【ミャンマー】半年拘束の米国人記者は「勘違い」逮捕か
 「誤り」認められぬ国軍支配

  • 2021/11/25

 ミャンマーで拘束されていた米国人ジャーナリストのダニー・フェンスター氏が11月15日、約6カ月ぶりに解放された。懲役11年の有罪判決が宣告された3日後の釈放で、わずかな間の方針転換は関係者を驚かせた。このフェンスター氏の逮捕については、当初から「誤認逮捕ではないか」という見方が強かった。ミャンマーで拘束された経験があるジャーナリストの北角裕樹が、この事件について解説したい。

釈放後、リチャードソン氏とともにネピドーの空港から帰途に就くフェンスター氏(リチャードソン・センターのツイッターより)

当局、転職に気づかず?

 まず、フェンスター氏の逮捕の経緯を振り返る。現地の報道によると、フェンスター氏は5月24日、帰省のためマレーシア行きの航空便に搭乗しようとしたところ、ヤンゴン国際空港で拘束された。当局はミャンマーから出国する搭乗者の名簿をチェックしており、同様に空港で搭乗直前に逮捕されるケースが頻発していた。オーストラリア人コンサルタントが拘束された例もある。
 フェンスター氏は、クーデター前の7月までオンラインニュースのミャンマー・ナウに勤務していた。そしてその後、英字誌のフロンティア・ミャンマーに移籍したとされる。クーデター後、ミャンマーではメディア弾圧の嵐が吹き荒れ、デモ鎮圧現場からレポートしていたミャンマー・ナウの女性ビデオジャーナリストが逮捕されたほか、同社のヤンゴン中心部の事務所は家宅捜索を受けた。同社など計8社は免許を取り消され、非合法化された。しかし、当時、フェンスター氏が編集局長を務めていたフロンティア・ミャンマーは、英字誌ということもあってか、業務は合法に行える状態にあったのだ。
 フロンティア・ミャンマーによると、検察側は裁判を通じて「フェンスター氏は逮捕時点でミャンマー・ナウのために働いていた」と主張。起訴事実もミャンマー・ナウに関するものだったという。しかし弁護側は給与明細などの記録で事件当時はフロンティア・ミャンマーに勤務していたことを証明した。フロンティア・ミャンマー側もミャンマー・ナウ側も同様の主張をしており、転職は事実と考えてよいと思う。

 裁判中の検察側の主張を考えると、捜査当局は逮捕時には彼の転職を把握していなかったとみられる。ミャンマー・ナウの社説によると、捜査当局は同社がビザ取得のために情報省に提出した編集者の名簿を持っていたが、それはフェンスター氏が在籍していた時点のものだったという。この名簿に従って、捜査当局はクーデター以降、フェンスター氏を含むミャンマー・ナウの編集者の行方を追った。そして搭乗者リストにフェンスター氏の名前を見つけたため、すでに退職していることを知らず、慌てて逮捕したのではないかと考えられている。 

間違いを正せない独裁体制

 同氏の逮捕後、弁護側の指摘によって捜査当局は転職を知ることとなるが、その事実を認めることはなかった。ミャンマーの捜査当局は、日本の当局とは異なり、基本的に拘束前の任意の取り調べを行わない。当局に対する信頼度が低く、正直に無実を主張しても無駄だと考えられているため、捜査の手が及んでいることが分かれば被疑者はすぐさま逃亡するからだ。そのため、弁解の機会がなく簡単な誤解を解くこともできずに逮捕されてしまうケースが頻発している。捜査は大変ずさんだと言わざるを得ない。

フェンスター氏の家族が始めた釈放を求めるオンラインの署名活動

 筆者が逮捕されたケースも、似たようなものだった。筆者は、逮捕された知人から2000ドルで(クーデターを批判する)動画を購入したとして起訴されている。しかし、動画を買った事実も動画を受け渡した事実もないのである。
 筆者の取り調べや、裁判で分かったことは、知人が拷問の末に、虚偽の事実を認める調書を取られているということだ。おそらくは現場の捜査官の思い込みで「こうに違いない」というストーリーに従って、虚偽の自白をさせられ、調書にサインさせられてしまったのだ。筆者の取り調べにおいても、その虚偽の内容をもとにした調書が作成されそうになり、「それは違うから直してくれ」と言ったにも関わらず、「お前は捜査に協力していない。だから俺が好きなように書いても仕方ないだろう」と言われて訂正されなかったことがある。当然サインはしていないが、未署名の調書として残ってしまっているかもしれない。

 こうしたずさんな捜査の中で間違った事実関係に従って逮捕・起訴されたとしても、裁判所は国軍の支配下にあり、検察側の主張通りの有罪判決を下すので、司法手続きの中で捜査当局が困ることはない。裁判を通じて捜査の誤りを正すプロセスがなく、それはさらにずさんな捜査を呼ぶ結果となっている。
 政治犯を追う捜査当局は、「ミリタリー・インテリジェンス」と呼ばれる情報将校に率いられた警察の部隊から成ることが多い。実質的に捜査を指揮しているのは、警察ではなく軍人だ。多くの政治犯は、逮捕後に刑務所に収容される前に軍の施設に送られ、拷問を伴う厳しい尋問を受ける(ただ、外国人である筆者やフェンスター氏は拷問されず、逮捕後にそのままインセイン刑務所に収容されている)。このように、軍が捜査の主導権を握っていることも、強引な捜査がまかり通る一員になっている。取り調べを受けた政治犯らからも「警察官はまだまし」という声が聞かれている。

笹川会長と会談後に一転釈放
 さて、フェンスター氏は反政府運動を広範に禁じる刑法の規定、違法な団体に接触したという非合法結社法、入国管理法など合計3つの罪で有罪判決を受け、合計で11年の懲役刑を受けていた。いずれもそれぞれの法の最高刑で、厳しい判決だったと言える。一方で、これに先立つ11月2日には、元国連大使のリチャードソン氏がミンアウンライン国軍司令官と会談している。この時点ではフェンスター氏の解放交渉については不調に終わったとみられる。そして、その後13日に国軍司令官と会談したのは、笹川陽平・日本財団会長(ミャンマー国民和解担当日本政府代表)だ。この会談が決め手となり、国軍司令官がトップダウンで解放を決めたとみられる。
 ミャンマーの国営メディアの発表によると、笹川会長とリチャードソン氏のほか、渡辺秀央・日本ミャンマー協会会長らの名をあげ、要請を受けたことから、人道的見地で釈放を決断したとしている。
 笹川会長は朝日新聞の取材に対して、米国から要請を受けてフェンスター氏の釈放を働きかけたことを明らかにしている。米国側が日本の持つ国軍側への「太いパイプ」に頼って交渉を行ったようすが浮かび上がる。また、笹川会長は12日から19日までのミャンマー滞在中に、国軍側だけでなく、少数民族武装勢力や民主派政党の幹部らと精力的に会談している。国軍側も内戦の全国的な拡大に手を焼いている中で、少数民族側との対話のルートとして笹川会長が重要視されていることが明らかになった形だ。

今でも1日数十人が拘束
 こうしてクーデター後に拘束された4人目の外国人ジャーナリストが解放されたのだが、国軍側は外国人の解放をあくまで特別な措置として扱っており、国内ではアウンサンスーチー氏をはじめとする多くの政治犯が捕らわれたままだ。

フェンスター氏への判決を受け、筆者が発表した抗議メッセージ「報道は罪ではない」

 市民団体によって確認されているだけでもクーデター後に1万人以上の市民が逮捕されており、いまだ数千人が拘束されている。ジャーナリストも100人以上が逮捕されたとされ、数十人が収監された状態だという。外国人では、オーストラリア人で政府の経済顧問だったショーン・タネル氏が9カ月にわたり拘束されている。
 クーデター以降、国軍は6月末と10月に数千人規模の恩赦を行っているが、釈放された政治犯の数は発表より大幅に少ないのではないかと指摘されている。何より、現在も1日数十人単位で新たな市民の拘束が続いているのだ。フェンスター氏の解放が、国軍の弾圧が軟化していることを示すとはとても言えない状況だ。

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