ミャンマー(ビルマ)知・動・説の行方(第10話)
シャン系の人々に見る多様性と交錯
- 2025/4/2
- 知・動・説の行方
民族をどうとらえるか―。各地で民族問題や紛争が絶えない世界のいまを理解するために、この問いが持つ重みは、かつてないほど高まっています。一般的に、民族とは宗教や言語、文化、そして歴史を共有し、民族意識により結び付いた人々の集まりを指すとされますが、多民族国家ミャンマーをフィールドにしてきた文化人類学者で広島大学名誉教授の髙谷紀夫さんは、文化と社会のリアリティに迫るためには、民族同士の関係の特異性や、各民族の中にある多様性にも注目し、立体的で柔軟な民族観の構築が必要だと言います。
特にビルマとシャンの関係に注目してきた髙谷さんが、多民族国家であるにもかかわらず民族の観点から語られることが少ないミャンマー社会について、立体的、かつ柔軟に読み解く連載の第10話です。
全国シャン新年祝賀会(タウンジー、2014年11月21~22日)
第8話で紹介したように、全国レベルでのシャン新年祝賀会は、2012年に東部シャン州の中心地、ケントゥンで開催された。今回は、それから2年後の2014年、シャン暦の2109年元日にシャン州都のタウンジーで開かれた2回目の全国レベルの新年祝賀会について紹介したい。
この年、筆者はこれに先立ち11月18日から3日間にわたりタウンジー大学で開催された国際文化セミナーに発表者として参加する予定だった。しかし、日本からの飛行機の遅延により、11月21日にシャン文芸文化協会の中央本部事務所で開かれた新年祝賀会の前夜祭と、翌22日のインレー湖周辺への訪問にだけ参加することになった。
地元紙の報道によれば、新年祝賀会は、毎年11月に開かれるダザウンダイン灯明祭りのハイライトと言える熱気球イベントと同じ場所で開かれているようだった。11月22日からの新年祝賀会には、当時、副大統領の職にあったサイマウカム博士夫妻をはじめ、連邦大臣やシャン州政府の議長、国会議員、軍管区司令官、州政府議会の議長と議員、諸民族集団代表などが顔をそろえた。会場の一角には農業局のブースやシャン文芸文化協会のブースが設けられ、シャン民族の歴史や文化に関する展示もあったようだ。
特に注目されたのは、中国国内でタイ系言語を母語とする壮(チュアン)族や、インド・アッサム地方に居住するタイ系のタイ・アホム族が、一連のイベントに参加していたことである。壮族だという参加者は、広西社会科学院の民族研究所と東南アジア研究所の研究員で、ミャンマー国内のシャン知識人と交流するなかで新年祝賀会に招待されたと語った。
壮族は、中国の公定56民族の中で多数派である漢族に次ぐ人口を擁している。シャン語と壮語は学術的には単語レベルでわずかに共通性が認められる程度であり、壮族は「自分たちはタイ・チュアンではなく、チュアンだ」と強調する。近代になって明らかになったタイ系としての共通性を認めながらも、強い独自性を保持していることが感じられ、印象的だった。彼らを招いたシャン新年祝賀会の実行委員会でも同様の発言を耳にし、タイ系という学術的なまとまりが近代になって構築されたことを再認識した。
一方、タイ・アホムは、インド・アッサム地方に移住したタイ系民族だが、歴史的にヒンドゥー教の影響を受容してきたため、タイ系としての共通性より差異化が顕著である。
ダヌ族との出会い
前夜祭の懇親会が始まるまでタウンジー市内を散策してみると、これから会場に行くらしいシャンの民族衣装を着た若者が街を闊歩し、シャン新年の雰囲気を盛り上げていた。
中央市場の近くで、「ダヌ族」と書かれた看板が目に入った。ダヌ族のタウンジー事務所(正式名は、ダヌ文芸文化と地域発展中央委員会事務所)だった。ダヌ族は、2008年のミャンマー連邦共和国憲法によってシャン州内に自治地域を確保された民族集団の一つである。2011年に『ダヌ民族史(ビルマ語)』を出版したばかりだという名誉顧問の話によれば、委員会は約2年前にタウンジーに事務所を構えたという。
ダヌ語がビルマ語系統に属しているためか、名誉顧問はダヌ族とビルマ文化の共通性を強調した。例えば、季節の祭りのなかでも、ビルマ暦の新年(西暦の4月)のティンジャン、雨安居明けからダザウンダイン灯明祭りまでの期間(西暦の10月から11月)に僧衣を寄進するカティンの祭り、そしてダザウンダイン灯明祭り(西暦11月)の三つが特に盛大に祝われており、特にティンジャンはビルマ族と祝い方がまったく同じだと彼は語った。その一方で、ダヌ族の太鼓はシャン文化でも使われているが、「ダヌ族の太鼓は、シャンの太鼓と比べて丈が低くて太い」と話し、「われわれはシャン新年祝賀会とはまったく関係ない」と強調した。
もっとも、ダヌ族の男性のフォーマルな衣装は、いわゆるシャン・ズボン(ビルマ語でバウンビー)で、シャン文化と共通している。ダヌ族事務所が開設されたことをどう思うかとシャン族の知識人に尋ねると、「民族同士の分割統治をもくろむ政府の政策だと思う」と、いたって冷静に受け止めていた。
ダヌ民族の日は、毎年、ビルマ暦のナドー月白分8日と定められている。西暦では、第1回が2018年12月15日、第2回が2019年12月4日に開かれており、民族の日を定めている他の民族と比べれば歴史的に新しい。第6回は、2023年12月20日にシャン州都タウンジーから約70キロ離れた山間の町、ピンダヤで開催されたようだが、反政府闘争を重ねているダヌ民族解放戦線は、ダヌ民族委員会が軍事政権と合同で祝賀会を開催したことを問題視し、「ダヌ族の尊厳を汚した」とウェブ上で批判している。2021年2月に発生した軍事クーデターは、シャン州の少数民族が自画像を構築するうえで、連帯よりも分断をもたらしていることがうかがえる。
民族と仏教と歴史が交錯するサンカ
シャン新年祝賀会の後、筆者はインレー湖上に建てられているファウンドーウー・パゴダなどを動力船で周遊した。毎年、ビルマ暦のダディンジュ月(西暦の9月から10月)に仏像を船(カラウェイ)に乗せ、18日かけて湖畔の村々を回りながら祈りを捧げる「ファウンドーウー祭り」、あるいは「カラウェイ・フェスティバル」で知られるパゴダである。
船が納められている倉庫に立ち寄った後、動力船は水草を掻き分けながらさらに南下し、細い水路を抜けてサンカ(ビルマ語ではサガー)に到着した。
サンカでは、かつてシャン系の伝統的な首長であるツァオパーが領主を務めていた(第7話参照)。子孫の一人が案内役を務めてくれ、系図や写真を示しながらこの地の歴史を説明してくれたところによれば、このあたりは最近まで反政府軍と抗争していたが、最近は治安が安定し、観光用のロッジも建設されて、インレー湖の観光業の新たな拠点になっているということだった。
サンカに建立されている寺院は、まさに民族と仏教と歴史が交錯している。例えば、僧侶の一人はシャン族ということだったが、読経の際にはビルマ式で発音していた。同行していたシャンの知識人がそう指摘すると、僧侶は「自分がビルマ式で発音していることは自覚しているが、この国の僧侶の世界も中央集権化が進んでいるため、その発音方法に従っている」と語った。
ここで筆者は、現在のタイ王国北部から東部シャン州にかけて僧侶の集団(仏教サンガ)の交流がどのように行われ、どう変遷したかについて、歴史家の石井米雄氏がシャン文化圏の歴史と言語に関する座談会で語った内容を思い出す。石井氏は、全227に上る仏教の戒律を僧侶が一緒に唱和できるか否かという点に注目して仏教宗派間の親和性を分析。タイ王国北部のチェンマイ、チェンライ、中国雲南省西双版納ツェンフン(景洪)、ラオスのルアンパバーン(チェントーン)、そしてミャンマーの東部シャン州ケントゥンの5つの地域では僧侶たちが戒律を唱和できるのに対し、シャン州内でもケントゥン以外のシャン寺院の僧侶たちは唱和できないことを挙げてシャン仏教にビルマ化の影響が認められると指摘した。
これら5地域では、首長であるツァオパーの間に系譜的なつながりがあり、僧侶と商人らの移動を通じてタイ系の言語を話す人々の生活圏が歴史的に形成されていたが、19世紀から20世紀にかけて国境が設定され、今日にいたる。
しかし、それで交流が途絶えたわけではなかった。その例として挙げられるのが、タイ王国チェンマイのドイステープ寺院で1934年から1935年に建設された参道である。この事業は、当時、民衆から絶大な支持を得ていた僧侶のクルーバー・スィウィチャイが主導し、ミャンマーの南部シャン州に住んでいたシャン系商人らの支援を得て進められた。ドイステープ寺院の麓にある記念モニュメントには、他の支援者と並んでこの商人の像も建てられている。
ビルマ族の視点に立つと、同じタイ系言語を母語としているシャン系の人々をとかくひとくくりにしがちだが、彼らには多様性があり、民族と宗教と言語が交錯している。さらに彼らは、近代に入って進められた国家の中央集権化の影響も受けている。シャン族も、シャン仏教も、シャン語も、長年にわたる周辺民族との重層的な交流の中で変遷を遂げており、一筋縄で理解することは難しい。だからこそ、歴史的にも空間的にも、一つ一つ解き明かしていくことが期待されるのである。
参考文献:
新谷忠彦(編) 1998 『黄金の四角地帯〜シャン文化圏の歴史・言語・民族』 慶友社.