米金融政策の「失敗の本質」はどこにあるのか
地方銀行の相次ぐ破綻に見る信頼の揺らぎ
- 2023/6/15
金融安定化の処方箋は国民の信頼回復
こう見てくると、銀行や米当局の「失敗の本質」は、金融の社会性と公共性をおろそかにし、公共性を保護する役割を忘れてしまったことにあるように思えてくる。特に、金融機関に対する米国人の信頼低下は、銀行の監督官庁に対する信頼の低下と表裏一体だ。
実際、米国民の政府に対する信頼は、どの党が政権をとっているかに関わらず、ピークだった1960年代の75%に比べ、現在は3分の1の24%にまで落ち込んでいる。
今回の一連の銀行破綻に関する米当局の失敗の本質は、国民の信頼の維持よりも、金融業界の発展や保護が目的化してしまったことにある。そのため、金融への信頼回復には業界の保護よりも、国民の保護が優先されるべきなのではないだろうか。
米国の当局者が過去の経済成功体験にすがったり、組織内部の非合理的な論理を優先させて失敗を招いたことは、これが最初ではなく最後でもない。第2次世界大戦後に能率的な超大国として君臨したゆえに、世界で多くの人が信じてきた「合理的なシステムを創り上げ、不正や非効率に対する自浄能力を発揮できる米国」の幻想は老朽化し、さらに衰退することになるだろう。
その意味において、米金融政策の失敗の繰り返しは、経済分野にとどまらず政治や社会全体の衰退を表徴するものだ。その影響は経済や政治面で米国をお手本にしてきた多くの国に及ぶ。米国のシステムが理想化されることがより少なれば、米国主導の世界秩序の支配力も弱まる。米金融当局者はそうした世界的な波及効果も念頭に、国民の信頼回復を優先すべきと思われる。