イエメン南部暫定評議会解散の衝撃と内戦の行方
中東情勢の緊迫で注目される北部フーシ派の動き
- 2026/4/16
アラビア半島の南端に位置するイエメン。2015年から内戦が続いている同国で、南部を実効支配していた分離派の「南部暫定評議会」(STC)が年明けに解散を発表しました。サウジアラビアが支援する暫定政権と、北西部を本拠地とする親イラン武装組織の「フーシ派」の間で長く続いていた戦闘に加え、近年はSTCも勢力を拡大し、三つ巴の様相を呈していた同国の内戦は、今後、どう展開するのでしょうか。緊迫する中東情勢による影響は――。
イギリスのエクセター大学アラブ中東研究所でイエメンについて研究し、現在も仕事の傍ら中東情勢を追い続けている桐畑杏香さんが、STC解散のインパクトと同国の未来について考察します。
国を分断する3つの勢力
イエメン南部を実効支配する「南部暫定評議会」(STC)が1月9日、サウジアラビアの首都リヤドで議会の解散を発表し、指導者が国外に脱出したと報じられた。STCが2025年12月に暫定政権(大統領指導評議会:PLC)に軍事攻撃を行ったことが引き金を引いたと見られている。

サウジアラビアの首都リヤドで開かれたサウジアラビアのリヤドで開催された「イエメン南部対話会議」で演説するイエメン大統領指導評議会(PLC)のメンバー(2026年1月18日撮影)(c) ロイター/アフロ
古代から香料の輸出で繁栄してきたイエメンは、海のシルクロードの経由地に位置していたこともあり、一時は「幸福なアラビア」と称されるほど栄華を極めた。しかし、その近代史は分断の歴史であった。
イエメンは1839年、南部の港町アデンをインド航路の中継地として占領したイギリス軍によって、植民地支配下に置かれた。その後、1967年に独立を果たしたものの、南部に「イエメン人民民主共和国」、北部に「イエメン・アラブ共和国」が誕生し、二つの国家が並立することになった。

シェイク・オスマニにおけるイエメンとイギリス軍の戦闘(1916年)(c) Bruno Richer / wikimediacommons
1990年に北部が南部を吸収する形で両国が統一され、「イエメン共和国」が発足したが、南北間の経済格差や文化的摩擦は残ったままであったため、南部の独立を志向する勢力が再び台頭。2017年に隣国UAEの支援を受けて誕生したのが、このほど解散を発表したSTCであった。
また、イエメンでSTCと並び強大な勢力を有しているのが、イランの支援を受けて首都サヌアを含む北部地域を実効支配するフーシ派である。彼らは1990年代に北部の山岳地帯で興ったイスラム教シーア派の一派「ザイド派」の復興運動をルーツとし、2004年に当時の指導者が政府軍によって殺害されたことを受け、武力衝突を本格化させた。2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命を受けてアラブ世界に広がった反政府運動「アラブの春」の影響から当時のサレハ政権が失脚し、続くハディ政権も混迷に陥ると、それに乗じて攻勢を強め、2014年には首都サヌアを制圧した。
“The moment Israel begins its military response, we will lose the little comfort we have today.”
— Al Jazeera English (@AJEnglish) April 6, 2026
Fears of air strikes and rising prices dominate everyday life in Sanaa as Yemen’s Houthi rebels become embroiled in the US-Israeli war on Iran. https://t.co/iKUbXqxPZj
一方、大統領指導評議会(PLC)は2022年4月に結成された。STCとその支援国であるUAE、そしてサウジアラビアへ亡命していたハディ大統領の勢力は、もともと共通の敵であるフーシ派から首都を奪還すべく、共闘関係にあった。しかし、イエメンの統一を掲げるハディ派と、南部の分離独立を目指すSTCの間で、根深い対立と衝突が絶えなかった。足並みの乱れを解消するためにサウジアラビアの主導で各勢力のリーダーを集約し、ハディ氏から権限を移譲して発足したのが、PLCである。PLCは現在、国際社会から正式なイエメン政府として認められており、2014年以降は、フーシ派が占拠を続けているサヌアに代わり暫定首都が置かれた中南部の都市アデンや、東部に位置する石油産出地、ハドラマウトなどを実効支配している。
共闘転じて武力衝突へ
ハディ政権が崩壊後、STCとPLCは、サウジアラビアとUAEが主導する連合軍と共に、フーシ派と戦ってきた。しかし、両勢力が共に拠点を置く南部では、検問所の支配権や資金源を巡って衝突が絶えなかった。こうした背景からSTCは2025年12月、ついにPLCに対して一線を越え、攻撃を開始する。STCは、PLCが支配していた暫定首都アデンをはじめ、天然資源が豊富なハドラマウトやアル・マフラへ次々に武力侵攻を行い、占拠した。
At least one person killed and 11 other injured in Yemen after security forces disperse Southern Transitional Council (STC) storming https://t.co/bg4fFIgUvS pic.twitter.com/FuYLq8Lm8Q
— Al Jazeera English (@AJEnglish) February 20, 2026
UAEの支援を受けるSTCが、サウジアラビアの支援を受けるPLCを攻撃したことで、UAEとサウジアラビアの間の緊張は一気に高まった。サウジアラビアは即時にUAEに抗議声明を発出し、ハドラマウトやアル・マフラに独自部隊を投下。PLCと共に、STCに占拠された土地をまたたく間に奪還した。
しかし、この短い衝突こそが、イエメン内政に大きな転換をもたらしたのである。
代表不在で発表された「解散」と都市再生の兆し
サウジアラビア軍とPLCが領土を奪還した直後、STCの副代表らは、サウジアラビアの首都リヤドで開かれた「イエメン南部対話会議」に出席した。一部メディアの報道によれば、これは任意の訪問ではなく、連れ去られたに近かったという。そして、同会議の直後、突如としてSTCの解散が発表された。アラブニュースはその声明を次のように報じた。
「ハドラマウトとアル・マハラにおける軍事作戦によって、南部の団結は損なわれ、われわれを支援するサウジアラビア率いる連合軍との関係が悪化した。しかし、われわれは今回の決定に関与していない。この事実と、南部の大義への歴史的責任を考慮し、ここに南部暫定評議会、およびそのすべての機関を解散し、すべての事務所を閉鎖することを発表する」
しかし、肝心のSTC代表であるズバイディ氏はこの会議に参加していなかった。彼は、軍事衝突の直後にPLCから大逆罪で指名手配を受け、会議の際はUAEの手引きでソマリランドを経由してひそかにUAEへ移送されたとの報道がある。当初は「山岳地帯の戦闘員と合流したのではないか」との噂も流れたが、後日、サウジアラビア政府は、ズバイディ氏がゲリラ戦を放棄し、UAEで優雅に暮らしていると公表した。事実、解散が発表されて以降、同氏は一度も公の場に姿を現していない。
あるイエメンの情報筋はアラブニュースのインタビューに答え、「今回、STCの解散発表がスムーズに行われたのは、ズバイディ氏が不在だったことが大きな理由だ。彼こそが(解散への)障害であった」と語っている 。南部の人々は、彼の権力闘争に振り回されていたという側面があるのかもしれない。
Yemen’s Houthis have claimed carrying out an attack targeting Israel’s Ben Gurion Airport, as well as “vital” military sites in southern Israel.
— Al Jazeera English (@AJEnglish) April 4, 2026
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実際、STCの解散が発表されて以来、イエメン情勢には変化が見え始めている。アデンの住民の一人は、Middle East Eyeの取材に答え、「STCが撤退し、サウジアラビアが主導権を握った今、街の状況は2015年以来、最も良い」と語っている。不安定だったインフラが改善したことで停電が減り、水も十分に供給されるようになって「都市の再生に向けて気運が高まっている」という。少し前まで経済が空洞化し、公務員の給与未払い問題が常態化していたアデンにかつてない楽観的な雰囲気が生まれ、長く続いた内戦終結への期待が高まっている。
イラン情勢と想定される2つのシナリオ
そんななか、中東地域では現在、イラン対アメリカ・イスラエルを中心とした対立が激化している。トランプ大統領は4月7日、パキスタンの仲介に応じてイランへの攻撃を2週間停止することで合意したが、その後11日からの和平協議は合意に至っていない。そんななか、注目されるのが、北部フーシ派の動きだ。
昨今の中東情勢を踏まえ、今後のイエメンの行方について大きく2つのシナリオが考えられよう。
[シナリオ1:イランが弱体化し、PLCがイエメンを全土掌握する]
イスラエルやアメリカによる攻撃の長期化や、内政の混乱によってイランが疲弊・弱体化した場合、連動してフーシ派もイエメン国内で勢力を失う可能性がある。フーシ派と同盟関係にあるレバノンのヒズボラもイスラエルの攻撃を受けており、イランを支援する余力はないだろう。これに乗じてイランの脅威にさらされているサウジアラビアとUAEが手を結び、北部のフーシ派の完全抑圧に動くというのが、一つ目のシナリオだ。
France has denounced two attacks by Yemen’s Houthi rebels on Israeli targets accusing the militia of escalating tensions in the Middle East by entering the US-Israeli war on Iran.
— Al Jazeera English (@AJEnglish) March 29, 2026
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実現すれば、イエメンが統一されて内戦に終止符が打たれるかもしれない。しかしその場合、「誰が政治を主導するか」が懸念事項として残る。仮にPLCが政権を握ったとしても、サウジアラビアの後ろ盾なしには機能せず、イエメンが実質的にサウジアラビアのコントロール下に置かれることが懸念される。
[シナリオ2:イランが勝利し、内戦がさらに泥沼化する]
逆に、イランが石油というカードを武器にアメリカに経済的打撃を与えて攻勢に立つというシナリオも考えられる。その場合、イエメン国内のフーシ派も勢いを増し、内戦はさらなる長期化と泥沼化が避けられないだろう。
友人の帰郷を願って
筆者には、マレーシアの中学校に通っていた頃から親しくしているイエメン人の友人がいる。クアラルンプール市内の彼女の自宅に何度も遊びに行っては、イエメンの豊かな文化に触れさせてもらったのをきっかけに、彼女の祖国に強い関心を抱くようになった。その後も友人との交流は続き、筆者は大学院で迷わずイエメン内戦とイエメン人難民について論文を執筆することを決めた。彼女から、イエメン内戦の話を常々聞いていたからだ。
彼女は、イエメン国内の内戦と貧困が激化した2015年に、家族と共にマレーシアに移住した。その時14歳だった彼女は今、24歳。この間、一度も故郷に戻ることができていないうえ、ビザの都合で家族が皆、違う国で暮らすことを余儀なくされている。彼女が家族とともにイエメンに戻れないのは、特定の勢力から命を狙われているといった理由からではない。ただ、いつ、どこで戦闘や爆撃に巻き込まれるか分からないという、あまりに不安定な現地の情勢が、彼女たちの帰郷を阻んでいるのだ。

イエメンの旧サヌアの街並み。手前はアル・マドラサ・モスクのミナレット (c) Rod Waddington / wikimediaommons
現在の中東を巡る情勢は、かつてないほど不安定だ。特にイランと、アメリカ・イスラエルとの対立は、この記事でも取り上げたサウジアラビアやUAEを含む中東全域を巻き込み、地域の外交構造を根本から揺るがしている。筆者は、この大きな「外交構造の変化」こそが、イエメンの将来を決定付ける最大の要因だと考える。
十年にわたって故郷から遠ざけられ、家族とも離ればなれで過ごさざるを得なかった彼女の苦悩は計り知れない。一刻も早く、中東地域の緊張とイエメンの内戦が終息すること、そして何よりも、友人が家族と共に、生命の危険を感じることなく自国へ帰り、安心して暮らせる日が来ることを、私は一人の友人として、強く、切実に願っている。
(きりはたももか)2000年生まれ。日本で生まれ育ち、13歳からマレーシアへ留学。親しくしていたイエメン人から紛争の話を聞いたのを機に、中東地域に興味を持つ。大学進学のために一度日本に帰国したものの、卒業後はイギリス・エセクター大学アラブ中東研究所の修士課程に進学。アラブ・中東地域におけるジェンダー学を研究する傍ら、アラビア語を履修し、チュニジアで1カ月間、アラビア語留学を経験した。修士課程を修了後、日本に帰国して2025年4月より民間企業で勤務するかたわら、中東情勢を追い続けている。












