「8888」記念日にミャンマー人が名古屋でデモ
クーデターへの抗議と民主化への誓いを新たに
- 2021/8/10
2021年8月8日、愛知県名古屋市内の白川公園に在日ミャンマー人ら約100人が集まり、午前11時から約2時間にわたってデモ行進を行った。1988年8月8日に、当時の独裁政権の打倒を掲げた民主化運動がミャンマー全土に広がった記念の日から33年目にあたる今年、参加者は2月1日にアウンサンスーチー氏率いるNLD政権にクーデターを起こし、市民を弾圧し続けている軍に対し、改めて抗議の声を上げるとともに、民主化への誓いを新たにしていた。
クーデターから半年が経過
「祖国ミャンマーでは、山岳地域で少数民族とともに軍事訓練を受け、革命に命を懸けている人々がいる。我々は、働いて得た給料を寄附して彼らを支援しなければならない」
デモ行進が行われた後、午後1時頃に再び公園に集まった人々に向かい、元大学生連合のメンバーだったオンマールインさん(26)はこう訴えた。さらに、「日本をはじめ、海外にいるミャンマー人たちは、募金を通じて本国の抵抗運動を支援し、将来を守るべきだ」と、強い口調で続けた。
クーデターが発生してから半年が経過したが、ミャンマー人は、さまざまな制約の中で抗議活動や武力闘争、不服従活動を続けている。
デモ活動の支援に来た日本人の田村さん(仮名、40)は、「半年が経っても、ミャンマーの人たちは自分たちの心にある火を燃やし続けている。私たちも、できることを見つけて彼らを支えなければいけない」と、語った。ミャンマー人の友達もいるという田村さんは、この日、デモに参加しなかったものの、デモ隊の様子を撮影し、SNSに投稿した。
「88世代」も参加
1988年8月8日は、ミャンマーの人々にとって民主化運動の象徴であり、歴史的にも重要な日として語り継がれてきた。
当時、民主化運動に参加していた「88年世代」のエィ・ティンさん(57)は、「今の若者世代は、軍の独裁体制をつぶすために最後まで戦う決意をしている」と、若者たちへの思いを語った。さらに、「彼らは希望を失っていないからこそ、捕まれば拷問されたり、殺されたりする危険があると分かっていても戦い続けている」と、エールを送った。エィ・ティンさん自身、当時、反政権のビラを配った罪で禁固敬を課されたが、その後、釈放され、現在は名古屋に住んでいる。
少数民族への共感芽生える
ミャンマーは1948年にイギリスの植民地支配から独立したが、14年目にあたる1962年に軍が政権を奪取。以来、中央政府と少数民族武装勢力との間で内戦が続いてきたことを忘れてはならない。さらに、少数民族と多数のビルマ族の間の感情も良好ではなかった。
その背景には、軍がメディアを支配下に置き、少数民族勢力について「反乱者」「団結を壊している」「主権への威嚇」などと、国営メディアを通じて一方的に報道してきたため、ビルマ族は少数民族の気持ちや歴史を理解する機会がなかったことが挙げられる。しかし、今年2月のクーデターによって自分たちも同じ立場に置かれたビルマ族は、初めて少数民族の気持ちを理解したと口にする。
この日、88年記念日の活動に参加したビルマ族のジンさん(27)は、「私たちはずっと、少数民族は反乱者だと思ってきました。でも、私たち自身が軍によって弾圧されたことで、少数民族の気持ちに初めて共感しました」と述べ、2月1日を境に変化した少数民族への心境を吐露した。さらにジンさんは、少数派イスラム教徒ロヒンギャを巡る問題にも言及し、「ジェノサイドが、いかに残虐で過酷な行為なのか初めて知った。今は彼らに同情している」と続け、これまでの自分を反省していると述べた。
かつてない機運の高まり
市民団体の調査によると、ミャンマーでは今回のクーデターによって、8月9日時点で960人以上の市民が死亡し、累計7000人以上が政治犯として逮捕された。今なお拘束5000人以上が拘束されている。
今回、軍の残虐な行為を目の当たりにした若者をはじめ、多くのビルマ族の人々は、少数民族がなぜ武力を持つようになったのか、初めて理解した。その結果、以前は少数民族が差別されている状況に対して見て見ぬふりを続け、ロヒンギャ問題に関するスキャンダルでNLD政権が国際社会から批判された時にも目を背けてきた彼らと少数民族との団結が、今、固まりつつあるという。
2月1日のクーデターによって国権を獲得した軍は、自らの正当性を主張するプロパガンダを続けている。しかし、上述の通り、一連の抗議活動を通じて民主主義を求めるミャンマー人の思いは一層強まり、多数派ビルマ族と少数民族の間の絆も強くなった。「8888の民主化運動から33年目を迎えた今、今度こそ後戻りしない民主化を求める機運がこれまでになく高まっている」と、前出のエィ・ティンさんは力を込めて話した。