ミャンマー東部 ジャーナリストが見た国境地域(上)
殉難者の日 描けぬ未来

  • 2025/9/25

 2021年2月1日に発生した軍事クーデター後、ミャンマー各地で国軍と民主派や少数民族との内戦が繰り広げられている。ミャンマー東部カイン(カレン)州でも、タイにつながる主要な貿易ルート「アジアハイウエー」の支配権などを巡り、激しい戦闘が続く。そうしたなか、筆者はカイン州の国境地域を訪れた。少数民族カレン人の組織間の微妙な関係や内戦の爪痕が見てとれた。2回にわたって報告する。

式典に並んだKNLA第101特殊大隊の兵士ら(筆者撮影)

カレン民族運動の支柱

 高い木々を隔てた東側に、タイとの国境をなすタウンジン(モエイ)川が流れる。西には急峻なドーナ山脈の頂が連なる。一見する限り、自然に囲まれた穏やかな風景が広がっていた。
 国境貿易の町ミャワディ北方の「コウムラ」と呼ばれる地域。国軍に対抗するカレン人武装勢力「カレン民族同盟(KNU)」の軍事部門「カレン民族解放軍(KNLA)」の第7旅団が管轄し、第101特殊大隊が拠点を置く。
 筆者は8月12日に開催される「殉難者の日(Martyrs’ Day)」の式典を見学するため、同大隊の拠点がある地を訪れた。

 ミャンマーで「Martyrs’ Day」というと、英国からの独立運動を率いたアウンサン将軍を追悼する7月19日のイメージが強い。クーデター後、国軍に拘束されている民主化指導者アウンサンスーチーの父だ。アウンサンは独立目前の1947年7月19日、最大都市ヤンゴンで政敵に暗殺された。32歳の若さだった。
 だがカレン人が特別な意味合いを込めて呼ぶ「殉難者」は、多数派民族ビルマ人のアウンサンではない。1947年にKNUが創設されたころ、組織を率いたカレン人のソーバウジーを指す。
 ソーバウジーは1905年、ミャンマー中部エヤワディ地域で生まれた。英国のケンブリッジ大学に留学し、法学を専攻。ミャンマーに戻って弁護士業を営んでいたが、第2次世界大戦から独立へと至る激動のなかで、民族運動に深く関わっていった。

ソーバウジーの慰霊碑に花輪を捧げる若者たち(筆者撮影)

 1948年1月にミャンマーが独立した直後から、ソーバウジーはカレン人の自治を求めて武装闘争を展開。「降伏はあり得ない」「われわれは自らの政治的運命を決める」など、カレン人の民族運動の支柱となる4原則を確立した。だが、1950年8月12日、カイン州内でミャンマー国軍に殺害された。
 殉難者の日はソーバウジーの命日に死を悼み、理念を受け継ぐ民族的な記念日に当たる。KNUの複数の拠点で例年、式典が開かれており、コウムラはその一つだった。

杯傾ける兵士ら

 式典前日の8月11日の午後、会場となる広場ではリハーサルが行われていた。
 最後方に100人以上の若い男女が並び、その前に第101特殊大隊の兵士が隊列をなす。いずれもサッカーのユニホームなど私服姿だ。
 式典での整列位置や手順を細かく確認。数十メートル離れたテントの下では、第101特殊大隊長や第7旅団長を歴任したポドゥ将軍がロンジー(ミャンマーで着用される腰布)姿で椅子に腰を下ろし、お目付役としてじっと眺めていた。
 ただ、兵士に限れば、参加者は30人弱でこぢんまりとしている。筆者を案内したKNUのセイ(仮名)は「全ての隊員が参加しているわけではない。戦闘が続いているし、あまり大々的に集まると、国軍の空爆の標的になりかねない」と説明した。
 広場のわきでは、男性たちがニワトリを締め、毛をむしり、内臓を取り出した後、炭火で丸焼きにしている。式典参加者たちに振る舞う準備が進んでいた。

式典参加者に振る舞うため、炭火でニワトリを焼く男性ら(筆者撮影)

 日が暮れると、一帯は前夜祭の雰囲気に包まれた。外国からの援助を受けて造られたという高校のホールで、深夜までコンサートが開かれた。
 若者たちが生演奏に合わせ、自慢ののどを披露する。ジャンルは多彩で、ヒップホップやヘビーメタル系も。カレン人にはキリスト教徒もおり、幼いころから賛美歌に触れている影響なのか、概して歌がうまい。 

前夜祭で演奏する若者たち(筆者撮影)

 別の建物では、兵士らがタイ産のブランデー「リージェンシー」をストレートやソーダ割りで楽しんでいた。
 第101特殊大隊の兵士ブレイブロウ(35)はソーバウジーと同じエヤワディ地域出身。7つあるKNLAの旅団のうち、第5旅団に2012年に加わった後、現在の大隊に移ったという。
 「ソーバウジーは人々の自由を求め、自らを犠牲にした。だから尊敬している。われわれも次の世代のために、自由が得られるまで独裁者の国軍と戦う」と、杯を片手に力を込めた。

式典に現れたもう一つの武装勢力

 本番の式典は2部構成で、第1部は翌12日の早朝6時ごろから始まった。
 リハーサルと違って、緊張感が漂う。最後方の若者は民族衣装姿。第101特殊大隊の兵士も前日と同規模ながら、制服に身を包んでいる。ロンジー姿だったポドゥ も制服をまとい、威厳を示した。
 広場に設置された黄金色のソーバウジーの胸像に向かって整列、黙とうし、歌を捧げる。兵士らは自動小銃を「捧げ銃」の姿勢で構え、敬意を表した。

民族衣装をまとった若者たち(筆者撮影)

 厳粛な雰囲気で式典が進むなか、別の兵士の一団が現れ、会場の端に並んだ。
 近づいて制服を見ると、第101特殊大隊とは違う。肩に黄、緑、赤3色のミャンマー国旗、胸には「Karen National Army」と書かれた記章を付けている。
 「カレン国境警備隊(BGF)」が改称した「カレン民族軍(KNA)」だった。この武装勢力は、KNLA第7旅団のエリアを主な勢力圏とし、4つのグループのもと計13の大隊を持つとされる。このうち式典に加わったのは、ボーモーウィン指揮官が率いる第3グループの部隊だという。

式典途中から参加したKNAの兵士ら(筆者撮影)

 ミャンマーの国境警備隊は形式上、国軍の指揮下の正規軍に位置付けられる。だがカレンBGFは、一定の独立性を持って存在してきた。その立ち位置は、分裂を繰り返したKNUの歴史を象徴している。
 1994年、キリスト教徒が主軸だったKNUから仏教徒の兵士らが離脱。「民主カレン仏教徒軍(DKBA、BはBuddhist)」を結成した。独立直後からの戦いが長引くにつれ、国軍に押されていたKNUの劣勢は加速した。
 1995年、KNUは本拠地のマナプロウを国軍に制圧された。当時、コウムラでも国軍との激しい戦いがあった。古参のKNU関係者は「日本人義勇兵も1人死亡した」と話した。
 軍政下だった2008年、新たな憲法が公布され、国軍が唯一の武装組織だと規定された。
 国軍は新憲法に基づき、各少数民族武装勢力に、国軍傘下のBGFか民兵組織に改編するように要求。DKBAは国境開発旅団を除き、カレンBGFに改編した。国境開発旅団は改編を拒否しつつ、2011年に中央政府と停戦を結び、「民主カレン慈善軍(DKBA、BはBenevolent)」と改称して今に至る。
 こうした経緯から、カレンBGFとDKBAは国軍との協調関係を築き、タイとの国境地域で密貿易やカジノ運営などの利権を得て、資金源としてきた。カジノについては、中国系犯罪組織が入り込み、日本人を含む多数の外国人を使ってオンライン詐欺の拠点にしていた事実が今年、大きく報じられ、衝撃を与えた。

情勢にらみ接近を探る動きも

 ただし、分裂しつつも、カレン人の各武装勢力が没交渉になってきたわけではない。KNUやカレンBGF、DKBAなどは「カレン武装グループ統一委員会(UCKAG)」を組織し、2013年以降、会合を開いている。その素地の上でクーデター以降、組織間の接近を探ったり、国軍と距離を置いたりする動きがある。
 KNUの場合、ミャンマーがいったん民政移管した翌年の2012年、中央政府と停戦合意した。2015年には全国規模での停戦を目指す「全土停戦協定(NCA)」にも参加した。
 だが、クーデター後、国軍に対抗する方向にかじを切った。民主派の武装組織「国民防衛隊(PDF)」に軍事訓練を施し、戦場で共闘。NCAは無効になったと表明している。
 カレンBGFは昨年初め、国軍の指揮下を離れて「中立」の立場を取ると宣言。KNAに改称した。2023年10月27日に北東部シャン州で3つの少数民族武装勢力が国軍に一斉攻撃を仕掛けた「1027作戦」以降、国軍が内戦で劣勢になっていた時期である。DKBAについても、KNLAの一部と連携し、前線で共闘する状況が伝えられていた。
 殉難者の日の式典にカレンBGFがKNAとして参加した光景は、クーデター後の潮流の一端とも言える。
 KNUのセイは「昨年のコウムラでの式典にもKNAは出席した。同じカレン人としてソーバウジーを尊敬しているからだ」という見方を示した。

攻勢の陰にある不安

 式典の第1部と第2部の合間、KNUのポドゥとカレンBGFのボーモーウィンが語り合ったり、ソーバウジーの胸像を挟んで記念撮影したりする姿が見られた。演説が中心の第2部は、ポドゥに続き、ボーモーウィンも登壇した。
 ボーモーウィンは筆者の取材に応じなかったが、KNU関係者によると、KNUからDKBA、カレンBGFに移った人物だという。
 離脱者にも寛容なのは、民族的紐帯の表れなのか。互いに決定的対立を避け、組織を維持しようという計算もあるだろう。

ソーバウジーの胸像とともに記念撮影するポドゥ(右)とボーモーウィン(筆者撮影)

 式典終了後、ポドゥは取材に応じた。カレンBGFとの関係について「(UCKAGの第1回会合があった)2013年5月以降、われわれは戦っていない」と答え、DKBAなども含めた民族内の融和を強調した。ポドゥはKNU側のUCKAG担当者でもある。
 クーデターから間もないころ、KNUはPDFに入った若者を訓練していると認めていなかった。2021年11月、実際には訓練していると、軍政の国営紙に名指しで非難されたのがポドゥだった。だが、いまやPDFとの共闘は公然の話になっている。
 「PDFと同盟を組み、ともに戦っている。第101特殊大隊のエリアを含め、国境地域の多くの場所でPDFの兵士を訓練している」。隠すそぶりもないポドゥは「カイン州内で国軍の拠点の多くを制圧した」とアピールした。
 国軍のミンアウンフライン総司令官が率いる軍事政権は、12月28日から複数回にわけて総選挙を実施すると発表した。スーチーが率い、国民の支持が高い「国民民主連盟(NLD)」はクーデター後、政党資格を抹消されており、排除された形になる。
 ポドゥは「ミンアウンフラインはアウンサンスーチーのような政治指導者を拘束したままだ。釈放しない状況で、信用しようがない」と、親軍政権の樹立で統治の正当化を図る国軍の姿勢を切り捨てた上で、警告する。「もし、ミンアウンフラインが自らの過ちに目を向けず、独裁を続けるなら、戦いは終わらない」

第101特殊大隊の若い兵士ら(筆者撮影)

 筆者が訪れたころ、ドーナ山脈東側のタイ国境に近い地域で、KNUとPDFなどの抵抗勢力側は支配域を広げていた。ただ、抵抗勢力内の意識が統一されているとまでは言えない。クーデターを起こした国軍に反発し、都市部を後にしてPDFに加わった若者などの中には、カレン人武装勢力間のつかず離れずの関係に疑問を持つ人もいるようだ。
 KNUのスタッフの一人は「カイン州で武装勢力同士の戦いが広がれば、カレン人住民の行き場がなくなる。だから、カレン人の指導者たちは極力互いに戦わない道を選ぶ。だが『なぜ、軍に近いカレンBGFとKNUが仲良くしているのか』と思っている人もいる」と語る。
 式典自体は大過なく終わったが、カイン州全体に安定が訪れたわけではない。式典2日前の8月10日、州都があるパアン県の第7旅団本部に国軍の空爆があった。同月28日には、軍政がKNUをテロ組織に指定している。また、現地からの情報によると、アジアハイウエー南側の第6旅団管内では8月下旬以降、国軍が攻勢に出ていて、カレンBGFも協力しているといい、カレン人武装勢力間の関係も複雑で流動的だ。

 「ここは平和に見えるかもしれないが…」。KNUのセイはコウムラで、トウモロコシ畑の間の道を筆者らと散歩しながら、淡々と語った。「軍の戦闘機やドローンが来て、いつ空爆するとも限らない。『Tomorrow never knows(あすはどうなるかわからない)』だ」

下に続く

 

筆者プロフィール

 (きたがわ・しげふみ) 東京新聞(中日新聞東京本社)記者。1995年入社。2017年から3年間、バンコク支局特派員。アジア・オセアニアを担当し、ミャンマーの民主化や民族問題を取材した。現在、特別報道部。帰国後もクーデターが起きたミャンマーの動きを追い、「ミャンマーの声」のタイトルで連載を続けている。著書に「ミャンマー政変―クーデターの深層を探る」(ちくま新書)、「ミャンマーの矛盾―ロヒンギャ問題とスーチーの苦難」(明石書店)、共著に「報道弾圧―言論の自由に命を賭けた記者たち」(ちくま新書)がある。趣味はランニング。フルマラソンは10回ほど完走。好きなミャンマー料理はブーディージョー(夕顔のてんぷら)。

 

 

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