タイ・ミャンマー国境の難民の今 就労が合法化されても変化はわずか
現場の声から見えるキャンプの現状と制度のずれ

  • 2026/3/27

 タイで昨年、これまで認められていなかったミャンマー人難民の就労を認める制度が始まりました。北西部のミャンマー国境沿いに点在する9つの難民キャンプに住む約10万人のミャンマー人の暮らしは、新制度によって変化が見られるのでしょうか。
 この地域に住むミャンマー人たちの背景について研究している大場翠さんが今年1月、現地を訪ねて調査しました。

 

 タイ政府は2025年8月、タイ国内の難民キャンプに居住するミャンマー難民がキャンプ外で働くことを閣議決定で認め、同年10月からこれらの難民の合法的な就労が可能となった。しかし現時点では、9つあるキャンプのいずれにおいても、この制度のもとで働く人はごく一部にとどまっている。

 数十年にわたり制限されてきた難民のキャンプ外での就労が認められたことは歴史的な出来事であり、大きな転換点として期待を集めた。では、なぜ就労は進まないのか――。本稿では、現場の声を拾いながら、キャンプの現状と制度の間に生じているずれを見ていきたい。

難民生活の長期化でキャンプに漂う閉塞感

 1984年にタイ政府によって公式に設立されたミャンマー難民キャンプは、ミャンマーとの国境に接するタイ側の地域に9つ点在している。設立から40年以上が経つ現在も約10万人が暮らし、彼らはしばしば「忘れられた難民」と呼ばれる。

キャンプ内を歩いていると、水辺で子どもたちがゴミを釣って遊んでいた(2026年1月、筆者撮影)

 キャンプには木の葉や竹で組まれた高床式の家々が密集し、その間を縫うように狭い道が通っている。市場で買い物をする人や、学校で学ぶ子どもの姿も見られ、歩いているとバイクタクシーに声をかけられることもある。一見すると、山の中の町や村のようだ。

 しかし、長期化した難民キャンプには閉塞感がにじむ。タイは難民条約に加入しておらず、タイに定住はできない。キャンプ内の学校を卒業しても、その資格はタイやミャンマーで正式に認められるわけではない。

 2011年のミャンマー民政移管後、国際支援の重心はミャンマー国内へと移り、タイ側の難民キャンプの支援は削減された。さらに、アメリカやオーストラリアなどへの第三国定住の道も、特例をのぞいて次第に閉ざされていった。

 将来を描けない暮らしのなかで、キャンプ内では自死する若者の増加、アルコールや薬物依存、うつ状態といった問題が繰り返し指摘されてきた。

叶わぬ帰還、閉ざされた未来

 閉塞感の一因として、帰還の困難さがある。キャンプ人口の約8割をカレン族が占めるが、1949年から続くミャンマー国軍とカレン民族同盟(KNU)の武力衝突の影響で、親族や土地、家屋を失い、戻る場所がない者も多い。また、ミャンマー・カレン州の一部地域では、2012年の停戦合意後も戦闘が散発し、地雷も残されたままである。

 和平への疑念や、国軍への不信も根強い。9つあるキャンプの一つ、メーラ難民キャンプで2023年に出会ったトートー(当時32)は、その時すでにキャンプでの暮らしを18年間続けていた。停戦合意後、日本政府の資金で帰還民を受け入れるための支援が行われたカレン州のある村について筆者が話題にすると、彼は、静かにこう言い放った。

 「あの村に帰りたいなんて、本物のカレンではない」「本物のカレンなら、そんなことはしない。平和が訪れたなんて、信じない」

 キャンプに暮らす人々の背景は、時代によっても異なる。国軍に家や田畑を焼かれ、家族が目の前で犠牲になった者がいる一方で、トートーは、戦火から逃れた経験はないものの、内戦の影響でカレン州では得られなかった教育の機会を求めてキャンプに来た。

 トートーの発言が示唆するように、たとえ内戦や暴力を直接体験していなくても、人々の苦難の記憶は、キャンプ内の日常的な会話を通じて次の世代へと受け継がれている。

難民キャンプの子どもたち (個人が特定されないよう配慮し、2015年8月に筆者が撮影したものを使用)

 加えて、設立から40年もの歳月が流れたキャンプに暮らす人々にとって、ミャンマーは必ずしも「故郷」ではない。キャンプで生まれ育ち、ミャンマーを知らない子どもはキャンプ全体の3〜4割を占める。帰還を思い描くことや希望することは、彼らにとって容易ではない。

 2021年のミャンマーのクーデターにより、キャンプ難民の帰還の道は絶たれたに等しい。もっとも、それ以前から、帰還は必ずしも望ましい選択肢ではなかった。

合法化の背景は大規模な支援削減と労働力不足

  トートーは2023年当時、「善き市民になりたい」とこぼしていた。前後の文脈から、それはタイで合法的に働き、生活を営みたいという彼の願いを意味していた。

 キャンプ内で国際援助により提供される食料支援だけでは、日々の食事や栄養を賄えない。そのため多くの住民は、現金収入を得るために、キャンプ外で野菜を摘んで売るほか、トウモロコシの収穫といった日雇い労働に従事している。日給は地域や仕事内容によっても異なるが、タイの最低賃金である400バーツを下回る。

 キャンプ外での就労や、無許可での外出は原則として禁じられており、違反すれば逮捕や罰金、強制送還の対象となるほか、人身売買などの搾取のリスクが伴う。難民たちの生活は必ずしも支援に依存していない一方で、自活するための合法的な機会は与えられてこなかったのである。

 そこに、2025年のアメリカの対外援助削減が追い打ちをかけた。キャンプに住む全世帯の約8割に対する食料支援が打ち切られたほか、キャンプ内の医療支援も撤退や大幅な縮小が進んだ。キャンプ外の病院を利用すると費用負担が重くのしかかるため、受診を控えるケースも多く、ウンピアム難民キャンプ(地図は以下)では、1カ月あたりの平均死亡者数が支援撤退前に比べて倍増した。

 さらに、約10年ぶりに再開されたばかりのアメリカへの第三国定住プログラムも全面停止され、帰還も定住も叶わない難民にとって唯一の希望が閉ざされた。

 かつてない規模の支援削減が進むなか、2025年5月に始まったタイとカンボジアの国境をめぐる軍事衝突により、タイに出稼ぎに来ていた数十万人のカンボジア人労働者が相次いで帰国した。その結果、タイ国内の労働力不足が深刻化し、皮肉ともいえるかたちで、キャンプに居住するミャンマー難民に合法的な就労の道が開かれた。

 なぜ就労は進まないのか

  大きな転換点として期待された就労の合法化だが、実際にこの制度のもとで働く人はごく一部にとどまる。9つの難民キャンプには約10万人が暮らすが、合法的な就労許可の対象となるのは2019〜20年にタイ政府のデータベースに登録された者に限られ、さらに就労可能年齢に絞ると約4万人にすぎない。そもそも、キャンプ住民全体に占める対象者は限られているのだ。

タイ・ミャンマー国境難民キャンプの略図(筆者作成)

 2026年1月に訪問したメーラ難民キャンプには、9つのなかで最多となる約3万7000人が暮らしている。都市部に近く、雇用の機会は比較的多いとされているが、それでもキャンプ外で合法的に就労する人は約950人にとどまった。

 他のキャンプではさらに限定的で、本稿を執筆している2026年3月時点でも、例えば人口約1万1000人のウンピアム難民キャンプでは、約100人しかキャンプ外で合法的に就労していない。

 さらに、メーラ難民キャンプ委員会によれば、上記の約950人のうち、およそ2割はすでに就労を断念し、キャンプに戻ったという。理由は、規定の賃金が得られなかったこと、銀行口座開設の際にブローカーに手数料が差し引かれること、さらには、タイ社会での差別やいじめなどである。

 就労までの基本的な手順は、雇用主がキャンプで労働者を選定し、県雇用事務所と郡役所で行政への申請を経て、健康診断と保険加入を行う。その後、就労許可証と、キャンプを離れるための正式な許可を取得する。就労許可は1年間有効で、終了後はキャンプに戻る必要があり、タイでの定住は認められない。また、キャンプを離れられるのは就労者本人のみで、配偶者や子どもなどの家族を同行させることはできない。

 就労が進まない理由として、まず、難民の生活との食い違いが指摘できる。すなわち、家族と離れ離れになることが、手続きの煩雑さ以上に大きな障壁となっている。キャンプ周辺の求人は限られており、メーラキャンプの難民に対して約500km離れたバンコクの求人が提示されることもある。この場合、一年近くの単身赴任をせざるを得ない。

 夫婦で働く場合も、子どもや高齢の親の世話をキャンプの隣人に頼るしかないケースが多く、家族を置いていくことへの心配が残る。また、キャンプの外で自分がやっていけるかという自信のなさが、家族という支えを失う不安をより強めている。

 さらに、労働市場とのミスマッチが生じている。雇用主の多くは18〜25歳くらいの若者を求める傾向があり、肉体労働など職種によっては年齢制限もあるため、難民から見れば、就労の機会は一層限られる。

 これらの齟齬は、タイ国内の労働力不足という外的要因が背景にあるため、合法就労の導入が必ずしも難民の実情や希望に基づいて決まったわけではないことを示している。

タイでは正月までクリスマス飾りが残っているのをよく見かけるが、キャンプでも同じようだった(2026年1月、筆者撮影)

枠組みの外で働き始めた友人

 2026年1月に現地訪問を終え帰国して間もなく、キャンプで再会した友人のタアワ(34)から連絡があった。バンコクに到着して出稼ぎを始めたものの、労働環境は過酷だという。彼は今回の制度が定める就労対象者ではないが、自らの判断でキャンプの外で働き始めた。

 タアワはこの数年間、キャンプ内で主夫として家事や子どもの世話をしてきた。筆者は訪問時に「もしかしたら来年はバンコクに行くかもしれない」と聞いてはいたが、「バンコクは大変だよ。(労働環境も)かなりきついと思うよ」と冗談交じりに話して別れたばかりだった。急な展開に、驚きを隠せなかった。

「昼食を食べていって」と、筆者の好物のトマトサラダを手際よく作ってくれた。奥にあるのは、カレンの伝統的なスープ料理「タラポ」。タアワの奥さんは本当に料理がうまい(2026年1月、筆者撮影)

 キャンプの外に出れば、彼はただの非正規滞在者だ。キャンプ内の登録状況によって扱いは異なるが、彼の場合、ミャンマーへ強制送還され、妻と子どもが暮らすタイに戻れなくなるという最悪のケースもあり得る。

 キャンプからバンコクへ出稼ぎに行くこと自体は珍しくない。しかし、タアワはかつて筆者がミャンマーのカレン州に駐在していたとき、身近だった存在で、大切に思っている友人である。

 当時の彼は、初めて組織の中で役割を任され、自身の強みを活かしながら仕事をする経験を積み始めたばかりであった。そんな彼が、タイで非正規滞在者として身を潜めながら過酷な環境で働いている姿を思い浮かべるのは、耐え難い感覚だった。

 筆者が駐在していた2015年、カレン州の彼の出身村で武力衝突が起きた。ミャンマー都市部出身のスタッフがヤンゴンへの避難を希望するなか、彼は家族の様子を見に村へ戻った。「必ず無事に帰ってきて」と背中を見送った記憶が蘇り、どうして生きるのはこうも大変なのかと考えずにはいられなかった。

現状と制度のずれ

 本稿で見てきたように、難民の就労の合法化をめぐっては、複数のレベルで齟齬が生じている。

 まず、たとえ合法的に働ける対象者であっても、制度によって与えられる権利の条件と、家族と離れたくない、あるいは離れられない難民の生活との間には、ずれがある。また、難民の実情と、労働市場が求める若さや職種などの条件の間にも、構造的なミスマッチが存在する。さらに、タアワの例が示すように、難民の個々人の選択は、公式な就労許可の枠の外で行われることが少なくない。

 合法的に働く道が開かれるという大きな転換点が訪れても、キャンプでの暮らしはすぐには変わらない。

 

 

執筆者プロフィール

(おおば・みどり)東京外国語大学大学院博士後期課程在学。論文に「作られた村への『帰還』に対する難民当事者たちの意味づけ ― ミャンマー・カレン州レイケイコー村を事例として」(第11回若手難民研究者奨励賞)。民間企業を経て国際協力NGOで勤務し、ミャンマーのカレン州およびラカイン州に駐在した。現在は大手NGOで調査業務に従事しながら、任意団体Listening to Communitiesの代表を務める。生活の中心は4歳の息子で、体力づくりが切実な課題。

 

 

 

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