激戦の中の青春描く「Lose and Hope」 カレンニーの監督が製作
在日ミャンマー人らが涙の上映会
- 2024/6/6
監督も俳優も、泣きながら撮影したに違いない作品である。内戦が続くミャンマー・カレンニー(カヤー)州でクーデターに抵抗する「カレンニー諸民族防衛隊(KNDF)」に参加した若い兵士たちを視点に描く戦争映画「Lose and Hope」が6月2日、東京で上映された。ミャンマー人、特にカレンニー出身者が持つ苦しい記憶をそのままに描いており、上映会に詰めかけた在日ミャンマー人ら数百人の観客には、真っ赤に目をはらした人も多かった。
「戦場」で撮影するリアリティ
舞台となる東部カレンニー州はキリスト教徒が多い土地で、首長族の名で知られるカヤン族なども暮らす。2021年のクーデター以降、激戦が続き、現在は、ほぼ全域が民主派側が支配する解放区だ。主人公は内戦で殉死した実在のKNDFの現場指揮官サヤー・チャウン。新米兵のコメディタッチの青春物語やラブストーリーを軸に物語が進む。ミャンマー映画にありがちな安易さを感じさせる部分もあり、ミャンマー軍と戦う抵抗軍の立場から見たプロパガンダ色の強い作品だが、それぞれのシーンが恐ろしいほどのリアリティをもって迫ってくる。
出演しているのは基本的に現場の兵士ら。若者たちが丸太の上を走って渡ったり、自動小銃の射撃を練習したりする施設は、実際に戦闘のトレーニングが行われている場所で撮影しているようだ。また、若者たちが暮らす掘っ立て小屋や、国民への奉仕を誓ってから食事をとる場面など抵抗軍の若者の暮らしがよくわかる映像を盛り込んでいる。また、登場人物がキリスト教徒らしく十字を切るかと思えば、動物のいけにえを捧げて無事を祈願する宗教儀式などカレンニーの独自の文化を強調する。
抵抗軍が避難民キャンプで食料を配布するシーンの一部は、実際の支援活動を撮影したものと思われる。戦闘シーンでは大規模な塹壕での撮影のほか、巨木が倒れるところをドローンで撮ったり、一軒家を実際に焼き払ったりと大がかりな撮影もある。
その中でも、市街戦のシーンには息をのむ。かつて戦闘があり住民が避難した場所なのだろうか、廃墟のような村で銃撃戦のロケを行っている。抵抗軍は道路にバリケードを築き、スナイパーが廃屋の屋上に駆け上がり、兵士がガラスをぶち破って発砲する。
この作品には2021年の軍事クーデター以降の抵抗運動の特徴を踏まえた細かい設定がある。例えば、抵抗軍には前線に出る女性兵士が多いことが指摘されており、劇中でも女性の持ち場をめぐって若者たちがいさかいを起こす。また、ゲイの男性兵士を登場させ、抵抗勢力の中で活動する性的少数者について議論を呼んでいることにも触れている。そのほか、敵への憎しみの中で捕虜の扱いに苦慮する兵士や、少年兵の問題など今日的なトピックを映画に盛り込んでいる。
当事者の手による作品が続々日本へ
こうしたリアリティを持つのは、ジョン・メイア監督自身がKNDFに参加しており、いわば当事者として製作していることがある。 初の監督作品であるうえ、過酷な環境で撮影されているため、粗さが目立つのも確かだ。ただ、同様に抵抗軍の一員が製作した作品には、カレン州で活動するドーナ部隊が製作した短編「ザ・リターン・オブ・セイビアー」(2023)などがあるが、それよりも洗練された印象を受ける。
また、国境地帯に逃亡したベテラン映画監督のコ・パウ氏がクーデター以降初めて発表したショートフィルム「歩まなかった道」(2022)も解放区で撮影したものだが、それに比べてジョン・メイア監督自身が20代と若いこともあり、若者の視点が生々しい。
今年発表された民主派の監督が描く作品の中には、リアリティにあふれる作品が多い。タイに亡命したナジー監督の「罪悪感」は、政治犯として拘束された男性とその恋人の苦悩を描く。タイのミャンマー国境地帯には多数の民主活動家が逃げ込んでおり、その中には拘束され拷問を受けた経験がある人も少なくない。そうした人たちへの聞き取りを通して描かれた獄中の様子や、恋人が国境を突破するシーンの描写は真に迫る。
もちろん、これらの作品はミャンマー国内では上映することはできず、海外在住のミャンマー人の自主上映会でチャリティ上映されている。今回の上映会も、東京のカレンニー人が中心となって企画し、複数のミャンマー人グループの支援で実現したものだ。
こうしたチャリティ上映会では日本は最大の市場となっており、「Lose and Hope」は今後、大阪などでも上映を準備しているという。「罪悪感」など4本の作品が上映されるミャンマー映画祭2024も、東京・大阪・名古屋などの開催を終え、今後、静岡や北海道の2カ所で上映の予定だ。こうした上映会の中から、劇場での正式な全国公開につながったコ・パウ監督の「夜明への道」(2023)の例も出てきている。
日本人にはなじみの薄いミャンマー映画だが、表現の自由がある日本はミャンマーの映画製作者にとって貴重な発表の場になっていることを知っておきたい。