福島処理水の放出批判で情報戦に敗北した中国
国際情報操作の失敗から浮かび上がる共産党政権への信頼低下

  • 2023/10/3

 日本の福島第一原発のALPS処理水の一度目の海洋放出が8月24日に実施されて1カ月あまりが経った。二度目の放出も10月5日に予定されている。中国はこの処理水を「核汚染水」と呼び、日本が国際社会の反対を無視して一方的に海洋放出に踏み切ったために海洋と水産物が放射能に汚染されると言わんばかりの非難を展開したため、一時、中国の人民はパニックをきたすほど猛烈に放出に反発し、中国国内では反日感情が盛り上がっていた。しかし、最近は、そうした反応や反発が思わぬハレーションを引き起こし、中国自身の首を絞め始めている。

福島第一原発の「処理水」放出を受け、中国各地で塩の買いだめが発生した(2023年8月24日、上海で撮影) ©VCG/アフロ

情報統制により引き起こされたパニック

 8月24日に一度目の処理水の放出が行われた後、中国各地で食塩の買い占め騒動が発生した。上海第一財経の報道によれば、中国のEコマースプラットフォームでは食塩の在庫があっというまに底を尽き、そのほかの海産物や生鮮食品のサイトでも、塩の欠品が相次いだ。CCTVでは、福建省福州市のスーパーで買い物客が塩の袋を奪い合っている様子が報じられた。中には、数キロの塩袋をカートに山積みにしている客の姿もあった。一生かけて使っても有り余るほどの量だ。江蘇省をはじめ、浙江省、海南省、山東省、広東省など、各地でこうした塩の買い占め騒動が起きている様子がさまざまなメディアで報じられた。

 これを受け、国有中国塩業集団は8月25日、「すでに残業体制を敷いて塩の増産に入っているため、塩製品の市場への供給は保証する」と声明を発表した。また、中国国家市場監督管理総局も「塩の買い占めや便乗値上げは厳しく取り締まる」と発表せねばならないほど、市場は一時、混乱した。

東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出を巡り、中国外務省は反対の姿勢を強調した (2023年3月16日撮影)©AP/アフロ

 パニックの背景には、福島原発の処理水放出について中国当局が「日本政府は国際社会の強い疑念と反対を無視して一方的に福島原発事故の汚染水を海洋放出した」と激しく非難したことが挙げられる。外交部は声明を発表し、「福島の核汚染水の処置は、核安全上の重大な問題である。その影響は国境を超えて広がり、決して日本だけにとどまる問題ではない。人類が核を平和的に利用するようになって以降、これまで事故汚染水を海洋に放出した前例はなく、公認された処理基準すらない。…(中略)…海に大量の放射能物質を放出している日本は己の利益のために、中国国民と世界の人々に二次被害をもたらしている」と批判した。

 そのうえで中国税関総署はこの日、日本の水産品の全面禁輸措置を発表した。日本の福島核汚染水が海洋放出されることによって引き起こされる放射能汚染リスクを全面的に予防し、食品の安全を確保して中国消費者の健康を保護することを理由に掲げ、中国食品安全法や輸入食品安全管理弁法、世界貿易機関(WTO)の「衛生植物権益措置の実施に関する合意」などの規定に基づいた禁輸措置だと説明したため、海外の情報や報道が統制されている中国社会では、「日本から放射能汚染がやってくる」という誤った情報が一気に拡散されてしまった。

反日感情の盛り上がりも

 また、中国当局が日本の責任を追及し続けたことによって反日感情が盛り上がり、山東省青島にある日本人学校では投石が、また、江蘇省蘇州にある日本人学校では卵が投げ込まれるといった嫌がらせもあった。さらに、中国のネットインフルエンサーたちが福島県内の飲食店や公共機関の電話番号をネットで検索しては片っ端から国際電話をかけて罵倒する様子をSNSなどにアップしたため、8月から9月初旬にはこれらの店舗や事務所に迷惑電話や嫌がらせの電話が万単位でかかってきた。

 そのうえで、こうした状況を日本のメディアが批判的に報道すると、たちまち反論した。例えば8月29日付の環球時報は、「陰湿な意図をもった記事だと言わざるを得ない。日本は国際社会の関心を核汚染水の問題から日中外交の紛糾の問題にすり替え、日本が中国からいじめられているという論陣を張って世界の同情を誘おうとしている。我々は、見え透いた東京(日本政府)のたくらみを許してはならない。さもなければ、人類史上最大かつ最悪の白黒逆転が起きるだろう」と批判した。

引き起こされた想定外の副作用

 だが、中国側が「核汚染水」のプロパガンダを張って展開した日本攻撃は、思わぬ副作用を引き起こした。

 まず、日本の「核汚染水」によって海産物が放射能に汚染されているのではないかと恐れるあまり、海産物全般の購入が停滞するとともに、中国人が経営する日本レストランすら敬遠されるなど、中国経済への悪影響が出始めたのだ。

 さらに、一部中国人の中には、日本から広がる放射能汚染に怯え、ガイガーカウンターを購入して日本製食品や化粧品の放射能を片っ端から計測し、結果をSNSにアップする人も現れた。事実、24日からの一週間にオンラインサイトで購入されたガイガーカウンターの数は、普段の232%増だったと台湾の中央社が報じた。8月の一カ月間に、前月の数倍にあたる1万台以上のガイガーカウンターを売り上げた企業もあるという。だが、ネットユーザーたちが計測を始めると、日本の化粧品や食品では動かなかったガイガーカウンターの針が、自宅マンションの建材などで大きく動くことが判明した。

 中国のネット上で拡散されたある動画では、マンションの建材、特にタイルや大理石の放射線量は0.1ミリシーベルト/時だった。これは、戸外の平均的な値、0.06~0.08ミリシーベルト/時よりも、よっぽど高い。また、台湾メディアのNEWTALKは、上海のあるネットユーザーがガイガーカウンターで自宅を計測した時の数値が9.7ミリシーベルトを示したと伝えた。これは、東京の0.01ミリシーベルトの約976倍に相当する。この動画は拡散され、「日本の核汚染水よりも中国の不動産の方が放射能に汚染されている」と、話題になった。

福島第一原発構内に並ぶ処理水タンク群(2019年4月9日撮影) ©資源エネルギー庁 /Wikimedia commons

 こうして、中国国民の関心は、日本の核汚染水問題から中国の不動産の放射能汚染の問題へと移った。折しも中国では9月2日前後に内モンゴル・オルドスにあるウランなどの炭鉱採掘場で放射性物質が漏洩する事故が起きたという噂が流れ、詳細は不明ながらも、子どもを含む多くの住人が病院に収容されている様子を撮影した動画も一時、拡散した。こうした動画は当局によってすぐに削除されたが、ネットでは「北京の化学防護隊が出動したらしい」、「放射能が風に乗って北京にまで到達するかもしれない」といった噂が広がり、日本の「核汚染水」どころの騒ぎではなくなった。特に、北京や河北、山東といった内モンゴルの風下に位置する地域の人々にとって状況は深刻で、「中国当局が日本の“核汚染水”の問題を繰り返し批判するのは、中国国内で起きている放射能物質の漏洩事故や不動産建材の放射能汚染を隠蔽するためではないのか」と疑う声も聞かれた。

明らかになったプロパガンダ力の限界

 こうした状況の下、国際原子力機構(IAEA)の年次総会が9月25日からウィーンで開催された。総会では、まず中国国家原子エネルギー機構副主任の劉敬が「福島核汚染水海洋放出計画」について、「日本が関係国の強い反対を省みることなく海への放出計画を開始したことで、国際社会の幅広い懸念を引き起こす結果となった」と非難。「長期的かつ効果的な国際監視体制を構築すべきだ」と主張したのに対し、高市早苗科学技術相が「IAEAに加盟しているにも関わらず、事実に基づかない発信や突出した輸入規制をとっているのは中国だけだ」と猛反発するなど、激しい応酬があった。この時には、在ウィーン国際機関日本政府代表部の引原毅大使も、「中国国内にある複数の原発から年間に放出されるトリチウムの量は、福島第一原発から放出される量の5倍から10倍に上る」と、踏み込んで反論した。

処理水の放出を前に福島第一原発を視察する岸田首相(2023年8月20日撮影) ©内閣官房内閣広報室 /Wikimedia commons

 中国当局は当初、「処理水」を「核汚染水」と言い換えて日本を攻撃することによって、中国国内の求心力を高め、反原発の国際世論を代表するつもりでいたのだろう。だが、結果的にはその思惑は外れた。日本の処理水を「核汚染水」だと攻撃すればするほど、中国は国際社会の中で孤立を深め、人民は国内の放射能汚染や放射性物質漏洩事件に、より関心を向けるという「ヤブヘビ」な状況を引き起こしてしまったのだ。

 米国務省は9月28日、「中国がいかにグローバルな情報環境を再構築しているか」というテーマで報告書を発表した。同報告書は「中国が故意にフェイク情報を流し、詐欺まがいな方法で大衆を騙すことでグローバルな情報環境を自国に有利に構築しようとしている」と指摘し、国際社会に警戒を呼びかけている。さらに、「中国は、外国メディアを買収したり、ネットインフルエンサーを利用したりすることでフェイクニュースを巧みに拡散している」という指摘も注目される。これは、中国が宣伝や外交、デジタル権威、メディア、ネットインフルエンサーの買収、恫喝、そしてコントロールなどを通じて国際的な情報を操作することによって、「情報戦」を仕掛けていることを意味する。福島原発の処理水を「核汚染水」と言い換えて国際世論を操作し、日本をヒール(悪役)に仕立てることによって自国イメージを好転させようとしたことが、まさに中国の「情報戦」だった。しかし、中国はこの戦いに敗北した。

 その証拠に、中国の都市部の若者たちの間では、すでに日本の処理水問題への不安はほぼなくなり、検索エンジンを提供するバイドゥ(百度)が発表した今年の国慶節連休(9月29日~10月6日)の人気旅行先ランキングによれば、日本が堂々のナンバーワンとなったという。実際に行ったかどうかはともかく、「日本に旅行したい」と思いながら検索した人が多かったことを表している。

 今回の中国の情報戦の敗北は、中国のプロパガンダ力の限界を示している。それは、昨今、中国の共産党政権に対する期待と信頼が国内外で著しく低下しつつあることとも無関係ではない。一帯一路構想や新型コロナ対策、不動産・経済政策などで失策が連続したことが、トドメを刺した。中国はこれまで国内の不満が膨らむたびに反日感情を刺激し、煽ることによって共産党への求心力を取り戻すというやり方をお家芸にしてきた。しかし、今回の一件は、そうしたやり方では、もはや中国共産党の求心力も国際イメージも挽回できないほどに傷ついているという事実が白日の下にさらされたと言える。

 

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