混迷のタイ政治 国民の意思はどこへ
旧態依然とした既存勢力が王室と軍部の二大権力に新たな風を吹かせる前進党を排除
- 2023/8/18
5月に行われたタイの総選挙では、野党の前進党が大躍進し、下院第一党となった。だが、その後、前進党のピター党首が議員資格を一時停止され、議会から退出するなど、首相指名を前に混乱が続いている。一方のプラユット現首相は、政界引退を表明。各政党の綱引きは続き、政治の空白は長引きそうな気配だ。
王室改革を掲げるピター氏、険しい首相への道
5月14日のタイ総選挙(小選挙区400議席、比例代表100議席の合計500議席)では、投票率75%以上と、歴史的な高水準が記録された。報道によると、各政党の獲得議席数は、第一党となった前進党が152議席、次いで、タイ貢献党141議席、タイの誇り党70議席、国民国家の力党40議席、タイ団結国家建設党が36議席、と続いた。
前進党の躍進は、王室との関係が深い現在の軍事政権に対して、国民が「ノー」を突き付けた結果と読み取ることができる。投票率の高さも、こうした国民の意思を反映したものと言えるだろう。とはいえ、ピター党首の首相指名は当初から困難を極めると予測されていた。前進党が、王室への中傷を禁じる不敬罪の改正をはじめ「王室改革」を掲げているからだ。これが野党勢力を一枚岩にすることを阻んでいるとされる。
困難な要素は、それだけではない。ピター党首が首相指名されるためには、下院議員500人と上院議員250人の合同投票で過半数の376票(上院議員1人が辞職したため、実際には375票)を獲得しなければならない。つまり、首相指名を得るためには、下院での連立に加え、上院議員を取り込むことが不可欠なのだ。しかし、上院の250人は、事実上、クーデター後に軍事政権が指名した議員たちであり、王室と近い親軍派であるため、王室改革を掲げるピター党首とは相入れない立場にある。
こうした複雑な状況の中、7月19日、ピター党首にさらなる難題がふりかかった。「議員資格の一時停止」である。憲法裁判所は、ピター氏が憲法で禁じられているメディア企業の株を保有していたとして、議員資格を一時停止。その結果、国会でもピター氏を首相候補として認めないことが決まり、首相指名投票そのものが延期されたのだ。
ぐずつく首相指名選挙に苛立つ国民
タイの英字紙バンコクポストは、首相指名をめぐる混乱について7月後半、3本の社説を掲載した。
7月19日付の社説は、ピター氏の議員資格停止をめぐる選挙管理委員会や憲法裁判所の対応について疑問を呈したものだ。ピター氏に投票をしない上院議員について、社説は「政治よりも王室が上位にあるという考え方は疑問だ」と指摘。「新しい政権の樹立を阻む現状は、経済活動にも悪い影響をもたらすだろう。そして、議会と民主主義に対する国民の信頼を深く損なうものになる」と主張し、民意を無視する政治の動きを批判した。
さらに同紙は、翌20日付の社説でもこの問題を取り上げ、「憲法裁判所がピター氏の議員資格の一時停止を決定したことで、前進党支持者たちが路上に出て抗議活動を行うなど、混乱が引き起こされている」と解説した。
そして、首相指名が延期になった7月27日には、「国民の意思を考えよ」と題した社説を掲載し、混乱の長期化をこう批判した。「5月14日の選挙から2カ月以上が過ぎたが、7月27日に予定されていた首相指名選挙も延期され、タイはいまだ新政権を樹立できずにいる。上下両議院が、ピター氏を首相候補に挙げることを却下したことについて、違憲だという訴えが行政監察官(オンブズマン)に寄せられ、オンブズマンはその判断を憲法裁判所に委ねた。もし憲法裁判所がこの訴えを却下すれば、首相指名選挙は8月3日に実施される可能性が高い。しかし、もし裁判所の判断が遅れれば、政治の空白はさらに長引くだろう」(*編集部注:その後、延期されていた2回目の首相指名選挙が8月22日に設定されることが8月16日、明らかになった。タクシン元首相派が主導する枠組み作りが進んでいる。)
社説は、選挙後に新政権がスムーズに樹立されないという「政治の空白」をタイがこれまでに何度も経験してきた、として、過去の事例を列記する。例えば、タクシン元首相が2001年に、その妹のインラック元首相が2011年に首相に就任した際は、政権樹立までに、それぞれ1カ月かかった。2019年のプラユット首相の就任には、さらに長い73日間を要した、という。
「今回の停滞は上院議員が首相指名選挙を棄権したことに端を発する。さらに、タクシン元首相の流れを汲むタイ貢献党が、野党でありながら前進党と連立を組むことに二の足を踏んでいることが、国民を怒らせた。こうした政治の綱引きにおいて、タイ国民が願うのは、とにかく各政党の党利党略よりも国民の利益を第一に考えて行動してくれ、ということだけだ」
シンガポール紙は「前進党はゆっくり急げ」とアドバイス】
東南アジア諸国はタイの現状をどう見ているのか。シンガポールの英字紙ストレーツタイムズは7月25日付で「国民の選択を妨害するタイのエリートたち」と題した社説を掲載した。
社説は、「バンコクのパワーエリートたちは、自分たちと立場が異なる者は国政に進出させまい、と固く決意しているため、前進党を含む連立政権が成立することはないだろう」との見方を示したうえで、「東南アジア第二の経済大国であり、コロナ禍から早急に回復せねばならないタイ経済にとって、政治の迷走が続くことは有益ではない」と指摘する。
また、前進党の躍進について、既成勢力は「落胆」していると述べ、次のように分析する。
「前進党は、王室と軍部という二大権力に新しい風を吹き込むことを決意しており、他の政党とは一線を画す存在だ。前進党の動きにより、タイはこれまで以上に政治的に分断されるだろう。変化を期待して投票した有権者は、結局、旧態依然とした政治家集団を再び目の当たりにすることになるのだ」
そして、社説はこんな言葉で締めくくられている。
「前進党は、伝統に縛られた社会では“ゆっくりと急ぐ”のが賢明であることを教訓として肝に銘じるべきだ」
(原文)
タイ:
https://www.bangkokpost.com/opinion/opinion/2618663/consider-the-peoples-will
https://www.bangkokpost.com/opinion/opinion/2614410/scuttling-of-pitas-pm-bid
https://www.bangkokpost.com/opinion/opinion/2613741/mfps-hopes-begin-to-fade
シンガポール:
https://www.straitstimes.com/opinion/st-editorial/thai-power-elite-thwarts-popular-choice