【緊急レポート】感染爆発前夜のケニアのスラム
リスク下でも暮らしを変えられない人々のジレンマ
- 2020/4/21
密度の高いスラムの暮らし
コミュニティワーカーとして、マザレスラムのトイレやシャワー、手洗い場など公共施設を管理しているエリック・マエストルさんも、感染拡大を阻止しようと奮闘しているが、難しさを痛感している。スラムは人口密度が高く、生活の中で人との濃厚接触を避けることができないからだ。これらの施設も250人~300人の住民が共有しているのが現状だ。
こうした公共施設が感染源になるリスクを低減するには、すべての施設にサニタイザーを備え付けるべきだとはいえ、コストがかさんで難しい。代わりに石鹸(せっけん)を配布しようとしたエリックさんだが、さらなる問題に頭を悩ませている。石鹸を使いたがらない住民が少なからずいる上、そもそも手洗い用の水すら買えない者も多いのだ。
「一人でも手洗いをしない住民がいれば、コミュニティ全体に感染リスクが広がってしまう。こうした中で万全に備えることなど、不可能だ。ひとたびマザレで感染者が出れば、あっという間にスラム中にコロナがまん延し、その影響は次第にケニア社会全体に広がるだろう。スラムにウィルスが侵入しないことを神に祈るしか方法がない」
一方、マザレスラムで生まれ育ったディクソン・ムワンギさんは、一住民の立場から、暮らしの中で感じているコロナへの恐怖について、こう語る。
「私の知る限り、住民たちは表面上、コロナなどまるでないかのごとく、いつも通りの生活を送っています。何も対策を取らず、無防備な状態で暮らしていると言っても過言ではありません」
適切な予防策を取れなければ誰よりも感染の恐怖を感じる場所で、あたかもコロナなど存在しないかのように普段通りに過ごさざるを得ないという矛盾は、どうして起きているのか。
「スラムは、どこも密度が高いため、人と適切に距離を保って生活することなど不可能なのです。共有トイレを使う時も長い列ができるし、使い終わる度に消毒をすることもできないのですから」
もちろんディクソンさんは、こうした状況が危険であることを重々認識している。しかし、社会の中で行き場を失い、スラムに流れ着いた住民たちにとって、新たな避難先が用意されているはずがない。
「住民は一日一日をやっとの思いで生きており、自宅に閉じ籠っていても食べていけないため、ロックダウンもスラムでは通用しないでしょうし、サニタイザーすら与えてくれない政府に助けを求めても無駄でしょう。どうしたら良いのか、分かりません」
火がついた導火線
マザレの住民たちは、コロナの脅威を十二分に感じている。ひとたびウィルスが入ってくれば、まず感染するのは自分であり、家族である可能性が非常に高いからだ。それでも、感染を阻止するために三密(密閉・密集・密接)を避けたり、手を頻繁に消毒したりすることができない環境の中、十分なスペースがなく、お金もなく、専門的な指導も受けられないという、ないない尽くしの恐怖に襲われながらも、あえて「今まで通り」の生活を送っているのは、食費を稼がなければ生きていけないからにほかならない。
一般的に、スラムの住民たちは、コロナウィルスが確認される前から、医療アクセスと距離のある生活を送らざるを得ない境遇に置かれてきた。日々の食費すらままならず、子どもに教育を受けさせる費用すら捻出できない世帯では、必然的に医療のための支出が後回しになる。仮に彼らにコロナ感染の症状が現れたとしても、保険証を持たない彼らが検査を受けるために自己負担で病院に行くインセンティブは、まずない。
このように、スラムという空間自体がもともと公的な管理と支援から切り離されてきたことを考えれば、ケニア政府が口頭でスラムへの支援を約束しているにも関わらず、具体的な行動がいまだ限られ、本腰を入れて支援に乗り出していない、あるいは乗り出せない事情も、理解できなくはない。
実際、政府職員がキベラなど一部のスラムで検査や消毒を敢行したという話も聞こえてくるが、これまでのところ公式発表は一切ない。また、国際連合児童基金(UNICEF)やケニア国軍(KDF)のほか、いすゞ自動車の関連会社であるいすゞイーストアフリカが手洗い用の水と設備をスラムに供給したというポジティブな材料もあるとはいえ、自主隔離が難しく、感染リスクを承知の上で、毎日、働きに出ざるを得ないスラム住民の状況を根本的に変えるには至らないだろう。(*なお、同国保健省は今月18日よりナイロビ市の感染事例を地区別に公開しており、キベラやカワンガレなどのスラムで感染が確認されたと発表している。)
今回、聞き取りに応じてくれた人々からは、共通して「スラムで感染拡大を食い止める術はない」という諦めが伝わってきた。人口が密集するスラムで感染が広がれば、たちまちナイロビ、そしてケニア全体へと感染が拡大しかねない。ケニア政府は時限爆弾の導火線についた火を爆発前に消すことができるのか。一刻の猶予もない。
*注:
ケニア保健省の発表を踏まえ、スラムにおける感染確認に関する記載について、4月24日、一部加筆修正しました。