スラムの映画館「ヴィダ」に集う人々
ケニアの低所得者層に憩いと居場所を提供する空間
- 2019/12/1
マザレにヴィダが存在する意義
スラムでもテレビを持っている家は一定数いる。しかし、衛星放送を視聴できる世帯は決して多くはなく、ナイロビのスラムでも特に貧しいスラムの一つといわれるマザレでは、大好きなプレミアリーグを見られる場所が限られているのが実態だ。
たった数十シリングと思う読者もいるかもしれない。しかし、こうした貧しい場所の住民はとにかく収入がなく、大人でも一日一食しか食べられない者も少なくない。そんな経済状況であっても人々が足しげくヴィダに通うのは、そこが彼らにとってなくてはならないコミュニティーの一部であるからだと言えよう。
今回の取材では、複数のヴィダのオーナーから聞き取りを行ったが、彼らは一様にヴィダがコミュニティーに必要な存在であり、良いビジネスであると口にした。
ヴィダを語る上で興味深いのは、確かに客は映画やサッカーの試合といった<画面の向こう側>を見るためにやってくるのだが、同時に彼らは、ヴィダというコミュニティー、つまり<画面のこちら側>に参加することも目的として来ているということだ。別記事で紹介しているように、マザレの環境は過酷だ。大家族で過ごしている場合は、自宅すら心が休まる場所ではない。いわゆる「自分の時間」を過ごすためには、気の置けない仲間とどうということのない時間が過ごせるヴィダのような場所が必要なのかもしれない。
マザレスラムの小さな映画館であるヴィダ。そこには、住民にとって大切な時間と居場所を提供する空間があった。