選挙、物価高、地震 クーデターから5年を前にミャンマーを覆う3つの混迷
広がる格差と見えない将来 それでも音楽を求める人々
- 2026/1/20
軍事クーデターの発生からまもなく丸5年が経過しようとしているミャンマーで、昨年12月末から3段階にわたって総選挙が行われています。全国を3つの地域に分け、昨年12月28日に1回目の投票が、1月11日に2回目の投票が行われました。きたる1月25日には3回目の投票が予定されていますが、2020年の総選挙で多くの国民の支持を集めた民主化指導者アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が排除され、全国330郡区のうち65郡区で実施が見送られているなかでの実施には、批判や反発の声が多く寄せられています。
ミャンマーのレコード文化や音楽シーンに詳しく、ミャンマー音楽の変遷や奏法、そして最近の情勢について演奏活動や講演を行っている筆者が2025年12月、1年ぶりにミャンマーを訪れました。現地で選挙前夜の市民生活の今と音楽の在りかについて報告します。
スーパーマーケットから消えたCD売り場
ミャンマーでは現在、2021年2月1日のクーデター以降、初めて総選挙が実施されている。しかし、アウンサンスーチー氏が率いる政党、NLDは2023年に国軍により解党されているため、参加しているのは親軍政党のみである。また、投票可能な地域が国軍の支配がおよぶ地域に限られており、公平さを欠いているのが実情だ。
今回の選挙について、国軍に反対する市民たちは「偽りの選挙」だと反発し、イギリスや欧州議会(EU)など西側諸国も正当性を認めていない。日本では第1回の投票が行われた昨年12月28日、在日ミャンマー人たちが東京のミャンマー大使館前で抗議デモを行った。
そんななか、筆者は現地の音楽文化について調査研究を行うため、例年通り昨年も12月上旬から半月ほどミャンマーを訪れた。クーデター後、4度目の訪問となった今回は、人々の暮らしに伝統音楽が息づいている様子を目の当たりにし、参加する機会も得たうえ、総選挙前夜の市民の様子についても垣間見る滞在となった。
今回、1年ぶりにミャンマーを訪れ、半月ほど最大都市ヤンゴンに滞在するなかで感じた変化のうち、まず驚いたのは物価の高騰ぶりだった。食料品からホテル代、ガソリンなど、すべてが値上がりしていた。
筆者の専門分野である音楽業界にも大きな影響があった。まず、ヤンゴン市内では、まずCDを扱っている店舗数が激減した。1年前の2024年12月に調査した時には、CD専門店か、スーパーマーケット内のCDコーナーで売られていたが、今回はほぼすべてのスーパーマーケットからCD売り場が姿を消していた。そして、在庫が市内に点在する専門店に流れているようだった。事実、筆者は今回、スーパーマーケットの値札の上から各店の値札が貼られているのを複数のCD専門店で目撃した。
そして、CDの価格自体も高騰していた。1年前は1枚あたり5000チャット(約170円)だったが、今回は1枚あたり7000~8000チャット(約280円~320円)が相場のようだった。稀に、大御所歌手のCDに1万チャットの値札が付いていたが、この価格で買う人は、まずいないだろうと思われた。
店員は、「みんなお金がなく、音楽はYoutubeを聴くようになったので、CDの売り上げは右肩下がりだ」「停電が日常茶飯事で、わざわざプレーヤーでCDを再生しようという人もいない」と話してくれた。
とはいえ、わずかながら新譜のリリースも続いていると聞き、かすかな希望を感じた。
緊迫の中にも息づく伝統音楽
一方、今回は嬉しいことに、ミャンマーの伝統音楽が生活の中で奏でられている場に複数回、遭遇した。サウンガウッと呼ばれる竪琴や、サインワインと呼ばれる打楽器を中心とする楽団がヤンゴン市内の寺祭りや結婚式で演奏し、参列者たちが聴き入って楽しんでいる様子を何度も見かけたのだ。
寺祭りの演奏は、道端に設置された仮設のステージ上で行われており、行き交う人々は無料で伝統楽器奏者のアクロバティックなアンサンブルに心躍らせ、ルースィンドーと呼ばれる道化役のお笑いショーにげらげらと笑い声を上げていた。緊迫した社会情勢とは裏腹に、朗らかな時間がそこには流れていた。
一方、結婚式では、新郎新婦が入場してから式がつつがなく終わるまで、荘厳な雰囲気を引き立てるように、たゆたう旋律が、終始、奏でられているのが印象的だった。
今もこうして日常の暮らしの中に伝統音楽が根付き、人々に求められているのを見て、最大都市現在のミャンマーは、とかくマイナスのイメージが先行しがちだが、筆者が見た限り、ヤンゴンの市民生活にはこうした明るい場面も確かにあった。
とはいえ、「もし、軍が今回の選挙を強行しなければ、もっと晴れやかな気分で祭りを楽しむことができたのに」という市民の声も聞かれた。また、結婚式についても、高級ホテルで華々しく式を挙げる富裕層もいれば、今日の生活さえままならない貧困層もいるのが、今のヤンゴンだ。そして、その差は1年前よりも広がっているように感じた。市内を歩くと、市営のごみ集積場でごみを漁る人々の姿をしばしば目にした。彼らは性別も年齢もさまざまで、金属片やガラス瓶、段ボールなど、少額でも金銭に交換できそうなものをしらみつぶしに集めていた。
また、筆者がレストランのオープン席で食事をしていた時のこと、目の虚ろな女性が近付いてきて、「その皿の上に余っている料理、残すならちょうだい」と言った。彼女の衣服は茶色く汚れ、手にはおそらく他店で集めた残飯が入っていると思われる小さなビニール袋を持っていたが、思わずたじろぐほど強烈な腐臭を放っていた。その日その日を生きるのに必死な人は、1年前よりも格段に増えていることを実感した瞬間であった。
「偽りの選挙」に冷ややかなまなざし
前述の通り、今のミャンマーは貧富のるつぼであるのに加え、安危についても混沌としている。ヤンゴン市内には国軍の監視小屋がいくつも設けられ、人々が多く集まる場所には機関銃を携えた警察官が配備されている。ヤンゴン国際空港の近くの幹線道路では軍用車が列を成し、軍人たちが幌の中から辺りを見渡してにらみを利かせている。
しかし、こういった物騒なエリアのすぐ隣では寺祭りが開かれ、まるで遊園地かのような賑わいがある。相反する治安が、同時並行的に存在しているのだ。
今回、ヤンゴンに住むXさんに、匿名を条件に、日々の暮らしや経済、総選挙への思いなどについてインタビューする機会を得た。
――間もなく実施される総選挙についてどう思っていますか。
【Xさん】これは偽りの選挙であり、私は投票に行くつもりはない。私を含め、周囲の人々は同じです。私たちは「投票をボイコットする」といった強硬姿勢ではなく、「軍はいったい何をやっているのだか」と冷笑している、というのが実態だ。もっとも、こう言えるのも、ヤンゴンは大都会で、隣近所に住む人同士も誰が投票に行って誰が行かなかったのか、互いに無関心で、何も言わないからかもしれない。その点、地方はコミュニティが小さく、相互に監視の目が行き届きやすいため、そういうわけにはいかない。そうしたことを考えると、結果的に地方の方が投票率は高くなると思われる。
――選挙が終わったら、ミャンマー経済にどのような影響があるでしょうか。
【Xさん】何も変わらないだろう。貧富の差はさらに拡大するだろうが、選挙が行われる前の今ですら経済格差は大きいため、選挙の結果と経済はあまり結び付かないと思われる。
ミャンマーでは現在、ひどいインフレが起きている。給与所得が上がらないにも関わらず、あらゆる物価が高騰している。買い物に出ると、あっという間に1万チャット札(※ミャンマーの最高額紙幣、約4000円)が財布からなくなる。私は最近、できるだけ外食を控えるようにしている。富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなっているのが現状だ。
ミャンマー経済の基本は、これまで農業をはじめとする第一次産業だった。国内に製造業はほとんどなく、例えば自動車なども輸入に頼ってきた。しかしクーデターによって国境は封鎖され、陸路で輸入することを軍は表向き停止している。仮に国内に第二次産業があったなら、状況はまだ今よりも良かっただろう。
――直近の教育事情はいかがですか。
【Xさん】ヤンゴンでは、クーデター以降、私立学校が相次いで開校している。そうした学校は、新入生歓迎パーティーを高級ホテルで開催するほどで、授業料も高いため富裕層の子弟しか通えない。
その一方で、公立学校に通っているのはお金に余裕がない家庭の子弟だ。もっとも、実際は公立学校も無償ではないため、それすら払えない家庭の子どもたちはそもそも通うことができない。さらに、公立学校では授業のなかで国軍のプロパガンダが行われている。もともと勤めていた教師のうち、クーデターに反対した者たちはCDM(市民的不服従運動)に参加して職を失った。今、残っている教師たちはその後釜であり、質は良くない。
傷痕が生々しい古都マンダレー
筆者は今回、ミャンマー第二の都市、マンダレーも訪ねた。この町を含むミャンマー中部地方は、2025年3月28日、巨大地震に見舞われ、多くの犠牲者を出した。発生から9カ月が経過した町の状況が気懸かりだった。
マンダレーを代表する寺院「マハムニパゴダ」にも、地震の傷跡が生々しく残っていた。瓦礫はすでに撤去され、修復工事用の足場が架けられているものの、いまだに屋根は崩れたままで、回廊もあちこちに無残にひびが入っていた。
また、本堂に向かう参道も、かつては両脇に仏具屋や土産物屋が軒を連ねて賑わいを見せていたものだが、今は参道そのものが閉鎖され、その外側に立てられた仮設テントの下でわずかに営業している店がある程度だ。
マンダレー中央駅や王宮がある中心エリアも散策してみると、瓦礫が残ったままの土地や、売りに出されたビル、シャッターが下ろされた店舗、崩れたままの歩道が目についた。特に目を引いたのが、マンダレー中央駅から延びる線路沿いに並ぶ路上生活者たちの仮設テントだった。12月のマンダレーは寒暖差が激しく、日中は30度前後まで上がる一方、朝晩は15度近くまで冷え込み、長袖が欠かせないほど冷え込む。過酷な気候が、彼らの境遇をさらに厳しくしている。
一方、この町の今の音楽シーンはと言えば、良質なCD専門店がとうとうなくなってしまったようだ。1年前まで営業していた2軒を訪ねてみると、うち1軒は地震により店舗が倒壊して休業状態だった。在庫は店主が自宅に運んだものの、まだ営業を再開できる状況ではないという。もう1軒は、店舗自体は無事なようだが、しばらく陽の当たるところに放置されていたのだろうか、ミャンマー曲や洋楽ポップスなどのCDや、パソコンでダビングされた粗悪なCD-Rが並べられ、虚飾に成り果てていた。
選挙、物価の高騰、そして地震という3つの混迷が、今のミャンマーを覆っている。そんななか、ヤンゴンに限って言えば、筆者が見たところ、人々は出来レースで結果が見えている選挙には関心がなく、それより日々の生活をどう生き抜くかに必死なようだった。一方、マンダレーの場合は、それに加えて震災からの復興が重くのしかかる。実際、マンダレーでは今回、音楽が響く現場に遭遇することは叶わなかった。念のため、住民たち何人かに「祭りは開かれるか」と尋ねたが、皆、「分からない」「知らない」の一点張りだった。
複数の問題を抱えたまま、それでも人々は今日を生きている。
(むらかみ・きょじゅ)ギター奏者、作曲家、ミャンマーマンドリン奏者。2007年、ギターとドラムだけのバンドte_riを結成。これまでに7枚のアルバムをリリース。日本国内はもとより海外公演も多数行う。 2016年からミャンマーを訪問し、現地の音楽を調査。その結果を報告するトークイベントを日本各地で開催。ミャンマー音楽の専門家として寄稿や講演を行っている。https://cadisc.main.jp/



















