「南米の優等生」チリのつまずき
大規模デモと新型コロナウイルスで広がる格差

  • 2020/7/2

2019年秋にチリで発生した大規模デモは、非常事態宣言の発令や軍の出動、国際会議の中止などの事態を招き、観光や企業活動に大きな影響をもたらした。1990年に民政移管が実現して30年。「南米の優等生」と呼ばれるほど中南米諸国の中でも突出した成長を続け、2010年には高所得国としてOECDへの加盟も果たした同国で何が起きたのか。新型コロナウイルス感染の影響は。現地在住の青木佐代子氏(UNICEFチリ事務所副代表)がレポートする。

チリ・サンチャゴ市内を警戒する機動隊 (c) Pexels

「4円」が引き起こした社会不安

 一連の引き金となったのは、10月6日に発表された地下鉄運賃の値上げだった。値上げ額は、30ペソ(約4円)。長年蓄積してきた社会格差への不満を爆発させた人々は、首都サンティアゴで抗議デモを起こし、一部が放火や略奪など暴徒化し始めたことから、政府が連日、外出禁止令を発令する事態となった。18日に学生たちを中心としたデモ隊が警察と激しく衝突し、地下鉄駅を襲撃して路線網全体を閉鎖に追い込むなど、過去数十年で最大の混乱が起きたため、セバスティアン・ピニェラ大統領は翌19日に非常事態宣言を宣言。値上げの取り消しを発表したが事態は収束せず、社会格差の是正と大統領の辞任を求めて25日に行われたデモ行進の参加者は約100万人に上った。 

 その後も混乱は続き、学校が10日にわたって閉鎖されたほか、サンティアゴで予定されていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や国連気候変動枠組条約(COP25)、サッカーの親善試合なども開催を断念。11月には大統領が新憲法の策定や国民投票を発表したものの、社会不安による経済への打撃は大きく、2018年5月時点で50%を超えていた政府や大統領への支持率も10%台に急落した(Criteria Research)。

チリでは昨秋、地下鉄の値上げに端を発する大規模デモが発生した (c) Pexels

 しかし、デモ参加者の間には温度差があった。100万人の中には、特に、学生闘争などを経験したことのない若い世代を中心に、大勢の参加者との一体感や、歴史的に意義がある行動に参加しているという高揚感から、お祭り感覚で参加した者も少なからずいたと言われる。中間層や高所得者層の中にも、初夏の夕方、仕事の後に社交の一環として参加していた者がいたという。他方、本来はデモに最も多く参加しているはずの貧困層や個人事業主は治安の悪化によって休業に追い込まれ、甚大な経済的被害を受けたため、時間的にも余力的にもデモに参加できなかった。結局、交渉を率いるリーダー役も出現しないまま、社会格差の根絶を求めていたはずの政府への要求は、次第にその中身が判然としなくなっていった。

抗議行動に参加する市民 (c) Pexels

 クリスマスを迎える頃には、デモや暴動は一部の少数過激グループの活動へと性格を変え、南半球に位置するチリは、そのまま新年を迎えて長い夏休み時期に突入した。その後、3月の新年度にあわせて再び大規模デモが準備されていたが、ここで起きたのがコロナ禍だった。3月3日、チリで初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されると、あっという国内に感染が広まったのだ。2週間後には全国で学校が閉鎖され、夜間外出禁止令も再び発令されて、国境封鎖や段階的な移動制限(ロックダウン)がスタート。政府はコロナ対策に追われることになったが、テレビで見る大統領の表情には、人々の意識がデモからそれたことへの明らかな安堵がうかがえた。

コロナ禍で再燃した不満

 6月中旬現在、新型コロナウイルスの感染はアメリカ大陸で猛威を奮っている。チリの医療システムはほぼ飽和状態で、連日、1000人単位で新たな感染者が報告されている。

 年明けの夏休みをヨーロッパで過ごした裕福層が持ち込んだウイルスは、当初、市内の高級住宅地で感染が拡大したが、診療の質が良く高額な私立の病院も多く被害は最小限にとどまった。しかし3カ月後の現在、感染者の8割は中間層や貧困層の居住地域に集中している。この地域の病院は主に公立で、診療の質は高くない上、受け入れ可能な人数も限られている。それでも病院代を払えず受診したがらない人々は多く、そんな彼らにも容赦なく感染が広がっている。

チリ社会には大きな格差が存在する (c) Pexels

 そうした中、政府の対応に批判が相次いでいる。政府が推奨する在宅勤務で収入を維持できているのは一部のエリートや裕福層のみで、その日暮らしの生活を送る多数の国民との間で格差が拡大しつつあるためだ。募り始めている不満は、今後、感染の脅威が下火になれば、間違いなく再燃するだろう。デモに始まり、暴動や新年、夏休み、そして新型コロナウイルス…。予想外の事態が次々に起きたチリでは、昨年10月から経済がほとんど機能しておらず、社会不安の長期化によって、これまで30年にわたって積み重ねられてきた社会の発展――初等教育や基礎医療の無償制度や犯罪率の低さ、安全性の高さ、充実した社会保障制度など――が後退することも懸念されている。

サンチャゴでデモ隊を警戒する機動隊 (c) Pexels

 厳しい移動制限や商業活動の休止といった政府の措置が感染増加を抑制したかどうかは、評価が分かれる。確かなのは、国民の大半を占める社会的弱者の人々を取り巻く状況が、厳しさを増しているということだ。社会保障制度や健康保険の需要が急増して対応が後手に回り、基礎疾患が増加したり、中間層が貧困層へ、貧困層がさらなる貧困状態へと人々の経済状況がどんどん悪化したりしているほか、経済不安による家庭内暴力や途中退学者の増加が予想され、雇用機会の縮小に伴う治安の悪化も起こり得る。社会的、経済的に弱い立場に置かれている人々ほど、その影響は大きい。

固定ページ:

1

2

関連記事

ランキング

  1. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  2.  ミャンマーで2021年2月にクーデターが発生して丸3年が経過しました。今も全土で数多くの戦闘が行わ…
  3.  2024年1月13日に行われた台湾総統選では、与党民進党の頼清徳候補(現副総統)が得票率40%で当…
  4.  台湾で2024年1月13日に総統選挙が行われ、親米派である蔡英文路線の継承を掲げる頼清徳氏(民進党…
  5.  突然、電話がかかってきたかと思えば、中国語で「こちらは中国大使館です。あなたの口座が違法資金洗浄に…

ピックアップ記事

  1. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  2.  フィリピン中部、ボホール島。自然豊かなリゾート地として注目を集めるこの島に、『バビタの家』という看…
  3.  中国で、中央政府の管理監督を受ける中央企業に対して「新疆大開発」とも言うべき大規模な投資の指示が出…
ページ上部へ戻る