ヌオン・チア被告が死去
弔問に訪れる人たち

  • 2019/8/15

 「私は以前、彼の部下でした。お別れを言いにきました。亡くなったことが残念です。私は子どものころ、彼といっしょに暮らしていました」。メアク・ポウンさんは、忙しい農作業を休んでまで駆け付けたという。「(ヌオン・チア被告は)人々を教育し、寺を建て、部下や子どもたちに土地を残しました。そして、社会の一員として一生懸命に働くことと、善い行いをすることがとても大切だと教えてくれました」。

 被告が裁かれていることについては、「物事にはいつも両面があります。彼は、カンボジアを自らを犠牲にして敵から守ったのです。でも、判断は法廷がすることです。もうなくなったのだから、できれば許してあげてほしいです。彼がすべて正しかったとは言いません。過ちも犯したでしょう。でも人間には両面がある。私は彼が好きです。彼は人殺しなんかじゃありません。国を救い、国を愛していたのです」。

 名前は明かさなかったが、コンポンスプー州から駆けつけたという元ポル・ポト派兵士も「お別れを告げにきました」と話した。

被害者と加害者を内包する社会

 ポル・ポト派は、革命を掲げ、腐敗やわいろが横行していた米国寄りのロン・ノル政権を批判した。農業を中心とする共産主義社会の実現を唱え、貧富の格差に不満を持つ農村住民たちに浸透した。政権崩壊後に内戦状態に陥り、ポル・ポト派はタイ国境へと追いやられ、ポル・ポト派の人々は、そこで村をつくり根付いた。

 「ポル・ポト派」そのものは1999年に消滅したが、村は残った。彼らの中には、今もポル・ポト派指導者たちを「清潔な社会をつくろうとした」と、慕う人がいる。

 カンボジア社会は、ポル・ポト時代の被害者と加害者を複雑に内包しているのだ。ヌオン・チア被告の死は、経済成長の陰で埋もれていた、そんなカンボジアの現代史の一面を浮き彫りにしている。

(原文:https://www.khmertimeskh.com/50631039/former-kr-cadres-claim-nuon-chea-left-righteous-legacy/)

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