北極圏の「安全保障」は何を守るのか――グリーンランドの現場から
飛び交う大国の思惑 愛着と誇りとともに生きる市民たちの静かな怒り

  • 2026/2/28

揺らぐ安全保障の規範――「不動産取引」の論理と住民の暮らし

 グリーンランドを巡る動きは、個人の感情や経済的な誘惑の次元を超え、国家間の安全保障という巨大な枠組みを揺さぶり始めている。

 グリーンランド自治政府は現在、複数政党による連立政権で運営されている。連立与党の一つ、「イヌイット友愛党」に所属する自治議会議員のピパルク・リンゲ氏は、筆者の取材に対し、毅然とした態度でこう語った。

 「私たちは、昼夜を問わず、妥協点を見出すために取り組んでいます。私たちの主権を守るために、外交と協力を重視しています」

デンマークのTV局の取材前に「数分だけなら」と応えてくれたピパルク・リンゲ氏(2026年1月12日、 筆者撮影)

 トランプ政権による「買収」というアプローチについては、明確に拒絶の意思を示す。

 「私たちは売り物ではありません。どんな金額を提示されようとも。私たちには固有の権利と主権があり、それで十分だと考えています」

 一方で、北極圏を巡るパワーゲームの現実は、自治政府にも難しい判断を迫っている。中国やロシアへの警戒を背景に、欧州各国がグリーンランドへの派兵や関与を強める動きを見せているからだ。

 リンゲ氏は、中国やロシアによる影響力への懸念がある場合に備えて軍事的なプレゼンスを強化することには前向きな姿勢を示しつつ、こう強調した。

 「私たちはNATO(北大西洋条約機構)加盟国の一員であり、その枠組みを信頼しています。NATOを通じて合意に至ることを期待しています」

 しかし、その「同盟」という枠組みそのものが、今、揺らいでいる。

 2026年1月、スイスで開催された世界経済フォーラム(ダボス会議)。その席上でのトランプ大統領の言動について、安全保障の専門家、慶應義塾大学の鶴岡路人教授は、第二次世界大戦以降の安全保障規範を揺るがす可能性があると指摘する。

国際安全保障や欧州政治が専門の鶴岡路人教授(2026年1月23日、 筆者撮影)

 鶴岡教授は、トランプ大統領が主張する「安全保障」や「資源確保」といった領有の正当性について疑問を投げかける。アメリカは1951年に締結した米デンマーク協定によって、グリーンランドに軍事基地を置く権利をすでに有しており、領有せずとも軍事的な目的は達成可能だ。また、資源開発についても、領有権を得ずとも利権の獲得によって対応できるという。

 こうした点から、鶴岡教授は、トランプ大統領の発想には「良い場所にある土地を所有したい」という、不動産取引に近い論理があるのではないかと分析する。

 さらに深刻なのは、欧米間の信頼関係への影響だ。

 「NATOは、攻撃された国を全員で守るという条約で成り立っている。もしアメリカが『自分の領土でないと守らない』と本気で言っているのだとしたら、それは同盟の根本が崩壊することを意味する」

 同盟や規範という言葉は、どこか遠い世界の議論のように見えるかもしれない。
しかし、その影響はすでに現地にも及んでいる。

 グリーンランドでは、軍用機の飛来という形で、可視化されていた。

 1月15日、ドイツとフランスの軍隊が首都ヌークに派遣された。ヌークを訪れていたグリーンランド人のリッキー・フラッシャーさんは、こう振り返る。

 「驚きました。突然、多くの飛行機の音が聞こえてきたからです」
 「それが軍の飛行機だと知ったときは、怖さを感じました」

 リッキーさんは、自治政府が冷静に事態に取り組んでいることに安心感を覚えつつも、こう語った。

不安を口にするリッキーさん(2026年1月16日、 筆者撮影)

 「安全保障の議論が、具体的で実りある結果につながることを願っています。それは、私たちグリーンランド人全員の、一番大きな願いです。必ず実現してほしい」

 大国が振りかざす「安全保障」という言葉の陰で、住民たちは軍用機の音に不安を抱きながら、自らの主権と日常を守ろうとしている。

 「私たちは売り物ではない」

 その静かな言葉と、確かなグリーンランドへの愛着と誇り。

 北極圏の安全保障を語る時、守られるべきものは、領土や資源だけではないはずだ。

 そこに暮らす人々が託してくれた声を、私たちは手放してはならない。

 

執筆者プロフィール

(かまい・ふき)ジャーナリスト。市民発信メディア「8bitNews」CCO。北海道函館市生まれ。2015年HBC北海道放送入社後、事件事故や災害取材をする傍ら、旧優生保護法や技能実習生のドキュメンタリーを制作。2021年退職後は早稲田大学政治学研究科ジャーナリズムコースに進学。修士作品「仮放免者――いま日本人に伝えたいこと」が政治学研究科長賞受賞。「ナラティブの狭間」に関心があり国内外を取材。趣味はネイル。冷蔵庫には梅干しとクリームチーズを常備。世界中の酸っぱ辛いスープが好き。

 

 

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