新時代を迎えるバングラデシュ チッタゴン丘陵地帯の人々の思いは
積み重なる抑圧と取り残された落胆と周縁化がもたらすリスク
- 2026/5/21
2024年7月から8月にかけて若者らの抗議活動が激化し、当時のシェイク・ハシナ首相率いるアワミ連盟政権が退陣に追い込まれたバングラデシュ。その後、ノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏が率いる暫定政権による国家運営が続いていましたが、2026年2月に政変後初の総選挙が実施され、バングラデシュ民族主義党(BNP)が圧勝しました。
世界の注目を集めた今回の選挙は、バングラデシュに新たな風をもたらすものになるのでしょうか。同国のチッタゴン丘陵地帯で紛争の解決や先住民族の支援を行うジュマ・ネット事務局長の稲川望さんが解説します。
2024年8月の政変や2026年2月の総選挙を経て、バングラデシュは大きな政治的転換期を迎えている。学生デモから端を発した政変は「バングラデシュ2.0」とも呼ばれ、新しい民主主義への期待を象徴する出来事となった。しかし、その変化の光が届いていない地域がある。それがチッタゴン丘陵地帯である。この地域では、政変や2026年2月の総選挙を経ても不安定な状況が続いている。政変後も民族間の暴動事件が複数回にわたり発生していることがその証拠である。
また、チッタゴン丘陵地帯が周縁化されていることは、人権問題や紛争の慢性化にとどまらず、越境的なネットワークが入り込む余地を生み出すことにもつながる。ひいては、バングラデシュをはじめとした地域一帯の不安定化を招きうる懸念を抱えている。
自治を巡り政府と対立 ジュマ内部の分裂も
バングラデシュ南東部に位置するチッタゴン丘陵地帯は、国土の約10%を占める地域であり、なだらかな山が続いている。ここには、古くから約11のエスニック・マイノリティが暮らしてきた。彼らは、焼畑を行う共通の特徴から「ジュマ」(焼畑を行う人という意味)とも呼ばれる。ジュマは、バングラデシュ人口の98%以上を占めるベンガル人とは異なる言語や文化を持ち、独自の慣習を維持してきた。そのため、イギリスの植民地時代は徴税権と引き換えに一定の自治が与えられ、ベンガル人による土地の購入などが厳しく制限されてきた。
しかし、バングラデシュが独立した1971年以降、政府との間で自治をめぐる対立が顕在化し、1970年代中盤には武力を伴う紛争へと発展した。1997年に政府とチッタゴン丘陵地帯人民連帯協会(PCJSS)との間で和平協定が締結されたが、その多くは履行されないまま四半世紀以上が経過している(PCJSSは、和平協定72項目のうち、2024年までに実施されたのは25項目で、29項目は実施されておらず、残り18項目は部分的な実施にとどまると主張している)。さらに、ジュマ内部の分裂により複数の政治勢力が対立しており、散発的な戦闘が発生している。近年は国際社会からの関心が薄れているが、半世紀以上にわたり依然として不安定な状況が続いているのが実態である。
政変後に語られた「落胆」
2024年、クォータ制度、すなわち公務員採用時における優先枠の復活への抗議から発展した学生デモは、誰もが予想しない結末を迎えた。首都ダッカは8月5日、熱狂的な雰囲気のなか、数えきれないほどの人々が首相公邸に向かって勝利の行進を行った一方、ハシナ元首相は間一髪のタイミングで空軍のヘリコプターに乗り、インドへ国外脱出したのだ。この政変は、15年間にわたるアワミ連盟政権の圧政からの解放であり、バングラデシュの新たな民主主義の到来だと祝福された。
一方で、チッタゴン丘陵地帯から見える景色は、全く異なっていた。多くのジュマは、「この地域は何も変わらなかった」と、落胆とも諦めともつかぬ表情を浮かべて語る。実際、政変直後の2024年9月には、個人同士の窃盗事件が民族間の衝突に発展し、4人のジュマが犠牲となった。さらに2025年1月には、教科書から「先住民族」に関する表記の削除をめぐってダッカでベンガル人組織とジュマの衝突が発生し、9人のジュマが負傷した。さらに、同年9月には、8 年生のジュマ女子生徒に対するレイプ事件をきっかけに発生したデモ隊に向けて治安当局が発砲したとされ、少なくとも3人のジュマが犠牲となった。
このように、チッタゴン丘陵地帯では、政変後も民族間の暴動や当局による人権侵害が断続的に発生している。また、2026年2月の総選挙で第一党に躍り出たバングラデシュ民族主義党(BNP)政権に対しても期待の声は聞こえてこない。BNPは、1997年に政府との間で和平協定が締ばれ、ジュマの人々の権利が認められた際も一貫して否定的な態度を示していた過去があり、今後もこの地域では厳しい状況が続くと見られている。
政変、さらに新政権の到来を経てもなお、悲観的な言葉が聞かれる背景には、この地域特有の政治構造が強く影響している。それが、チッタゴン丘陵地帯における軍の存在である。NPO「先住民問題 のための国際作業グループ(本部:デンマーク・コペンハーゲン)が行った軍の配置に関する過去の調査によれば、バングラデシュの平野部では約1,750人の民間人に対して兵士1人であるのに対し、チッタゴン丘陵地帯では約40人に1人という極めて高い密度で軍が配置されていることが明らかになった。単純計算で40倍以上の密度に相当し、この地域における軍の存在が例外的に強いことを示している。
もちろん、ミャンマーやインドと国境を接しているという地理的な特徴から、国境地域の治安を維持するためという側面があることは合理的な理由の一つとして考えられる。しかし、チッタゴン丘陵地帯では軍が関与する人権侵害や土地収奪などが繰り返し報告されており、ジュマの人々の間で軍をはじめ国家に対する不信感は根強い。
また、この構造は間接的にベンガル人とジュマの間の不信を作り出す遠因にもなっている。事実、現地で両民族間の暴動事件が起きると、当局はベンガル人による暴力を傍観し、「沈黙という名の協力」をしているという主張をしばしば耳にする。2024年に起きた暴動の際は、治安当局が現場にいながら暴動を沈静化しなかったことについて、チッタゴン丘陵地帯国際委員会などが「その役割は極めて疑問である」と、共同声明で指摘している。実際、最も被害が大きかった地域は、駐屯地から500メートル未満の距離にありながら、数時間にわたり介入が行われなかったとされる。こうした対応は暴力の過激化を後押ししており、和平協定が締結された後も大規模な暴動事件が繰り返し起きている。
つまり、この地域では軍が情勢を握る重要なステークホルダーとして存在しているために政権が変わろうとも変化が起こりにくく、慢性的な紛争や対立が継続していると言えよう。
周縁を利用する越境的ネットワーク
こうした慢性的な対立と周縁化は、チッタゴン丘陵地帯における紛争被害や人権侵害という問題のみにとどまらず、バングラデシュ全体の安全保障に対しても潜在的な脅威をもたらしかねない。
例えば、チッタゴン丘陵地帯はロヒンギャ難民キャンプが位置するコックス・バザール県と地理的に連続している。そのため、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプ、および隣接するミャンマー・ラカイン州からの非公式な移動が発生しているとされ、ジュマの集落の近隣にロヒンギャの人々が生活しているケースも聞かれる。こうした人口移動は、地域社会に新たな緊張をもたらすだけでなく、関連する武装勢力の活動が波及する懸念もある。現地の情報提供者の話によれば、2017年8月に70万人ものロヒンギャが国境を越えてバングラデシュに避難した契機とされるアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)や、ラカイン州で活発な動きがみられるアラカン軍(AA)がチッタゴン丘陵地帯にも部分的に出入りしているという(状況は流動的であり、日々、変化していることを留意されたい)。また、2021年ごろからはチッタゴン丘陵地帯の南部においてクキ・チン民族戦線(KNA)の活動が活発化しており、それらはインドのミゾラム州との国境地域を行き来しているとされる。これらの動きは、ミャンマーやインドなどを含む国境を超えたネットワークによって展開されている。特に、この地域は国境を跨いで同じ民族が広がっているケースが多く、言語的・文化的バリアが低いことから連携が生まれやすい環境がある。
チッタゴン丘陵地帯を周縁に置く現在の構造は、国内紛争の問題にとどまらず、越境的な武装勢力や非公式なネットワークの結節点となりうる可能性を持つ。その不安定さは常に国境を越えて影響を及ぼしあい、バングラデシュ自身の安全保障をも揺るがしかねない。
奪われ続ける人々の生活と尊厳、そして希望
チッタゴン丘陵地帯の課題は、マイノリティの人権問題、国家における周縁化、地域一帯の安全保障という複数のレイヤーが重なり合う地域である。そのため、バングラデシュの新たな時代に取り残された地域として単純化するだけでは語りきれない複雑な環境下にある。しかし、忘れてはならないのは、そうした状況のなかで日々の不安や恐怖に向き合うことを強いられているのは、そこに暮らす一人ひとりの市民だということである。紛争や対立、可視化されにくい構造がもたらす抑圧が積み重なるこの地域で、人々の生活や尊厳、将来への希望が静かに奪われ続けていることを見過ごしてはならない。
日本をはじめとする国際社会は、これらの複数の視点を重ね合わせながら、同時にそこに生きる一人ひとりの人生に目を向けながら、チッタゴン丘陵地帯が抱える現実と未来に向き合うことが求められている。
(いながわ・のぞみ)ジュマ・ネット事務局長。大学時代のインド・ナガランドへの訪問や、ロヒンギャ難民との出会いをきっかけに、国際協力への関心が高まる。その後、バングラデシュで1年間、現地NGOでインターンとして活動しながらベンガル語を学ぶ。修士課程に在学していた2021年より現職。チッタゴン丘陵地帯を中心に、平和構築や若者支援に取り組んでいる。犬が好きで、フィールドではつい野犬の写真を集めてしまう。
















