たなければならなかった。まず、民主派側支配地域のクリニックに運ばれ何回か手術をしたが、複雑骨折した右足の治療は困難で、うまくいかない。そして国境を越え隣国に運ばれ、大きな病院で手術を受けた。

 その時、彼は右足を残して治療することもできたという。しかし、足を残そうと思うと、1年半もの時間と、120万円もの資金が必要になるという。彼は決断した。「革命は待ってくれない。切ってくれ」。

義足を装着するジーカンさん(筆者撮影)

 それからわずか半年で、彼は再び国境を越え、ミャンマー国内の前線に向かった。「自分と同じく負傷した人でも、前線に立てるということを示したかった。自分は無力ではない」と話す。彼は前線の部隊を訪れ、兵士や被害状況などの写真を撮影し、仲間を励ました。心の傷を負った兵士の相談にも乗った。

 こんな状況でも、彼は明るい。彼が撮った一本のビデオがある。彼のようにクーデター後に障害を負ったミャンマー人たちが、掛け合い漫才をするのだ。粉を呑み込んで大げさに吐き出すようなドタバタコメディで、登場人物は互いに大笑いする。そこに悲壮感は感じさせない。

 彼はいま、国境地域で友人たちと映像プロダクションを設立。ミャンマーの状況を打開するため、情報発信を続けようとしている。

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