コロナ禍中に始まった異例のイスラム犠牲祭
「真の犠牲とは」問いかけるインドネシアの地元紙
- 2020/8/3
イスラム教の宗教的な祝日、イード・アル=アドハー(犠牲祭)が7月30日に始まった。この日、インドネシアの英字紙ジャカルタ・ポストは、コロナ禍に犠牲祭を迎えるイスラム教徒に向けた社説を掲載した。
形を変えた宗教行事
犠牲祭は、イスラム教の神アッラーに忠実で敬虔な使徒、イブラヒムが自分の息子をいけにえとしてささげようとしたことをたたえる日。毎年、イスラム教のカレンダーに則って時期が決められ、世界中のイスラム教徒がサウジアラビアのメッカへ巡礼する。
今年は7月30日から8月3日までの4日間と定められたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、犠牲祭をはじめとするイスラム教の宗教行事もさまざまな変化を余儀なくされた。その様子について、社説は次のように伝える。
「新型コロナウイルスの感染拡大は、宗教行事だけでなく、人々の生き方をも大きく変えた。インドネシアウラマ評議会(MUI)は、犠牲祭を迎えるにあたって国内のイスラム教徒たちに感染予防策の徹底を呼び掛けた。特に、感染のリスクが高いレッドゾーンに認定されている地域の人々は、モスクに礼拝に行くことを避け、いけにえにする動物の解体儀式も集団を避けて適切に処置できる場所で実施するようにとの通達が出された。ジャカルタ市内では現在、33のコミュニティがこのレッドゾーンに指定されている」
その上で社説は、例年とは違う今年の犠牲祭について、「日々の暮らしの中でなかなか落ち着いて考える機会のない与えることの寛容さと誠意について静かに思いを巡らせる絶好の機会になるだろう」との見方を示す。
「例年同様、この時期にメッカ巡礼を予定していた各国のイスラム教徒たちは、サウジアラビアが巡礼者を国内の人々に限定したことで、さぞがっかりしているだろう。特に、何年も巡礼を夢見ていた人々にとっては、試練の時だ。人々は、コロナ禍の中で健康と安全を守るため、多くのものをあきらめ、手放すことを学んだ。それはまさに犠牲祭でいけにえを捧げる精神に通じる」
「長い旅路になる」
その上で社説が強調するのは、「自分たちを守ることができるのは、自分たち自身だけだ」ということだ。
社説は、「一家の大黒柱は、職場や通勤に利用する交通機関が安全ではないとしても、会社や工場に通勤している。それは、彼らが自分の健康よりも家族の健康と暮らしを優先しているからだ」とした上で、次のように訴える。
「そうした犠牲は、短期的なものに過ぎない。一家の大黒柱が病気になれば、家族が代わりに負担を背負わなければならないからだ。われわれは、まず自分の健康を守ることに留意しなければならない。自分の身を守ることが、家族を含め周囲を守ることにつながる」
また、治験段階にあるワクチンや治療薬を人々が使えるようになるのは来年になるとの見通しを示した上で、「だからこそ、短絡的な発想で目の前の危険を冒すことなく、冷静に対応しよう」と呼びかける。今こそ、われわれはマスクを着けたり、手を洗ったり、ソーシャルディスタンスを守ったりすることを通じ、まずは自分自身をしっかり守らなければならない。すでに何度も言われていることだが、一人ひとりがその基本を守ることが、どこの国にとってもあらゆる対策の基本だ。
「長い旅路になるだろう。人々はなかなか出社できなかったり、友人や親類に会えなかったりしている。しかし、それによって同僚や友人や親類の安全が守られているのだ。政府の施策や上司の監視の目がなくても、自分たちで実行できるはずだ。一番難しいことは、常に自分自身をコントロールすることだ」と、社説は言う。
宗教的な祝日を迎え、人々は祈りの中で内省をする。その機会をとらえた、イスラム国家らしい社説だ。
(原文https://www.thejakartapost.com/academia/2020/07/30/true-acts-of-sacrifice.html)